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藤井中尉の特攻

今回は、特攻隊の藤井中尉のお話をご紹介させていただきます。

「特攻」それは、自らの命を懸けて特攻する、

完全捨て身の作戦です。

藤井中尉は教官であり、さらに家庭を持っていました。

藤井中尉だけが特攻したのではなく、

妻や子供たちもお国のために命を懸けられた、

家庭レベルの捨て身を貫かれたお話です。

日本を守ってくださった方々への感謝を、

我々は一時たりとも忘れてはいけません。

では、ご覧ください。

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藤井一 茨城県出身 29歳

第四十五振武隊隊長 二式双発襲撃機にて知覧より出撃 沖縄周辺洋上にて散華

藤井中尉は茨城県の農家の七人兄弟の長男として生まれました。

陸軍に歩兵として入隊しますが、優秀だった藤井は陸軍航空士官学校に転科します。

陸軍航空士官学校卒業後、熊谷陸軍飛行学校に赴任、

中隊長として16~18歳の少年飛行兵に精神訓育を行なっていました。

愛国心が強く、正義感の強い藤井中尉は、心根は優しくても教育は厳しかったと言います。

藤井中尉がパイロットを志願しなかったのは歩兵科機関銃隊だった頃、

支那戦線で迫撃砲の破片を左手に負い、操縦桿が握れなくなったからでした。

藤井中尉は特攻作戦が実施される前から口癖のように

「事あらば敵陣、或いは敵艦に自爆せよ、中隊長もかならず行く」と繰り返し言っていました。

とうとう特攻作戦が実施されるようになると、大切な可愛い教え子を自分の手で死地へ送り込む立場になります。

藤井は苦しみ、自責の念に駆られます。

男の中の男、藤井一は生徒たちに言った約束の言葉を、けして破ることができなかったのです。

そしてついに藤井も特攻を志願します。

しかし既に二人の子どもがいて、ある程度の年齢、

しかも将校の志願は到底受け入れられるはずがありませんでした。

軍は、藤井に重要な任務を離れられては困るという理由もあったのです。

しかし、藤井は断られても断られても特攻を志願していました。

藤井中尉の妻、福子さんは高崎の商家に生まれ、お嬢様として育ちました。

戦争中は野戦看護婦として活躍し、支那戦線で負傷した藤井の世話をしたのが二人の馴れ初めでした。

そんな福子さんは、責任感が強く愛国心に満ち溢れた藤井中尉の性格をよく理解していました。


ある日、福子さんは藤井中尉が特攻志願していることを聞かされます。

予想はしていたものの、大変驚いた福子さんは夫を説得しようと必死でしたが、

夫の変わらぬ決意を知った福子さんは、ついにある決断をします。

二人の幼子を連れて飛行学校の近くにある荒川で自決したのでした。

昭和19年12月15日の朝、晴れ着を着せた次女千恵子ちゃん(1歳)をおんぶし、

長女一子ちゃん(3歳)の手と自分の手をひもで結んだ3人の痛ましい遺体が発見されました。

地元住民に発見されたあと、すぐに熊谷飛行学校にも連絡されました。

知らせを受けた藤井中尉は鳴田准尉と一緒に現場に駆けつけました。

師走の荒川は凍てつくような風が吹きつけ、物凄い寒さでした。

遺書には「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」と

藤井中尉の妻らしい気丈な言葉で書かれていました。

この事件は、軍が統制を敷きマスコミなどによる報道もなく、藤井中尉自らも語ることはありませんでしたが、

この悲痛な出来事は飛行学校の生徒のほとんどが知る事実となりました。

この事件の直後に藤井中尉が提出した3度目の特攻志願は、血書による嘆願書でした。

今度ばかりは軍も志願を受理し、異例の特攻隊員として任命しました。

藤井中尉は、葬式が終わった夜、母に連れられて死んでいった娘の一子ちゃんに宛てて、一通の手紙を書いています。


読まれることのない、死んだ娘への手紙です。

【藤井中尉が書いた手紙】

冷え十二月の風の吹き飛ぶ日

荒川の河原の露と消し命。母とともに殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、

一足先に父に殉じた哀れにも悲しい、然も笑っている如く喜んで、母とともに消え去った命がいとほしい。

 父も近くお前たちの後を追って行けることだろう。

 嫌がらずに今度は父の暖かい懐で、だっこしてねんねしようね。

 それまで泣かずに待っていてください。

 千恵子ちゃんが泣いたら、よくお守りしなさい。

 ではしばらく左様なら。

 父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。

 では、

 一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、それまで待ってて頂戴。

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夫を特攻隊として送る妻の決死の覚悟には、

強さとやさしさを感じます。

やはり、戦前の日本女性には縦につながる信念があり、

夫を命がけで支えてきたのだと思いました。

家族で日本のために命を懸けたその姿勢は、

今の日本人に語り継がなければいけません。

 藤井中尉の特攻志願も私達の未来を守るためであることを

決して忘れてはいけません。

特攻隊は犬死にだったなど口が裂けても言えません。

今の日本にこれだけの大義を持った人がいるでしょうか?

今一度、日本を見つめなおしてください。

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