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日本人のメンタリティーと縄文時代

日本人のメンタリティーのルーツというものを考えてみたい。
日本人が日本人らしいという日本人らしさを築き上げた時代があった。
鎖国をしていた江戸時代か?約1000年前の平安時代か?
それよりももっと前に実はその時代があったのである。
それが縄文時代なのである。
この縄文時代は約2万年前から約3000年前までの1万7千年の期間を指す。
この途方もない期間、日本人は日本列島の中で一つの文化を作っていった。

この縄文時代を知るためには貝塚などの古代遺跡を分析する必要がある。
そして未だかつて日本の古代遺跡から一つも発掘されていないものが存在する。
世界中の古代遺跡には必ず発見されるのに日本の遺跡では一つも発掘されていないものがある。

それが対人用の武器なのである。
人が人を殺すための武器というものが縄文時代の遺跡からは発掘されていないのである。
石斧や矢などはちゃんと発掘されています。
そして今のイメージでは毛むくじゃらの原始人が頭くらいはあるのではないかと思われるくらいの
大きな石斧を持っているというイメージがある。
しかし実際の縄文遺跡からは大体5cmくらいの小さな石斧が発掘されているのである。
そして矢尻もたくさん出土しているがその大きさも小指の第一関節くらいしかない。
これはどういうことか。
小さすぎて人を攻撃するためには殺傷能力低すぎるのである。
これはウサギやイタチやタヌキなど小動物を狩るために使っていたと
大きさから判断することができるのである。
石斧も長い竿に小さな石をつけて、対人用の武器にしたら
先に柄が折れてしまうことは容易に想像がつく。
つまり、あくまでも動物をさばくなど道具として使っていたにすぎないことがわかる。

これだけ長い期間の間人が人を殺すという文化ではなかった。
ではどのような文化が育ったのか
遺跡には人骨というものも一緒に出土される。
この人骨は男性のものなのか女性のものなのか鑑定に出さずとも判断できる。
それはなぜか。

女性の人骨にはブレスやアームリングなどたくさんの装身具を身にまとっている
そしてそれがシャーマンのように一部の人がつけていたのではなく
全ての女性が身に着けたているのである
女性がおしゃれをすることができるという文化があるというのは
この時代が平和だったからということがわかる。
王女様やプリンスがいい恰好ができるのは容易に理解できるが
全ての女性が一様におしゃれができるのは平和な時代でなかったらありえないのである。

そしてこの装身具は貝殻などを使って作られているのである。
貝殻を加工するというのは力仕事である。
そして力仕事は男性の仕事である。
このことを考えれば、男性が女性にプロポーズをするときに
一生懸命作ったものを渡していたのではないか。
そのような文化ではないかと考えることができる。

最後に日本人の死についての考えについても少し深堀してみたい。
どの集落にも墓地というものが存在するが
その墓地の位置がとても興味深いのである。
普通であれば死というものは怖いものであり、恐怖であり、できるだけ近くにしたくないものである。
しかし集落の真ん中にお墓が存在するのである
何を意味しているのか。
死者と共に日本人は共存していたのである
亡くなった人を大切に思いながら、おじいちゃんおばあちゃんや
ひいおじいちゃん、ひいばあちゃんなどがいらっしゃったからこそ
自分が存在しているのだと亡くなった人たちを大切にしていた。
このような文化があったのだとわかる。
そしてその文化が1万7千年間続いてきたというのは
素晴らしいことであり、魅力的なことであることであると考える

このような長きにわたった期間が
日本人のメンタリティーを作り上げたのではないかと私たちは考える。


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