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空と愛

健康をテーマにしていますが、
このnoteの裏テーマは色心不二とある通り、
仏教、特に空思想にあります。

空とは何か。

そんなん知るかい!!
…と言いたいところですが、
一応大学でも宗教学を学び、
卒論も「金剛般若経における菩薩の考察」という題で書いたので、
多少なら空について語っても良いのではないかと思っています。

そう大学生の時、
"空"がさっぱり分からなかった。
いや、本を読めばなんとなく分かりますよ。
例えば中村元先生の説明は空はこうです。

原語シューニヤターの訳。「なにもない状態」というのが原意である。これはまたインド数学ではゼロ(零)を意味する。物質的存在は互いに影響し合いつつ変化しているのであるか、現象としてはあっても、実体として、主体として、自性としては捉えるべきものがない。これを空という。しかし、物質的現象の中にあってこの空性を体得すれば、根源的主体として生きられるともいう。この境地は空の人生観、すなわち空観の究極である。

般若心経・金剛般若経 岩波文庫 中村元、紀野一義訳註

なるほど、
空は実態のない事であることは分かった。
それを考えることは難しいことではない。
私たちの体も含め、
全ての物質は結局は原子、粒子の集まりであり、
究極的にはそれ自体に自性として捉えるべきものはないであろう。
現代なら中学生でも分かる話だ。

しかし、
古代インドにおいてこの空思想が見直された時に、
大乗仏教、つまり大衆までの救いを目指す仏教運動が起きている。
大乗仏教は空を標榜して起きた仏教運動であるとも言える。

なぜそうなるのか?
大乗仏教は自分以外の他者への救いや慈悲を何よりも大切にしている。
その運動が空を旗印としている。
なぜ?
空が無自性を説明するだけならば、
もっとニヒリズム的になり、
他者はもちろんこの世界の全てを無意味と位置付けても良いはず。
現に六師外道と呼ばれる人たちの中にはそう考えた人たちもいた。
それなのに、
空の関心ごとは他者であり、一般の悩める人々なのである。
それまでの修行者中心の仏教から一般の多くの人々の為の仏教への変身が大乗仏教だと言える。

ここに私の謎があったわけです。

"空"は単なるニヒリズムではなく、
空そのものが他者への愛を肯定する原理とならなくてはならないことになってくるのです。


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