愛
公演が終わりました。
お礼の記事をあげた直後に何なんですが、、、な内容です。
公演が終わり、やっとこさ、心身共に平常に戻ってきました。
平常に戻って、まずは、色んな方に、ありがとうと伝えたい。
それに反して、、、
振り返れば、辛いだけの月日。
首を絞めていたのは、自分自身だった。
『どうして私だけ』とか、『私ばっかり』とか、『あの人は良いよな』とか。
環境のせいにしたり、妬みや嫉妬もおぼえた。
でも、手を差し伸べてくれる人や声をかけてくれる人は必ず居て、その度に自分の器の狭さを感じ、それがまた自分を責める。
その繰り返し。
辛かった。
そんな自分が。
役に専念出来ないまま、舞台に立つことになってしまった。何よりそれが悲しくて、悔しい。
意地とプライドだけで乗り切った。
助けを求めるべきだったかもしれない。
ぶつかってでも、話し合うべきだったかもしれない。
それだけの覚悟と愛が、私には足りなかった。
その結果だと思います。
これまで、どんなに恵まれた環境でやってこられたか。
どれだけ周りが大変な思いをしてきたのか。
それが少しでも分かったことは、とても勉強になったし、知らないままでは気付けないことも沢山ある。
声を掛けてくれたあの子の事を、人として羨ましく感じたけれど、あの子もまた、きっと同じ経験を何度もしたんだろう。
私は、役者をする事が好きだった。
今でも好きだし、その面白さ、楽しさを伝えたいと思っていた。
でも、好き だけではかなわない。
愛 がなければ。
愛がある人は強い。
愛とは何ぞやと問うた時、辿り着いたのは、思いの深さだった。
好き だけではない深さ。
何よりも思う深さ。
敵わないですよ、そりゃぁもう。
何言ったって、そこには揺るぎない愛があるのですから!
私の限界は、ここにあった。
思いの深さ。
私は、役者が生き甲斐だと思っていたし、今でもそう思っているし、もっとやりたい!今回の役なんてすっごく消化不良だし、悔しいし恥ずかしいからリベンジしたい。これからだって、もっと色んな人生を演じたい。
公演が終わるまで、つらくて、これが終わったら引退だなって考えてた。
でも、終わってみて、未練はある。
反面、もう懲りたなって思いもある。
私は、自分のために芝居を続けてきました。
そこに愛はあるんか?
とおかみさんに聞かれたら、『う』と『え』と『お』だけですと答えます。
それだけだって良いじゃない。
続けていく理由にはなります。
だけど、、、。
公演が終わって、とてもお世話になったSさんへ挨拶に行くと、そこでは、演出家に音楽について熱く語っているSさんの姿がありました。
その姿に、とても愛を感じたのです。
後日、LINEで挨拶を送った時、
『Sさんの、音楽への愛がハンパないと感じました』と送りました。唐突すぎて、何言ってるの?と言われると思っていたら、
『音楽は愛です!』と、即答されました。参ったなと思いました。
私は、役者をやっていきたいけれど、それだけの愛は注げません。
家族の時間もつくりたい。
ゆっくりと自分だけの時間も欲しい。
旅行もしたいし、近所の散歩でもいいから旦那とデートがしたい。
どうやってバランスをとったらいいのか、何かを手放さなければ無理なのか、これから先のことはまだ分からないけれど、己の実力とかも見つめながら、人生を歩んでいきたい。
簡単には答えは出ない。
自分で答えを出さなくても、そもそも役者として声がかからないかもしれないし😅
それならそれで良いかなと、思える。
今回、逃げ出さずに最後までやり遂げられたのは、noteを通して見守って下さった方の力が大きいです。
仲間にも、家族にも、恩師にも助けられました。
私は恵まれているのです。
それでもなお、今まで感じたことのない限界を身体中で感じました。
ヘルニアと診断された腰は、舞台が終わった途端、痛みがやわらぎました。不思議です。
他にも色々。
声を上げて泣きました。
いい大人がです😓💦
振り返れば、とても貴重な経験でした。
四半世紀もやってきましたが、初めてな感情がたくさん私を包みました。
まだまだ、不安定ですけど、無理に決めつけず、ゆっくりと、いきていこうと思います。
これからも、皆さんの記事を目にしながら、時には私も何かを発しながら。