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【思い出】仲間だったかもしれない教授【懐】



今思えば、あの人は「仲間」だったのかもしれない

今までほとんど人に話さなかった話を最近思い出したので書いてみます。
何をどうアレなのかはわからないですが、ここ数年は人と少し話してみて、早ければ10分以内に「仲間かもしれない」と漠然と思うことがあります。

で、合ってる

今ではままあることだけど、それまでの人生でその感覚を辿った時に、1人だけ脳裏に過った、その人のはなし。


クソ怖教授


「今日ふくだのゼミ室の前を通ったらお通夜みたいだったけど大丈夫?」

大丈夫なのだ

大丈夫どころか

むしろ通常運転である

3年生から始まったゼミの教授はクソ怖で有名だった。
口に出して、出さずともみんな怖がっていた。
とにかく20歳そこらの学生に本気で怒鳴る。
ゴリゴリの文系の我々にはいささかカルチャーショックな彼で、とにかく無表情で淡々と、いつも全身真っ黒の服に髭。

普段の私を知っている方は髭以外は同じと想像がつくはず

知らぬ間にクソ怖教授の後を、確かに追っている。

やだやだ



理解者を知る貴重な時間


教授と2人で話すことが増えた

卒業制作は短編映画を撮ったので本当に忙しく、留年が決まっていたので講義に出ることも無いのに、時間が無い。
横になったら寝てしまうので椅子でうたた寝。
クラウドが無いので書き出すにも本編と同尺かかる。
当時は本編が30分なら30分かかった。
ちなみに今は中身にもよるけれど1時間半の本編が30分かからない程度で書き出せる夢のような世の中。

教師が嫌いなので2人になりたくなかったけれど、そうはいかない。
ほぼ毎日作品を見せてアドバイスをもらって、それから2時間は別の話になって気づけば本当にとっぷり22時になってしまうことも増えた。

この、東京と呼ぶには余りにも埼玉な、真っ暗で怖い道を、一応、一応、23歳の女の私はこれからチャリで帰るんだが、と毎回思っていたけど、教師と話すのは安心できた。




「お前タバコ吸うんだろ?いいよここで吸って」

ある日、やはりとっぷり夜の個人研究室で話していた時に言われた。
さすがの私でも「それは…いいのか…?」と無表情で逡巡していると

「俺の研究室でタバコ吸えるのは、お前が2人目だよ」

と若干誇らしそうに笑っていた。
いや前におるんかい、と思いつつも鈍感な私は「…ハァ…」と気が抜けた返事をして、一緒にタバコを吸いながら話した。
今思えば偉そうで生意気で無表情で身も蓋もないことを言って腫物扱いされていた私「こいつは面白い」と思ってくれた証なのかもしれないとわかる。

良いやつじゃん!




「お前はどうして俺の話がわかるんだ?」


今ならこの意味が心底わかる

普段周りにも理解者がいないのに、歳の離れた若造に話が通じる、これは嬉しくてありがたい話で、私が感じたように彼もどこか安心を感じていたのかもしれない。
だけど当時は全く自分でもわかっていなかった。

ただ「この人には思っていること言っても大丈夫なんだ」と思って話していた

とは言えうちの教授は当時まだ准教授で、38歳とかだったので全然若かった。
なんなら当時付き合っていた人より若かったし、見た目もちゃんと素敵な、いやちゃんと好みの人だった。
多分そこは今も変わっていない。

そう思うと人の好みって変わらない気がする

それと、今ならうまく自分を口説かせる方向に持って行っていた気もする

うまくいくかどうかは別として


いつまでもどこまでも鈍感


「お前はどうして俺の話がわかるんだ?」

「…さぁ、わかんないすね笑」


23歳やそこらで今ほどの理解力も言語化能力もあるはずがなく、あとしょーじき疲れていたので言語化がめんどくさい、もあった。
シンプルに頭が働いていない。

「俺はいつも話が通じないのに、お前はどうして俺の話が理解できるんだ?」

だから知らんての


それでも彼は本当に私にたくさん話してくれた。

思考について、教育について、芸術について、そして未来の希望について

もしかして普段、それを話せる人がいなかったのかもしれない。
はたまた、今までの私のように「ハテ?」とか少し賢い人の「わかったフリ」、それか誤解や歪曲に悩まされていたのかもしれない。

てか多分そう

あの怒り、フラストレーションに、覚えが無いはずが無かった

でもそれは、同じ歳くらいになって私もよくやくわかったことだった

追いたくねぇなぁ、、、



その後


最後に会ったのが2010年頃

一度だけ開かれたゼミの飲み会で気分良く酔われておられた。

「お前たちはな、1+1=2、が納得できないから美大に来たんだよ」

これは割と真理かもしれない。
確かに彼は、情緒強すぎなうちの大学にしてはかなり論理的だったので、私が提唱する「論理と情緒が半々は最強説」の人だったのだろう。

昔、話していて「親が医者」と言っていたので多分そうで、実際私は今、お医者さんと気が合うことが多いので、そこもありそうだ。

卒業制作展では各学科で最優秀賞1人、優秀賞数人が選ばれ、私はもちろん選ばれなかった。
しかしその直後、教授に笑いながらこう言われた。

「お前なぁあああーー!!卒業できてたら賞が取れてたんだぞ!笑」

そんでしかも高笑いかよ
普段無表情のくせして

でも、ごめんね


ノーと言えるふくだ


とっぷり夜、いや、もう3時だった、もちろん夜中

なんでかその日は真っ暗のパソコン室で私の作業を教えていたのか、隣に教授がいた。
明るさはディスプレイのみという謎のシチュエーションで、彼はを舐め始めた。
優しさなのか「お前も食べる?」と差し出してくれたのに、私はパソコン画面を見たまま

「いやいいです、食べないです」

と言ってしまった。
すると「そ」と言ってまた無言で作業が続いた。
ここでそういうことを言うのが私で、そしてそれを気にしないのが彼だった。

このエピソードはなんとなく忘れられなくて、それはその後の人生で「あ、こういう時はいらなくてももらうのね」と知ったからだろう。

この一連の話をどうしてかずっと誰にもしなかった

なんとなく伝わらないだろう、がわかっていたし、言おうと思ったこともなかった。

だけどあの時、私はこの人が理解者なんだ、と認識してしまったらダメだと思っていたのだと思う。

蓋をしなければいけない

蓋を閉めないと不都合が起こる、と

その蓋を開けた3年前に、素直に「私はああいう猛者を求めていたんだな」と認めることができた。

なので今は「好きなタイプは?」と聞かれると、胸を張ってハッキリと「猛獣遣いの猛者が好き」と言える。
それがただの友達だとしても、そういう人を求めている。

だけど当時の私はそれを認めたら不都合なことがたくさんあったし、それだけ対話を重ねても、お互いプライベートな話はしなかったので本当にただただ話していただけだった。

おそらく、2人とも理解者が欲しかったのだろうと今はわかる

もしかして仲間や同志は、生きていく上で伴侶より必要なのかもしれない、と最近よく思う私だった


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※個人の感想です

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