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「いま」を表現するだけのマガジンの終わり。

2023年から、関西ではマガジンの現場から少し距離を置くようにしています。いち読者に数十年ぶりに戻ったわけですが、書店で書棚を物色しても、手に取るマガジンはあっても、お金を出して買いたいものがないんですね。
それって何でだろ、ってことをちょっと考えてみました。

“振り切れない”ところに無理がある。

結論から書くと、「いま」を表現することに熱量を込めているマガジンは、つまらないということ。
インターネットがなかった時代はそれが価値だったと思います。
当時派お店でも食べ物の味でも土地でも、「これ、どお?」とドヤな気持ちも少し入れつつ、表現してきました。それがやや深掘りされた情報としては最新だったし、雑誌の特集を見て、テレビの情報番組はネタを考えていたこともありました。情報交換の会がありましたし。
わざわざ書くことでもないのですが、「いま」はWEBやSNSのものです、もう。たくさんの個人意見がそこには集まっていて、参考になるものや鼻につくもの、よりどりみどり。

それらは無料で得られる情報です。無料=軽い情報では、ありません。
その対極に有料で得られる情報があり、マガジンはその側にあるわけですが、どうも、情報が境界線上を右往左往していると感じられてなりません。
境界線とは、「いま」と「いまではないいつか」の境目だと考えています。
・過去から掘り返した、いまにつなぐ物語。
・いまを出発点にして未来志向で描く物語。
こういうものは、テクニックが必要ですが、WEBやSNS向きではない気がします。表現したものを読んでもらうために、時間を費やす必要があるから。

多くの編集部ではそんなことわかっているって人が多いはず(と願う)ですが、それでも振り切れない。失敗したら怖いから。

「丁寧」だけじゃ、物足りない。

私が経験してきた、係わってきたマガジンとその編集部では、きちんと情報のウラを取ることが是、でした。
これは現代でも必要な作業ですね。むしろ現代だからこそ必要、かな。
個人的にはこの作業に加え、編集やライターの姿を消す、ってのも必須だったりします。取材対象と読者とをつなぐための“糊”でしかありませんから。
こうなると極めて丁寧に仕事をしていくことになるのですが、それじゃあつまらない。

へ〜、とかほ〜、とか、なるほど!、とかふむふむ、とか。そんな心の声が出てしまうようなことを提供しなくっちゃ。
マガジンが売れるかどうか、企画で賭けをするようなものです。そうしてきました。反響が想像以上に大きかったらムーブメントとして育っていくし、反響が思ったほどではなかったら、自分のセンスのなさを憂い、もっと磨こうと考える。これって、誌面で表現することが可能です。そこにひとつの面白さが存在していると思います。
しかし近年、丁寧ではないと感じられるマガジンは、日本語が雑だし、デザインの組み上がりは安易だし、何を見せたいのか、知らせたいのか、ものすごくあやふやです。
読者は不完全燃焼、買って読んで得るものは物足りなさ。そんな気持ちが一度や二度起これば、もうそのマガジンは買いません。
そんな時代だと思います。興味を持つのも離れるのも、早い。
だからかなぁ、無難なところで手を打っているような企画、記事。
マガジンの現場にいるカメラマン諸氏とたまに話をすると、寂しげな言葉がポロポロと出てきます。

「いま+いつか」をストックしてもらおう

「いま」を取り上げるだけではもうダメで、そして「いま」と「いつか」のセットを読み流してもらう企画でも、物足りない。
読み流す、流し見する、情報の提供なんてのはWEBとSNSの方が確実に得意ですから。恐らくマガジンに必要なのは読者がストックしたくなる「いま+いつか」を提供できることなのかと。
ストックしたら、誰かに話したくなったりします。
物語の現場に足を運んでみたくもなります。
物語の登場人物になりたい、と思う人が出るかもしれません。
そうやって、提供した情報で人が動き、人の動きで社会が動く。マガジンは昔も今も社会活動の一部ではあるので、これからも一部を担えるために、どんな価値を提供するのか、真剣に考えるべき地点に多くのマガジンが並んでいると思います。


先日入ったコンビニのマガジンコーナー。1ラックで終わっていました。

大阪市内のコンビニのマガジンラックを、先日見て回りました。
ほとんどのお店で、ラックの数は減少。ほかに売るもの、売りたいもの、売るべきものがあるからってのもありますが、もうコンビニで今を得る必要がない時代、ってこともあります。
反対に、ちょっと郊外の、電車よりも車で移動する人の方が多い町のコンビニに寄ると、マガジンラックが窓に沿って並んでいるところはまだまだ多い。
つまり地域によっては、「いま」をほしがっている人が多いエリアもまだまだあるってことかと。

それから、記事を書くライターさんの思考が停止している気がしないでもない。取材した、己の知識とすり合わせた、書く。その3ステップをまだ進んでいるような記事が多い。
要は取材して知り得た情報を、己の知識と追加で得る新たな知識とでミックスして、どんな味を創りだしたいか、だけでなくて、それを、お金を払ってでも得たいと感じてもらうための最終形を意識して創り込むことができないと、もうダメなんだと思う。

・・・と、まぁ、大阪の中心部にある大型書店のマガジンコーナーを数店舗巡って、並ぶマガジンをペラペラめくって、感じました。
現場から距離を置いたから、もしかしたらこんなことを感じられるようになったのかもしれません。
マガジンはこれからも、読者をワクワクさせる存在であってほしいと強く願っているわけですが。