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小さな浜から大きな海へ:田舎の女の子が海外で都市計画家になるまで

自己紹介とnoteで書いていきたいこと

こんにちは、きみよです。グローバルリサーチというリサーチ・コンサルタント会社をほとんど一人でやっています。イギリス在住30年以上になり、現職の前は16年間イギリスの地方自治体で都市計画家として働いていました。

最近日本の街づくりや地域活性化の仕事をお手伝いすることが増えてきて、もっと知りたいという要望をいただくようになりました。それで、ここでは都市計画や地方創生に関するイギリスでの経験や欧米での情報を紹介していくつもりです。

とりあえず、ここでは私がナニモノなのか、どうしてイギリスくんだりで働くようになったのか、ちょっと私的な自己紹介をします。

ちなみに趣味は:庭仕事、街歩き、散歩、旅行

好きな食べ物は:はっさく、ラセットりんご、洋梨とアーモンドタルト

本屋もない田舎に育ったふつうの女の子

日本の、本屋もない田舎で育ちました。ネットもスマホもSNSもない時代って若い人には想像もつかないのでしょうが、私が育った昭和の1960年代はそういう時代でした。

「女の子は嫁に行くもの」と考える普通の家庭で、周りがそうだから自分もそうなのだろうとぼんやりと考えて育ちました。高卒で少し働いて結婚して専業主婦となって子供を産み、子供が大きくなったらパートに出るというのがロールモデルだったのです。

だから勉強など全然しなかったし、親もうるさく言わなかったので、毎日「はま」で友達と遊びほうけていました。はしからはしまで1キロもない小さな浜が私の全世界で、大きな海の向こうについて思いをはせることもない子供時代でした。

売れ残りのクリスマスケーキになる寸前の転機

今でこそ晩婚も未婚も普通になってきていますが、私が若かった頃は女性の適齢期がクリスマスケーキに例えられていた時代です。ましてや田舎ではまだお見合い結婚なるものも普通に行われていました。

美人でもなく若さしか取り柄がなかった私ですが、幸運にも、はたから見ても申し分のない男性と付き合って結婚寸前まで行きました。とてもいい人だったのですが、このまま結婚して子供を産んで主婦になるという「当たり前」の人生が私にはどうもしっくり感じられませんでした。

いろいろ悩んだ末、クリスマスイヴを迎えた年に、思い切って小さな浜から大海へ出ることに決めました。

海外旅行に行った人など周りにはいないような時代に、パスポートを取ってヨーロッパへ旅行することに決めたのです。テレビやガイドブックなどで見る外国の街を見てみたかったのはもちろんですが、自分探しの旅でもありました。「当たり前の人生」を選ぶ前に、モラトリアムが欲しかっただけなのかもしれません。

ヨーロッパをめぐる貧乏旅

2ヶ月のバックパッキング旅行でスペイン、ポルトガル、イタリア、フランスなどのヨーロッパ諸国を列車で回りました。安宿やユースホステルに泊まり、レールパスで移動し、時には宿泊代を節約するために夜間列車を利用するような貧乏旅です。

パリやローマ、フィレンツェやヴェネツィアなどの観光地だけでなく、普通の人が住み、働くような小さな街も訪れました。細い路地に入ると洗濯物がはためいているような普段着の街がことのほか気に入って、そのうちそういうところばかり選んで旅するようになっていました。

そこにはこういう風景がありました。

百年以上もそこにそのまま建っているような古い建物を手入れして使い続け、何層もペンキを塗り重ねた窓にきれいな花の鉢植えが飾られた町並み。広場や教会の前、カフェなどの公共スペースで地元の人がくつろぎ談笑する様子。

ごく普通の街に住み、働き、くつろぐ地元の人たちは、贅沢な服を着ているわけでもなく、高価な車に乗っているわけでもないけれど、満ち足りた表情をして、家族や友達と楽しそうにおしゃべりしていました。

中心地から外れた何気ない住宅街でさえ、しっとり落ち着いた街並みが続きます。道に迷うまであてどもなく歩いても飽きないほど、私はその景観に惹かれました。それまでは街のつくりとか、景観とかいったものに何の興味もなかったのに、どうしてこれらの街はこんなに魅力的なのだろうと思いながら。

当たり前の人生ではなく私のしたいこと

そして数か月ぶりに帰国すると、バブル最盛期の日本はきらびやかで豊かでした。景気がよかったこともあり、新しい建物があちこちに建てられていました。けれども、旅行前までは当たり前に思っていた日本の風景が私には異様に見えました。

建築物がその規模もデザインもバラバラなうえに、いろいろな方向を向いていて、それぞれが「私を見て」と叫んでいるようです。そして、その上に看板やポスターやポップサインやネオンサインがこれでもかというようにくっついています。

道には個人住宅や店舗のエアコン装置や物置、看板などがはみ出し、電柱や自動販売機だらけ。空を見上げると、電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされています。

私はどうして、ヨーロッパと日本の景観はこんなに違うのだろうと不思議に思って、調べてみました。とはいえ「ググる」ことなどできない、ネット前の時代で、情報を得ると言っても数少ない書籍くらいしかありません。限られた情報からおぼろげながらわかってきたのは、かの地では都市計画というものがあり、そのおかげであのような美しい景観が保たれているらしいということでした。

そしてその時、私は生まれて初めて、自分が知りたいこと、勉強したいこと、やりたいことがわかりました。そうして私は「当たり前の人生」ではなく、「私がしたい」ことをする生き方を選ぶために、再び小さな浜を出て大海を渡ることを決めました。

再び、小さな浜から大海へ

今はインターネットで何でも調べられるし、e-mailやSNS、Skypeやヴィデオ通信など、外国とのコミュニケーションも無料で簡単にできる、便利な世の中になりました。けれども、ネット前の時代は情報を収集するのも、コミュニケーションをとるのもずっと難しくて時間もかかりました。

まずは、東京のブリティッシュカウンシルから情報を得て、イギリスの都市計画コースについて調べました。そして候補として選んだカレッジにエアメールで問い合わせをし、そのうちの一つから入学許可をもらいました。エアメールでのやり取りなので何か月もかかったのですが、その間アルバイトでお金を貯めて準備しました。そして1年後にイギリスに渡り、カレッジでの勉強を経て、大学で都市計画の勉強をしました。

最初は英語がさっぱりわからず苦労しましたが、歯を食いしばって努力することができたのは、子供時代の私を知る人には想像ができなかったことでしょう。昔から飽きっぽくて努力が大嫌いで何をしても長続きしなかったからです。でもそれは自分が本当にしたいことを知らなかったからなのだと、ようやくわかりました。

都市計画の勉強は、当初想像していたアーバンデザインや建築などハードな分野だけでなく、社会、経済、政治、法律、環境など幅広い領域に及んでいました。そのすべてを勉強するのは大変でしたが、そのおかげで様々な知識が身に付きました。

そして、その勉強を終えた後、学んだことを活かして日本で都市計画の仕事をするはずだったのですが、人生思い通りにはいきません。出会いがあって、イギリス人と結婚することとなり、私はそのままかの地に永住することになったのです。

イギリスで都市計画家になる

ということで、私はイギリスで大学修士課程を終えてから、日本でいうと市役所にあたる地方自治体の都市計画課で働いてきました。都市計画家としての国家資格を得て、16年の間、3つの異なる地方自治体の都市計画課で様々な地域再生、リニューアルプロジェクトを行ってきました。

イギリスでは各自治体に専門の都市計画家がいて、地域の都市計画や地域活性化の仕事に携わります。地元住民や事業者などと連携してコミュニティ参加を促し、まちづくりをする上でのマネージャー的な仕事をするのです。政府からの指示や外部コンサルタントによるものでなく、その地域に根づいた自治体の都市計画家が行うので、それぞれの地域の特性を理解した特色のあるプロジェクトとなることが多いのが特徴です。

私も異なる地域で数々のプロジェクトを担当することによって、地域活性化の様々な手法を実践し、経験を積んできました。そして、16年間の経験を生かして独立することになり「グローバルリサーチ」を始めました。

日本の地方創生を手伝うように

イギリス、ヨーロッパ、日本の顧客を対象に仕事をしていくうちに、日本で都市計画、地方創生や地域活性化に携わる人からの問合わせや仕事依頼が増えてきました。海外事例のリサーチに始まり、日本からイギリスに視察に来る人や団体のアテンドといった仕事を依頼されることもあります。そのような仕事を通じて多くの方からお話を伺ううちに、日本で街づくりに取り組む人から海外での生きた情報が求められており、それが実際に役に立っているということがわかってきました。

イギリスをはじめとして、ヨーロッパの街や村も地域経済の衰退や高齢化などの問題を抱えてきました。けれども、それぞれの地域が課題解決のために様々な手法で取り組んでいます。私自身がイギリスの地方自治体でプロジェクトを行ってきた体験から得た知見や教訓からも、日本の地方にも生かせるヒントやアイディアがあります。

そして、バブル後の日本に帰国するたびに、地元や訪問する先々で見る地方の街が年々衰退していくさまを見るにつけ、歯がゆい思いもしてきました。日本にはこんなに美しい地域が全国にあるのに、若者は故郷を離れ都会から戻ってこない。残されるのは高齢者ばかりで、その数はだんだん少なくなっていき、増えるのは空き家とシャッター街という状況。

一つ一つの小さな浜へ届けたいこと

最近、そもそも私はどうしてイギリスくんだりまで来たのかを考えることがあります。もともとは、勉強したことを日本で生かしたいと思ったからですが、イギリスの生活にどっぷりつかり、しばらくは日本のことを忘れかけていたのです。最近になって日本で地方創生に携わる人と仕事をするようになったことで、初心に戻ることができました。

自分が育った小さな浜へも、旅行や出張で訪れたたくさんの浜にも、届けたいこと、伝えたいこと、お手伝いしたいことが私にはあります。都市計画や地方創生の手法や具体例はもちろんですが、他にも伝えたいことがあるのです。

それは「ここは何もない田舎だから」とあきらめるように語る人たちが住む日本の浜や山、村や町がどんなに美しいかということです。自分の住むところに愛着や誇りをもって、そこを暮らしやすく、よりよくしていくことに時間や心や手をかけてほしいということです。

都会のきらびやかな生活にあこがれる若者の気持ちはわかります。私もそうでしたから。でも、美しい自然と落ち着いたふつうの環境を大事にして、愛する家族や友人、隣人と普通の生活を送ることが、刹那的な娯楽や消費文化に明け暮れ、そのために働く毎日よりだいじだということが、今はよくわかるのです。それがイギリスで暮らしてきた一番の収穫だったのかもしれません。

そういうことも含めて、この場で少しずつ外から日本を見ての感想や考えたことを綴っていきたいと思います。

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