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フロントガーデンはセミパブリック空間

イギリスで、毎朝散歩に行く習慣ができました。この散歩の楽しみの一つに、よそんちのフロントガーデン(前庭)をのぞくことがあります。

散歩の行先は歩いて15分くらいの野原や町はずれにある公園などさまざま。住宅街に住んでいるので、そういうところに行きつくまでに様々な「普通の」生活道を通ります。私はこういう住宅地にあるフロントガーデンをのぞき見しながら歩くのが好きなのです。

散歩道で見るフロントガーデン

歩道から見える「フロントガーデン」すなはち個々の家の前のスペースは実にさまざま。高い塀が続くような殺風景な景色と異なり、道行く人の目を楽しませてくれます。

このあたりはデタッチトハウスと呼ばれる一軒家やセミデタッチトハウスと呼ばれる建物が二軒に分かれている家が多いところです。そのほとんどの家にフロントガーデンがあります。

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前庭といってもただ庭というわけではなく、車を止めるスペースとかもあるのがほとんど。だいたい家の幅と同じくらいの深さの長さのフロントスペースがとってあります。

イギリスでは公の道路に面する庭の塀は1メートル以下が基本で、それより高い塀を立てるには都市計画許可が必要となります。

この街にはヴィクトリア朝時代、19世紀終わりごろに建てられた家が多く、都市計画制度ができる前にできたものですが、道路に面する塀はおおむね1メートル以下。

その上部に鉄の柵を取り付けている家もありますが、中は丸見えです。フロントガーデンというのは他人に見られることを前提にデザインされたスペースなのです。

19世紀終わりに建てられた頃は芝生や花壇などが主だったはず。でも今はどの家でも1台か2台は自家用車を持っています。フロントガーデンもその半分が敷石やアスファルト、砂利が敷き詰められて駐車スペースとなっているところも多いよう。それ以外が芝生や花壇、鉢植えやコンテナーなどの植栽で飾られています。

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それぞれの庭を見ながら散歩していると、そこに住む人の趣味や生活スタイルまでわかってしまうため、好奇心もそそられます。季節それぞれの趣を見せてくれる樹木や花壇などの植栽、きれいにメンテナンスされた芝生、子供の三輪車が無造作に置いてある庭など。

初めてイギリスに来た頃、同じような郊外の家にホームステイしていました。見慣れない外国の風景の一つとしてご近所のフロントガーデンを眺めながら散歩するのが楽しかったことを思い出します。

パブリック「公」は「私」でも「官」でもない

イギリスの住宅のフロントガーデンは私有地であるとはいえ「セミパブリック」といっていいスペースです。住宅をはじめとする建物の外観も同様ですが、「私=プライヴェート」のものであれ、公の目にうつる景観であるからです。

だから前庭はセミ「公」の空間として、外から見えることを意識してデザイン、維持されています。所有者・居住者はその責任を感じているのです。

家の中は散らかり放題で、家の裏側にあるバックガーデンは芝生を刈らず草ぼうぼうの荒れ放題でも、しったこっちゃありません。でも、家の前だけは最低限の手入れをするのがマナー。

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もちろん、建物の外見にしても同様です。家の中のインテリアは個人の趣味でピンクの壁にサイケデリックなカーペットまたは超モダンな家具でそろえてもいいのです。

でも、建物の外観はその建築物が建てられた時代のスタイルを踏襲し、周りの建物や景観にそぐうようなデザインを維持します。目立ちたいからと言って自分の家だけ赤い屋根にしてみたり、新築する際に「イタリアンヴィラ風」の家を建てたりはしません。

ヨーロッパの景観

イギリス人だけではなく古くからの歴史が続く欧州諸国では公共財産としての景観を大切にします。一軒一軒が目立つのでなく、全体としてまとまった落ち着いた景観を維持するために、そこに暮らす人々一人一人がそれぞれ努力しています。

もちろん法律や制度で取り締まっているからということもありますが、その制度をみんなが必要だと思い支持しているからこそ、その仕組みが続き守られているのです。

私がそもそも都市計画を勉強したいと思ったのは、数十年にヨーロッパへバックパッキング旅行に行き、イタリア、スペイン、フランスなどを回った時にその落ち着いた町並みに感動したからです。日本へ帰国したときに見る自国の景観との差に唖然としたものです。

ヨーロッパの景観がどうしてかたちづくられ、そして維持されているのかその仕組みを知りたかったのです。

その仕組みについてはイギリスの都市計画制度を勉強することで理解できました。かなり厳しく、しかも複雑で手間もかかる制度や法律をもうけ、それをみなが遵守していることで景観が守られているのだということがわかりました。

けれども法律や制度だけでなく、その背景として「パブリック」という意識が市民一人一人に根付いているということが、イギリスに暮らすうちにわかってきました。

パブリックとは

前述したように都市計画制度において「1メートル以上の高さの塀を建ててはならない」という決まりがあります。でも、フロントガーデンをきれいにして外を歩く人の目を楽しませることは法律で決まっているわけではありません。

前庭をゴミだらけにしたり草ぼうぼうにしても逮捕されるわけではありません。まれに誰も住んでないのか、そういう庭を見ないわけでもありません。

けれども、多くの人が人の目に触れるスペースとしてフロントガーデンをなるべくきれいに維持しているのは「パブリック」の精神からでしょう。「パブリック」というと政府や自治体といった「官」のイメージもありますが、そうではなく「公(おおやけ)」すなはち「私ではないもの」といった意味合いです。社会とかコミュニティと言い換えてもいいかもしれません。

「パブリック」は日本でいう「世間」とも意味合いが違います。「世間」とは身内のことであり、親せきや知り合い、ご近所など自分が知っている人、かかわりがある人という印象。それに対し「パブリック」は知らない他人、かかわりがない人でもコミュニティの一員であり、それに対して個人一人一人に責任があるという意識です。

この「パブリック」は「官」とも違います。「官」というものは市民から税金を徴収しその代わりに各種のサービスを一方的に提供する自治体などの組織。でも「パブリック」というのはそれに属するメンバー一人一人に責任があり、自らがそのコミュニティを円滑に保つための努力をするという意識。「お上」に任せておけばいいという意識ではないのです。

このパブリックの精神があるかないかで街の景観とか住みやすさとかが違ってくる気がします。それがわかりやすく表れているのがフロントガーデンなのです。

散歩ルートは季節の庭で選ぶ

毎朝散歩するうちに近所に数ある通りの中でも、特に気に入った通りができてきました。手入れが行き届いた庭やセンスのいい配色で塗られた外観が魅力的な家などが並び、街路樹も植えられているような道など。

そうなると、ちょっと遠回りをしてでもそのルートを通る散歩をするようになり、同行人に文句を言われることもあります。私の場合、花にウィークポイントがあるんですね。

初春には大きなマグノリア(モクレン)の花が咲く木がある庭をみたいし、そのあとは桜並木がある道路を歩きたい。藤が咲く季節には家の前の壁に藤を這わせている家がはずせません。

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6月になるとあの庭のバラは咲いただろうかと気になるし、7月になるとフェンス沿いにラヴェンダーを植えているお宅の前を歩いてかぐわしい香りをくんくんしたい。

リンゴの季節になると、とれすぎるクッキングアップルを「どうぞ」とかごに入れて前庭のフェンスの上に置いてくれるお宅もあります。

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秋には街路樹が植えられている道路の歩道で落ち葉をかさこそ、けりながら歩きたくなります。いい歳してそういうことをしているのを他人に見られてちょっと恥ずかしい思いをすることも。

子供のいる家の前庭

小さな子供がいるお宅では、ハロウィーンやクリスマスの季節など、飾りつけに凝っているところも多く目を楽しませてくれます。

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そして今年は、コロナ禍で奮闘するNHS国民医療サービスのスタッフに感謝や応援の気持ちを込めた子供たちのメッセージもたくさん見ました。

前庭に面する窓にレインボーの絵や 'Thank you NHS' などのポスターを貼ったり、門や塀、私道にチョークやペンキで落書きしたり、思い思いに。

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冬の散歩道

冬になり、街路樹の葉っぱはみんな落ちてしまいました。フロントガーデンも夏とは異なるちょっと寂しげな趣を見せています。

このあたりの住宅街は、家の外にクリスマスライトをこれでもかとキラキラさせる飾りつけをする家はありません。けれども、窓越しにクリスマスツリーが見えたり、玄関先にリースを飾ったりしているお宅もあります。

今日はあいにく朝から雨で散歩はお休みしてしまいましたが、代わりにこの記事が書けたのでいいとしましょうか。

明日は天気になって散歩に行けますように。




いつも読んでもらってありがとうございます。