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THICK

ごろん、とベッドやソファに仰向けに寝転んでいると
自分の額に向かって、真上から垂直に、太くて長い釘を打ち込んで欲しくなることがある。
頭の中にあるモヤモヤを、打ち込んだ穴から勢いよく噴出させたいのだ。私のイメージのモヤモヤは、大きめの固形物が混ざったドロドロの液体で、現実にあるもので例えると、"ごろごろ食感の果物スムージー"みたいな感じ。頭の中に溜まった今にも溢れそうになるそれを、体の外に垂れ流して、すっきりさせたいのだ。

こうやって、目に見える形でモヤモヤを自分の中から消せたらいいのに。気持ち良いだろうなあと思う。

今まで、人間関係において、人と信頼を築くにあたって、理解しようとする姿勢が大切だと思っていた。そして姿勢だけでなく、ちゃんと理解してあげることこそが信頼関係の構築に必要だと思っていた。でも最近はなんだか違う気がしている。

朝井リョウさんの"正欲"を読んだ。
そこには理解を拒絶する人たちがいた。
どうせ理解なんてされないのだから。
確かにそうだ。他人のことを本当の意味で理解することは不可能だ。理解するには、その人間の歴史、思考、感情、言動、全てを知っていないといけない。そしてそれらを自分も持っていないといけない。そんなことは不可能だ。

理解しようとして、わからなくて
理解しようとされて、わかってくれなくて
ずーーーっとそれが、しんどかった。
自分は正しく信頼関係を築けない人間なんだと思うこともあった。
それってちょっと間違ってたのかも。
全部が全部違うとは思わない。
でももっと良い考え方がある気がしている。
人と一緒にいるということ、その時間を大切にするということ、それにはもっと他に大事にすべきことがあるように思う。

もうちょっと、気楽に生きてみるか。
ちょっとくらい目を逸らしたって、いいじゃないか。
そうやってなんとか、気張っていけるんだから。


地獄と地獄/板歯目


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