どんな特性があっても“徳性のある子”と言えるように
発達に関する話題になるとよく言われる「特性」という言葉、皆さんはどんなイメージで捉えておられるでしょうか。
「特性のある子だから」「変わった特性なんです」と、発達の相談事の中で多くの方が言われます。
その子の個性でもあるが、ちょっと困った特徴、というようなイメージで語られることが最近増えたのではないかな、と私は感じています。
一体「特性」とは何なのでしょうか?
「特性」とは、パーソナリティ(性格、人格)とも言われる概念です。
人が個々に持っている性質のことで、よくある性格診断や、○○診断といったものでも知ることができます。
「特性」は本来、道徳的に良い・悪いで捉えるようなものではなく、“人それぞれ”持つものです。
ですが、発達に関する情報が溢れ、支援が充実してきた中で、この「特性」をなんとなく、ネガティブな意味合いを込めて使ってしまっていることが、あらゆる場面が増えたような気がします。
ある意味オブラートに包んで伝えられる言葉でもあるので、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも、「特性」という言葉でひとまとめにしてしまうようになったのだと思います。
言葉の使い方とは難しいものです。
それなら私は、「特性」を「徳性」という言葉に変えて、子どもたちをより良く捉えられるようになれたら良いなと思うのです。
「徳性」とは、道徳的に良いこと、それが言動にあらわれていること、人を愛して尊敬すること、忍耐力を持つこと、勤勉であること、正直で誠実であること、恩を感じてその恩にきちんと報いることなど、本来人間が備えている道徳心や優しさ・真心であり、それを養い、日頃から発揮できることです。
「徳性」は自ら学んで養っていかなければ、発揮されません。
「徳性」を養うために人間学という学問や、道徳の授業があるのです。
人から慕われるような徳があってはじめて、その人の持つ個々の力も良い方向へ発揮されていきます。
「徳を積む」という言葉があるように、常に相手の考えや心情を汲みとることに努め、本当に必要な判断をできるようにし、善い行いを重ねられる人間になることが大事です。
人に心から感謝して、お礼が言えること、責任感を持って行動すること、すぐに他人のせいにしないこと、謙虚であること、損得勘定だけで物事を考えないなど、そういったことです。
今の子どもたちにその感覚を磨いて、高めていってほしいと私は思っています。
やんちゃな特性があるとか、こだわりが強いとか、多少困ったさんな一面があっても良いのです。大なり小なり人は困った面を持っています。
その面より「徳性」の方が目立てば、困ったさんの部分は自然と気にならなくなります。
発達支援や学校教育の場、そして家庭が、特性に応じた関わり・配慮だけで留まらず、「徳性」の高い子どもを育てる場になっていくべきだと私は感じています。
子どもが生きやすいように、困らないように、と子どもの育ちをサポートしようという考えが世間的に高まっているわりには、この”徳性”を育てるという点に対しては、あまり考えが及んでいないのではないかと疑問に思うのです。
子育てのサポートとか、子どもに関する手当等の金銭的なこととか、表面上と言いますか、外側のサポートばかりで、内面や人としての心を磨いて育てるということが、今の世の中は充実していないなと感じるのです。
サポートしてもらう、何かを免除してもらう、配慮してもらうといったことが当たり前になり過ぎて、何事にも受け身な子になり、そのまま大人になって、社会に出たら常に指示待ち。自発的に動けず、仕事の場で役に立たない等、こういった現場の困り事を私はよく聞きます。
「○○の仕事はしたくない」「○○は苦手なんだから気を遣ってくれるのが当然でしょ」と、特性や障害がどうであるとかは関係なく、自発性、協調性、他者への思いやり等、内面全体が育っていない人は、どんな人でも人として残念になっていきます。
そんな残念な人が増えてほしくはありません。
嫌なことや思うようにいかないこと、人が認めてくれないことがあっても、人を思いやる気持ちを持って、いつも誠実に、自分で考え行動できる人には必ず、見守ってくれたり、助けてくれたりする応援者が現れます。
そして、良いことも必ず起きます。
善い行いと心を磨くことを大人も子どもも意識していきましょう。
大人がまずは手本となり、その姿を見た子どもたちが『善い行いとは何なのか?自分は何をすれば良いのか』を考えていけるようにしましょう。
親や先生、周りの大人が人に感謝しない、お礼を言わない、ごめんなさいが言えないような人だと、それを見て育っている子どもも人に感謝しませんし、お礼も言いませんし、ごめんなさいも言えない子になります。
親が人の悪口ばっかり言っていると、その子どもも人の悪口ばかり言うようになります。人の良いところを見るより、粗探しをすることばかり上手になって、意地悪な人になっていきます。
「子どもが意地悪なことばかり言うんです」
「先生や友達を馬鹿にしたような態度を取るんです」
こういったことをよく聞きますが、そういう子にしたのは大人です。
親なり、親の知人なり、学校なり、どこかしらに良くない手本の人が周囲にいるのです。大人の責任なのです。
子どもは大人の姿・振る舞い・言動一つ一つをよく見ていますし、そこから学んでいます。
自分は子どもにとって、良い意味で手本や参考になるような、誠実な言動ができているのか、徳性ある振る舞いができているのか、今一度振り返り、子どものことをどうこう言う前に、己を正していくことが大人のすべきことと私は思っています。
特性の高い人間を目指しましょう。