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一人になりたい日の読書と映画

12月23日(月)

明け方、自分が歯をぐいぐいと食いしばっていることに気づいて目覚めた。驚くほどきつく噛んでいた。整体や歯医者で指摘されていた無自覚な食いしばり癖を初めて自覚した。
しかも右頰の肉をちょっと歯の間に巻き込んでいる。歯医者にかかる前から歯を噛み合わせる位置の近くの頰に口内炎がいくつもできていたのだが、これが原因だったのかと納得。
自分の体のことが自分でわからなすぎる。

10時前に職場に着いて、コーヒーが無限に出てくる部屋でのんびり仕事。

仕事開始早々、部屋の主が通常の3倍はありそうな大きなどらやきをくれた。朝シュトーレンを食べたけれどまあいいか、と思ってその場でコーヒーと一緒に食べる。

仕事の合間に山口旅行記の一日目を書いた。

昼ご飯を食べて戻ってくるとすぐ、部屋の主が私にプリンをくれようとした。

一日に食べられる甘いものの量には上限がある。

「ごめんなさい、さっきどらやきをいただいたので、甘いものはもう大丈夫です」と断ったけれど、

「え、でも、これ、けっこういいやつですよ。美味しいと思うんで」と机の上に置かれた。え、でもじゃねえよ。今私の言ったこと聞いてた?

コンビニのものではなく、わざわざ洋菓子店に買いに行ったそうだ。

もちろん賞味期限は今日中となっている。
プレッシャーがすごい。

あーあーあーあー。

食べものを粗末にすることと人の好意を無下にすることに対する罪悪感でいっぱいになる。
それを「スイーツ・ハラスメントだ」なんて思ってしまう自分の性格の悪さにもうんざりする。
いたたまれなくなって、用事を作ってオフィスに戻り自分のデスクの掃除などをした。

コーヒーが無限に出てくる部屋に戻ると、部屋の主が不在で、大食いおじさんが休憩しに来ていたので、私がもらったプリンをあげた。

おじさんがプリンを食べているところに部屋の主が帰ってきて気まずい思いをしたが、もらったものはどうしたってかまわないはずだ、と自分に言い聞かせる。
部屋の主は、私には何も言わなかったが、おじさんに
「このプリンいくらしたと思いますか?500円ですよ!」
などと言っていた。
その後は、「〇〇さんが最近この部屋に来ないのは僕のことが嫌いだからじゃないか」「みんなでLINEやっていて僕だけのけものにしてひどい」などの愚痴をおじさんにしきりにこぼしていた。
私に話しかけているわけでなくても、聞いているだけでめんどうになって、あーもう無理、と思う。今日も今日とて一人になりたい。
一人の時間を確保してゆっくりできたら、歯が削れて頰の肉が炎症を起こすほど夜中に歯を食いしばることもなくなるはずだ。たぶん。

退勤して、映画「マリッジ・ストーリー」を観るために渋谷に向かう。
2時間ほど時間があったので、宇田川町で本屋併設のカフェに入り、カモミールティーを頼む。
やっと一人でゆっくりできる。

スマホの電池があまり残っていなかったのをこれ幸いと、久々に読書に没頭した。
読んだのは文フリで手に入れた『最悪』(帰ってきた青い花)収録の、灯子さんの「いつかのおつきみ」。
自分を置いて去っていく大切な人、いつしか忘れられてしまった記憶、主人公が語るいくつもの喪失に胸がきゅっとなりながら読んだ。

だけど、私たちが失うことができるのはそこにたしかにあったものだけだ。
そして、失われてしまったと思っても、形を変えて残り続けるものもある。
宝石のようにひかる文章が、主人公を、読者を、波のように押し寄せる喪失の先に導いていく。せつなくてやさしい物語。

そして、表紙のベルベット加工のなめらかな表紙! 文章では手触りがうまく伝えられない。

私が今後この物語に思いを馳せるとき、いつも、両手ですっぽり包み込んだこの表紙のしっとりした手触りを一緒に思い出すだろう。これが違う大きさ、違う手触りの本だったら、物語の印象も大きく異なっていたと思う。

自分たちのサークルの本を作るときに、より目に留まりやすいように、より作品の内容が伝わりやすいようにということはこれまでももちろん考えてはいた。けれど、本の姿形や手触りが、読み手の体験に大きな影響を及ぼすということについては真剣に考えたことがなかった。
今後は真剣に考えたい。次の自分の新刊、中身と同じくらい外側もこだわってすてきなものにしたい。

19時半を過ぎたのでアップリンク渋谷に移動する。入口がわからなくて右往左往した。

「マリッジ・ストーリー」は、同じ劇団で監督と役者を務める夫婦の離婚劇。
夫婦どちらにも肩入れせず、それぞれの心の機微を丁寧に描いていて良い。
どちらが悪くてどちらが被害者とかそういう簡単な話ではない。

そして、何か表現したい人同士が互いを殺さずに一緒にやっていくのはとても難しいんだろうと思う。家庭生活と両立させようと思ったらなおさら。

終始アダム・ドライバーから目が離せない。
妻に髪切られているときや泣いているときの無防備さはどういうことなの。
スカーレット・ヨハンソンがナンパ師と関係を持つシーンが特につらい。あの箇所だけで、夫婦関係が彼女にとってどんなものだったかわかってしまう。

まりこさんがこの映画を薦めてくれたのは、私が離婚経験者だからだろうかとふと考える。(あるいは主人公の妻が表現者で、家事が苦手だったからかもしれない)

歯車が噛み合わなくなって、お互いに対して溜め込んだ不満が爆発するときのあのかんじに既視感はあるけれど、もうそこに自分の過去を重ねたりはしない。
他の物語を借りなくても、語りたいことは語るべきタイミングで自分の言葉で語る。他の物語を血肉にして。
そうできると思う。

#日記 #エッセイ #映画 #マリッジストーリー #文学フリマ

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