花が綺麗だと思えないのは「生きづらい世の中」のせいだ
「年を取って、やっと花を綺麗だと思える余裕ができた」
その言葉を聞いて、私は少し、違和感を覚えた。
花は人を癒す存在であるはずなのに、なぜ“余裕のある人”にしか届かないのか。
心に余裕のない人、癒しを必要としている人にこそ必要な存在なのに、なぜそんな人に届きにくいのか。
なんでだよぉ~(泣)
余裕がないと「花が綺麗」と思えない
私は、花がめっちゃ好きです。
花が好きになった理由はたくさんある。
見た目の華やかさ、思わずうっとりしてしまう香り、人に勇気を与えてくれるような花言葉…。
花って、たくさんの魅力があってめちゃくちゃ奥深い。
そして、何より人を癒してくれる存在である。
けど、花って、本当に癒しが必要な人になかなか届かないものだったりする。
そう思ったキッカケが、ある人の
「年を取って、やっと花を綺麗だと思える余裕ができた」
という言葉でした。
何で、余裕のある人にしか、花の美しさや癒しって届かないんだろう?
せっかく、こんなに綺麗なのに。
なぜ、本当に癒しを求めている人には届きづらいの?
花が綺麗だと思えないのは“生きづらい世の中”のせいだ
私は最近、フラワーセラピーという“花”と“癒し”に特化した資格の勉強を始めました。
いけばなやアートフラワーの教室に通い始めて気づいたことがある。
花に自ら触れに来るような人は、主婦層や年配の方が圧倒的に多い。
20代の人ってほぼいないの。
それには色々な理由があると思う。
まず、花って高い。それが華道などの芸術や娯楽になると、もっと高い。
若くてお金に余裕のない人が、わざわざお金を出して触れようと思えるものでもない…のかもしれない。
20代でバリバリ働いていたら、生活をしていくのにも一苦労だ。
“余裕のある生活”ができている20代なんてほんの一握りだと思う。
生きるために嫌な思いをしながら働いて…
生活をするためにやりたくない仕事をして…。
そんないっぱいいっぱいの生活をしながら道端に咲いたたんぽぽを見て、「綺麗だな」なんて思える?
わざわざお金を払って「花を見に行こう」なんて思える?
思えるはずない。生きるのに精一杯なんだもん。
私もそうだった。
「こんな嫌な仕事をして生きていくなら死んだ方がマシだな」
「いっそ誰か殺してくれたら楽になれるのに」
そんな思いをしながら生きていたら、道端に咲いた花を「綺麗だ」と思えるどころか、花がそこに咲いていることにすら気づかない。
生活のために、自分自身の身体をどこかに忘れてきたかのように頑張っている人がたくさんいる。
花は、そういう人こそ癒す存在なのに。
「花が綺麗だと思えないのは、私の心が汚れているからだ」
そう思っちゃうかもだけど、絶対そうじゃない。
今、花がこんなに好きな私でも、道に咲いた花を踏みつぶしていた時代があったよ。
花が綺麗だと思えないのは、あなた心が濁っているからじゃない。
こんな生きづらい世の中に生きているから。だと、思う。
花は多方面から愛を受け取れるアイテム
花って、愛に直結している。
例えば、道端に咲いた花は、自然や宇宙からの愛の贈り物。
駅やお家の庭に咲いた花は、毎日手入れをしてくれる誰かからの愛の贈り物。
華やかな見た目で、“視覚”を癒してくれる。
いい香りを纏って“嗅覚”を癒してくれる。
時には蜜を吸って、食べて、“味覚”を癒してくれることだってある。
風になびいて揺れる草の音に、“聴覚”が癒されることだって、触れてふわふわとした感覚に“触覚”が癒されることだってある。
え?すごくね?
シンプルに、花ってすごくね?
めっちゃ愛じゃね?
それと、若干スピリチュアルな話にはなってしまうけれど、花が枯れるのは“人の悪い気”を吸収して浄化してくれているからという説もある。
花は愛に飢えている人に愛を与えてくれる存在でもあるのです。
多方面からね!
だからこそ、心に余裕のない人、苦しい人、悩んでいる人にこそ花に触れて見てほしいなぁって思う。
仕事帰りに1輪200円の花を買ってみても良い。
気付かないだけで花ってコンビニとかスーパーでも売っているのよ。
せっかく買ったんだから、家に飾って、寝る前に10秒だけでも眺めてみてよ!
それが無理なら、その辺に咲いている花を10秒眺めるだけでもいいよ。
そんな余裕もなければ、花の画像を検索して眺めてみるだけでもいいかも。
その数分が、あなたの心に余裕を与えてくれるはず。
その数秒が、絶対にあなたを癒してくれるはず。
花って、そんな存在です。