「帰国子女」の定義
「帰国子女」ということばには、いまだに確立した定義がない。したがって、たとえば「現在、日本には社会人になった帰国子女が何人いますか」という、実際に私がとある週刊誌記者に聞かれた質問には答えようもない。「現在、日本には何人の帰国子女がいますか」と問われれば、文部省が毎年公表している『学校基本調査』にその項目があるから、それを答えることはできる。この調査では「海外勤務者等の子女で、引続き1年を超える期間海外に在留し」、当該年度のうちに帰国した児童生徒を調査している。たいがいの資料ではこれを3年分累積した数をあげている。また、小学校から高校までの数を出すのが通例となっている。つまり高校を卒業してしまえば数えられないし、すでに3年を超えて日本に滞在している者は加算されない。さらに、この調査に答える学校や教育委員会の現場に行けば、基本調査の「海外勤務者等の」ということばの意味もかなり柔軟にとらえられていて、中には外国人だろうかなんだろうが、ともかく国外からやってきた者をすべて数えているケースも実際に見たことがある。とくに最近は、独身で赴任した社員が現地で結婚し、現地国籍の妻とともに日本にやってくる子どもなど、「等の」をどう解釈すればいいのか困るような複雑なケースが生じてきているのも現実だ。
こうなってくると、帰国子女の定義などはどうもあまり問題でなくなるような気がする。もともと、日本育ちの子どもとは異なる側面を持ち、かといって純粋に外国人とはいえない子どもたちに便宜上つけられた呼称が「帰国子女」であるという実態がある。
それならば、「帰国子女」とは本来、日本で生まれ、日本で育った、両親ともに文化的にも血統的にも日本人である、ごく『普通の日本人』といえる子どもたちの補集合であるととらえることができる。すなわち、『普通の日本人』ではない日本人の子どもたちが「帰国子女」と呼ばれてきていると解釈することができるのだ。だが、では「普通ではない」とはどういうことなのか。文化的なスティグマあるいはブランド性の有無が決めるのか、それとも本人ないし周囲の認識が決めるのか。
従来帰国子女の特性などがさかんに研究されてきたが、冗談ではない。もともとその「定義」からして「~ではない者」という集団の特性をいくら研究してみても、焦点は拡散していくばかりなのが論理的な帰結である。もしも特性を研究するならば、「~ではない」といっているそのもともとの「~である」人々の特性を突き詰めるほうがよっぽど有用である。
従来の帰国子女研究の落とし穴は、実にここにあったと考える。もちろん、『普通の日本人』の定義づけを行うことも、その特性を項目立てることも、かなり困難なことである。厳密にいえば、本人の国籍以外に「日本人」を区分けする方法はないかもしれない。ではその特性は? 分類しようとするから定義が必要になるのか、定義をつくるから分類できるのか。分類するから特性が生じるのか、特性をつくるために分類するのか。このあたりは博物学あたりの知見に学ぶ必要があるだろう。
ただ、「帰国子女」の定義を問い、その特性を問うことが実は『普通の日本人』の定義や特性を問うことと裏腹になっていると考えれば、その無意味さも無謀さもよく見えてくるのはたしかである。
by 古家 淳
「『帰国子女』という用語をめぐって」という記事をアップした。
ついでにご紹介したのが、僕がかつて書いたこちらの文章。
1985年8月に「私情つうしん」第2号の記事として書いたものだ。「私情つうしん」では「パラダイムの逆立ち」というシリーズを掲載していたが、その記念すべき1本目である。なお「パラダイムの逆立ち 4 帰国子女の性格特性」も同時にアップする。
ちなみに「私情つうしん」とは、「数人の元・“帰国子女”のワクワクする思いから生まれ、海外/帰国子女や異文化、コミュニケーション、アイデンティティ、教育などの話題から輪を広げる」ニュースレターで、2002年に第24号を出して以来、第25号が準備中になっています。
「私情つうしん」から「ぐるる」に転載している記事はこちらにまとめてあります。
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