#5 レゴラスの母の死 どこまで掘り下げられるかやってみた──"闇の森"はなぜ参戦したか?
さて第5回目は作中に全く登場しない人物。レゴラスの母の死はどこまで掘り下げ可能か限界に挑むよ!
さて…死んだと聞かされているママのお墓がない。お墓がないのは埋葬する対象がないからで、ということは本当は生きてるか、遺体を回収できなかったか──。
【拙訳】
スランドゥイル「レゴラス…母さんはお前を愛していたよ…この世の誰よりも…自身の命よりも」
そう…つまり、レゴラスの母(闇の森の王妃)の最期…遺体を回収してあげられなかったのです。
【拙訳】
レゴラス「かつての敵だ。"アングマール"の古代王国さ。この要塞(※筆者注:”グンダバド”のこと)が彼らの最後の砦だった。ここに大規模な造兵廠を構えていたんだ。過去に我が国もそれらの国と戦った。母はその戦争で亡くなったんだ。父はその時のことを話さない。お墓もない。記憶もない。何もないんだ」
戦死者の遺体は敵に冒涜されるものと心得るべし。まして王妃の遺体となればなおさら敵にとって利用価値は高い。現地埋葬など避けるに限る。そう…遺体は回収できなかったのです。そしてこの映画で言及されている「そうなりそうな」状況といえば、やはり竜の炎だよ。
王妃は ”北方の竜” に焼き切られた
考えてもみてね。スランドゥイルも竜と戦ってるけど、対峙しただけで退治には至らなかった。
【拙訳】
スランドゥイル「我に向かって竜の炎の講釈を垂れるでない。あの心火と荒廃なら骨身に沁みておるわ。“北方の竜”たちと顔突き合わせた仲なのでな」
倒す方法はここまで弩砲(”風切り弓”と”黒い矢”)しか示されてないのに、スランドゥイルは顔付き合せておいてどうやって倒さず逃げ切ったというのか。
ちなみに great serpents の複数形の「s」について。
日本語訳では「何度も」戦ったよう訳されてるけど、素直に複数頭の意味の「s」だよ。
本当にそんなに何度も竜にちょっかい出しておいて逃げ切った経験があるなら、”エレボール”を助けるのも朝飯前になっちゃうからね。
❌ 一頭ずつ複数回 戦った
⭕ 一度に複数頭 と戦った
それに実はスマウグ、ボフールの説明とは裏腹に一瞬で焼き切ってるシーンがない。一度目のエレボール襲撃においても、二度めのエスガロス襲撃においても。だからこの話はエレボールのドワーフたちの被災経験じゃないんだよ。
【拙訳】
ビルボ「炭…化?」
ボフール「ああ、竜は一瞬で骨から肉を焼き切れるからな」「翼の生えた炉みたいなもんさ」「閃光が走り、焼けつくような痛みがパッと一瞬。後は灰の塊しか残らない」
以上から考えるに「王妃が相討ちとなる形で北方の竜たちを倒し、焼き切られてしまった。スランドゥイルは妻の犠牲によって(倒さずとも)生還できた」ことが浮かび上がってくる。
…だとして判明している情報は
それはグンダバドでの戦いにおいてだったこと
グンダバドはアングマールの造兵廠になっていたこと
北方の竜はサーペントタイプ(great serpent/大蛇)の竜だったこと
複数頭いたこと
この4つだけ…。さてここからどこまで掘り下げられるかやってみよう。
アングマールとの戦い と 山の地政学
まずはアングマールについて、原作からざっくり説明するよ。
「アングマール」vs「人間たち」の戦争
その人間たちをエルフたちが支援
支援していたエルフの中に”裂け谷”のエルロンド、支援されていた人間たちの王族の末裔がアラゴルン(馳夫)。後にアラゴルンは裂け谷で匿われることに。
戦争は何百年も続いたが、現在は人間の勝利で終結済み
以上は全て”霧ふり山脈”より西の出来事で、原作では闇の森もグンダバドも一切関わっていない
さて、ここから推察できること。
グンダバド攻めは戦争の最終局面
裂け谷から闇の森へ協力要請があった
当初、王妃は出陣せず、留守を預かっていた
では理由を説明していくよ。
霧ふり山脈より東側がアングマールと無関係でいられたのは、山脈に分断されているという地理条件から。『エスガロス魂』の説明で川の話をしたけど今度は山。
現代でも山小屋に荷揚げする時(ヘリコプターやドローンがあるとはいえ)歩荷と言って、人が背負って山を登る。100kgとかの荷物を背負って山登りするんだからとても重労働なんだけど、水の上を船で行けばトン単位で運べちゃうこと考えると少ないよね。
経済の発展に安価な大量輸送は欠かせない(だから「水」の方は昔から良質の港や水路を巡って戦争になってきたわけで)。陸上で山の向こうに輸送したいなら、せめて遠回りでも歩荷ではなく山を迂回し、平地を荷車で運ぶことになる。
ところが霧ふり山脈は迂回しきれないほど長い。原作で語られるこの山脈の歴史はざっくりいうと「人ならざる者が、歩を進ませないために築いた」もの。越えられなくはないけど、標高も高く、覚悟を持って挑む山。だからもうこの山脈を挟んで自然発生的に生産的で積極的な何かが生まれる状況にない。
そして、アングマールは鎌状の山脈に囲まれた自然の要塞。その奥にグンダバド。ここで武器作って供給してた。どおりで戦争が長引くはず。補給を絶ちたいけど西側からはグンダバドへ攻めこめない。それでも攻めようとするなら「普段はやらない山越えをしてでも東側から」になる。
作戦の要衝 ”闇の森”
この時、西側勢力で最もグンダバドに近いのが裂け谷…と言ってもまだまだ遠い。闇の森⇔エレボールが24時間かかる距離なことを考えれば、裂け谷から最短距離でグンダバドへのルートを取ると、そこは開けた平地の上で24時間ではどころではない距離を行軍することになる。
実際には平地移動は最小限、且つ夜間に限定して、残りは森の中に潜んで移動することになるよ。
ただしそこはスランドゥイルたち闇の森のエルフの領土。連絡もせず他国の軍が現れたら、驚いた彼らがスクランブルしてくる。東側からグンダバドを攻めるためには、闇の森への根回しが絶対必要なんだよ。
こうして原作では無関係だったグンダバドを、映画ではアングマールの後方支援に設定したことで、闇の森が巻き込まれざるを得ない状況を作りだした。それだけに留まらず、一番近い裂け谷のエルロンドが闇の森のスランドゥイルに面会しなければならない状況も生み出したんだね。
これが「裂け谷から闇の森へ協力要請があった」です。
エルロンドとスランドゥイルの距離
映画で見てるとエルフは一括りに見えるけど、作者のトールキンは更に細かくエルフを定義している。
【ノルドールエルフ】エルロンド / ガラドリエル
【シンダールエルフ】スランドゥイル / レゴラス
【シルヴァンエルフ】タウリエルたち闇の森の庶民階級 および裂け谷の庶民階級
エルフにとっての同族殺しは(人間のそれより)禁忌。でも原作で、昔むかしノルドールがシンダールたちをやっちまったことがあってね。この件が要因の一つとなってシンダールエルフたちの国”ドリアス”は滅亡した。生き残ったシンダールたちの中には「罪を憎んでノルドールを憎まず」な者もいたけど、金輪際ノルドールとは関わりたくないって者もいた。スランドゥイルとその父は後者で、結果として闇の森に自分の国を持つに至ったよ、もの凄くざっくり説明するとそんな感じ。
ちなみに誤解のないよう言っておくけど、エルロンドもガラドリエルもシンダールへの同族殺しには一切関係ないよ。
裂け谷と闇の森の関係は控えめに言っても「仲良くはない」から「一緒に戦争しよう」なんて直接持ち込める話じゃない。
共通の友だち ガンダルフ
では両者の橋渡しができるのは?というと共通のお友だちガンダルフ。でも戦争はお友だちに誘われたからって理由でやるもんじゃない。この話、グンダバドに戦争しに行くのが誰にせよ、闇の森に最終宿営地が必要だという西側勢力の都合でしかなく…
【拙訳】
ガンダルフ「かの王国(※筆者注:アングマール)が再興されようものなら"裂け谷"、"ロスロリエン"、"ホビット庄"、"ゴンドール"まで陥落しますぞ!」
つまり闇の森は陥落しない──そうガンダルフも認めちゃってんだよね。
当然スランドゥイルは取り合うことはなかった──闇の森のエルフが赤の他人のために命を散らすどんな利得(国益)があるのか。何もありはしない──とね。
エルロンド vs スランドゥイル 老獪なエルフ同士の高度な外交戦
では利得(国益)なしにどうやってスランドゥイルを説得するか。
脅迫です。
──よろしい…ならば戦争だ。アングマールに味方するグンダバドの味方をする闇の森は、当然西側勢力の敵である。お前たちを叩きのめし、森を我らの領土として使うまでのこと──。
これ実際にエルロンドが口にしたのは「私ノルドールなんです」というような嘘でも脅迫でもない何気ない一言だよ。当然スランドゥイルが行間を読むことを見越して──私ノルドールなんです。あなたが嫌いなあのノルドールです。ドリアスでは同胞が大変お世話になりました。私も同族殺しを厭わないあのノルドールの一人なんです──とね。スランドゥイルは真顔にならざる得なくなった。
これポイントは同族に殺される恐怖ではなく、同族殺しを厭わない相手から臣民を守るため、臣下に同族殺しをさせられるか?ってこと。でもここで退いたら最後、今後何かある度に「同族殺し」で脅されノルドールのいいなり。闇の森は裂け谷の属国に成り下がることになる。こうなると闇の森が独立を守り、同族殺しも回避するには、自分たちがグンダバドを積極的に潰す側に回り、西側の対等な同盟国として名乗りを上げるほかない。裂け谷軍の駐留を許すんじゃなくてね。
作戦成功ラインをどこに設定するか
よし、ではさっそく作戦会議だ。 エルロンドが提示した作戦は山脈の東西から挟み撃ち。西側からエルロンドたちがアングマールを、東側からスランドゥイルがグンダバドを、同時に総攻撃する。これで一気に殲滅し戦争を終結させる。戦争には大きく二つあって…
【絶対戦争】目的は相手を殲滅する事。コストと買う恨みで高くつく。報復の力など残すものか。
【限定戦争】こちらに都合の良い部分的な結果が得られれば良しとする。相手に力は残る。
例えばスランドゥイルが首飾り奪還のためにやろうとした経済封鎖も兵糧攻めも、首飾りさえ戻ればそれ以上はやる気はない。ドワーフを殲滅(皆殺し)するまでのことは考えてない。
西側から見れば、グンダバドを放置し続ける闇の森の態度は、闇の勢力への間接支援以外の何者でもない。でも闇の森とグンダバドにとっては単に現状が今すぐどうこうって状況じゃないだけで、別に仲良くしてるわけでも何でもない。
だから限定戦争として「アングマールへの後方支援をやめれば命は助けてやる」なんて恩着せがましくやっても感謝されるわけがない。むしろ力を残したことが災いして泥沼の報復戦争に突入する可能性が高い。グンダバドにしてみれば正当な抵抗運動。正義の報復戦争。闇の森こそ侵略者。自分たちは被害者。
もちろん報復戦争に突入したらしたで、エルロンドは同盟国としていつでも援軍に駆けつけるつもり。だけど元々闇の森が近いから巻き込みたいという地理上、いざって時に間に合わない可能性の方が高い。
結局、最初から絶対戦争の皆殺し上等でいかないと闇の森に多大な迷惑を掛けることになる。グンダバドを東から攻めると決めた時点で、行くとこまで行っちゃう話なんだね。
これが「グンダバド攻めは戦争の最終局面」です。
相手の心の見えない世界で 仲良くない相手と 通信手段のない時代に 山脈挟んで大規模作戦 は可能か
エルロンドから見れば、スランドゥイルはノルドールってだけで自分を嫌っていて、たとえ闇の勢力の間接支援になろうと、自国さえ平穏ならOKな自分勝手な奴。
スランドゥイルから見れば、エルロンドは同族殺しをするようなノルドールの一人で、案の定その手の脅迫で平穏に暮らしていた自分たちを戦争に引きずり込んできた戦争大好きな奴。
ただでさえ相手の心の内は見えないってのに、この二人が「共同作戦張って山脈の東西から挟み撃ちでの総攻撃」なんて危なっかしく、この状態で共同作戦を始めるのは合理的ではない。エルロンドもスランドゥイルも多くの命を預かる立場上、保証がなければ動くことはできない。特にスランドゥイルは「実力で森を奪ってもいいんだぞ?」と脅されたと感じているわけで、国王の留守に乗じて森を奪われない保証はない。
そこで最終的にこの配置。
ガンダルフが両陣営の保証人としてスランドゥイル軍に同行
スランドゥイルにとっては西側陣営からの人質
エルロンドにとっては西側陣営の監視役
エルロンドは作戦完了まで裂け谷で蟄居
原作でのアングマール最終戦における裂け谷軍総大将がエルロンドから遣わされたグロールフィンデル(※映画には登場せず)であることと矛盾しない
王妃が国王スランドゥイルの留守を預かる
これが「当初、王妃は出陣せず、留守を預かっていた」です。
エルロンドを信じられる信じられないに関わらず、そもそも国家元首の留守をどうするのかって問題は常にあるわけで、簡単に国を空けるもんじゃない。
誰も入れるな 誰も出すな
同様の問題、実は一作目の裂け谷でも触れられてたよ。ドワーフたちが裂け谷に到着した時、応答に出たリンディアは渋い顔をし、奥歯に物が挟まったような物言いで、結局、裂け谷の中に入れてくれなかったよね。
【拙訳】
ガンダルフ「エルロンド卿に話があってな」
リンディア「主エルロンドは不在でございます」
この時、国家元首が不在の裂け谷は厳戒態勢だったわけ。出迎えのリンディアは笑顔かつ平服だったけど、こういう場合、見えないところで兵士たちが弓をつがえ、合図一つで来訪者たちをハリネズミにする算段になってるもの。
【拙訳】
エルロンド「南から来たオークを駆逐にな」「こんなに我らの国境近くオークが現れるのは珍しい。何かが、あるいは誰かが彼らを引き寄せたようだ」
※エルフ語の台詞解説
Elendilion
Meditazioni Tolkieniane
厳戒態勢の理由はオークだった。国境近くに現れるのは珍しいから、臣下に偵察に行かせるのではなく、エルロンド自ら様子を見に行くことにした。でも穿った見方をすれば、このオークたちはエルロンドをおびき出すための陽動で、真の目的は裂け谷への攻撃かもしれない。そのためエルロンドは「自分が帰還するまで誰も入れるな。誰も出すな」と命じて出張っていき、帰還したので厳戒態勢が解除になったわけ。国境の封鎖はスランドゥイルも二作目でやってたね。
【拙訳】
スランドゥイル「国境の監視を二倍に増やせ。全ての道、川だ。動きは無くとも報告を欠かすな。何ぴとたりとも国内に入れるな。また何ぴとも外へ出してはならぬ」
ここまで長い前振りだったけど、やっと闇の森が参戦に追いこまれる条件が整ったよ。そして、ここまで北方の竜の話は出てきておらず、従ってエルロンドもガンダルフもスランドゥイルも、誰ひとりとして"北方の竜"を予見していなかった。
次回、いよいよ北方の竜と王妃参戦
今回のまとめ
グンダバドへ攻め込もうとするならば、闇の森に最終宿営地が必要である
闇の森にこの戦争に参加する利得(国益)はなく、脅迫によって参戦させるしかない
脅迫内容は「同族殺しも辞さない」とスランドゥイルが行間を読んでくれるようなものだった
同族殺しを受けて立つわけにいかず、闇の森の独立も守りたいスランドゥイルは、西側勢力の対等な同盟国として名乗りを上げ、グンダバドを皆殺しにすることを選ぶ
ガンダルフがスランドゥイル軍に同行することで、エルロンドとスランドゥイル双方の保証人となる
この時点では王妃は国王の留守を預かるのが定石で、竜と戦う状況にない
誰ひとり"北方の竜"を予見していなかった
映画『ホビット』EE版(エクステンデットエディション版)の考察です。
考察は一定のルールに従って行っています。
掘り下げは日本語版ではなく、原文(英語/エルフ語)で行っています。英語とエルフ語に齟齬がある場合、エルフ語を優先。エルフ語については出典を示します。英語は自力で訳しましたが精度は趣味の域を出ません。
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