見出し画像

ひまわり(I girasoli) ヴィットリオ・デ・シーカ

 ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』(1970年)、今映画館でもHDレストア版が上映されているよう。大きいスクリーンでみると、このポスターにも登場する広大なひまわり畑とか、モスクワの巨大な街の感じがより一層感じられていいかもしれない。この映画をおすすめしたいのは、夏らしさというよりかは、戦争を考える映画として。(戦時中の実際の映像もところどころ挿入されている)

 ポスターしか見たことのない人は、この広大なひまわり畑を見て、夏らしさを感じたり、あるいはマストロヤンニとソフィア・ローレンの間で何か愛の言葉がこの地で交わされることを想像するかもしれない。しかし実際は、マストロヤンニはこの地に足を踏み入れることはない。ソフィア・ローレンが夫であるマストロヤンニを探しにソ連に行ったとき、このひまわり畑の中にある戦死者追悼の塔を見に行くのである。ここに多くのイタリア兵が埋められ、あのようにひまわりになったのである。とても悲しい黄色なのである。

画像1

ひまわり畑の中でもソフィア・ローレンは強く主張する。

「ここに夫はいない。夫は生きている!」

この根拠のない女の勘みたいなもので、ものすごい行動に出る感じがイタリア女っぽくて、ソフィア・ローレンはアンナ・マニャーニの2代目Donna di popoloだと感じさせるシーンである。(手がかりもない、言葉もわからない中で単身で社会主義ソビエト連邦に乗り込んでしまうイタリア女の迫力すごい)

 前半はマストロヤンニの軽快なセリフ回しとともに非常にコミカルにストーリーが進んでいくのだが、後半は狂おしいほど悲しい話。このバランスが素晴らしくて、デ・シーカらしさだと思う。そしてソフィア・ローレンを前面に見せる映画である一方で、やはりマストロヤンニが影の立役者だったと思う。この人はいつも感心するのだが、二枚目ながらも三枚目的な、ダメ男だけど放って置けないなど微妙な立ち位置を演ずるのがうまい。方言とか多言語も巧みにこなすし、上流階級も下層社会の人々も演じ分けられる。彼は実際に第2次世界大戦で徴兵もされていて、ドイツの捕虜収容所から脱出したのち、俳優養成学校に入っている。彼の厚みのある演技は、こういう生活体験からも来ていることだろう。彼は若い時も年老いてからも、様々な著名監督から愛され、没するまでずっと役者として重宝された。

◉マストロヤンニがヴィスコンティと出資して作った映画「白夜」のレビュー↓↓

 この映画のストーリーでソフィア・ローレン側に立つと、夫のマストロヤンニはなんて酷い男だろうと思う。ロシア戦線に行った夫を、戦争が終わってからも生死が分からないまま、何年も何年も信じて待ち続けていて、ついにソ連へ単身探しに行った。そしたら、ロシアの若い女と結婚して子供まで作っていたのである。ソフィア・ローレン側の時間軸でいったら、こんな酷い話はない。

 しかしマストロヤンニの時間軸で考えたらどうであろう。戦争という過酷な場所に身を置き、しかも四方3000キロ雪、どこにいってもシェルターは無い、3分立ち止まっていたら凍死してしまうような状況下で、彼はどこに愛の温もりを求めたらよかったか。人生観も変わったかもしれない。実母にも連絡せずに、自分はもうイタリアを捨てたと思ったのかもしれない。なりゆきとかも、これは本人にしか分からない。こういうシチュエーションで、大抵女性って妻側に感情移入してしまいがちだけど、不思議に私はこの映画ではじわじわとだんだんと、ソフィア・ローレンよりも、マストロヤンニの悲しさ絶望感に気持ちを寄せてしまうのである。何回見ても、その時の気持ちの入り具合ではふと涙が出る時がある。

ところで、前半ソフィア・ローレンとマストロヤンニが新婚生活(結婚すると懲役中でも12日間の休暇がもらえた。その甘おう日々のときの話)をしているとき、

「爺さんが新婚の時に24個の卵でフリッタータを作って食べたんだ」

とマストロヤンニが話し始め、「爺さんに対抗する!」となんと24個もの卵でフリッタータを作り出す。マストロヤンニの(役の)実家はおそらくロンバルディアあたりなので「バターで焼く」というのだけれども、ソフィア・ローレン(役の)は「オリーブオイルじゃないの?」という。そういえばこの映画はこういうイタリアの地域差にもところどころで触れられます。マストロヤンニが、ソフィア・ローレンが言っていることがわからなくて

「Traduci!!(訳せ!)」

と笑いながら良く言ったり。(ナポリ弁、本当に何言っているか私は分からない)

フリッタータの話に戻すと、玉ねぎも何もいれてないのに大きいフリッタータを作る。しかし戦時中の卵だし栄養が少ないのか、色味が悪くて全然美味しくなさそうなフリッタータ。(もしHDレストア版で、美味しそうなフリッタータになっていたら少し残念)

「もう1年は卵を断ちたい」

そしてもう見たくも無い、と途中でそのフリッタータを捨てるこの一連のシーンが、結構初見のとき印象的でした。あんな不味そうなフリッタータでも、この映画を見た次の日は「そうだ、今日はフリッタータにしよう」という気になって昨日も作りました。私は彼らの1/3の8個の卵で、とろとろに焼いた玉ねぎも入れたけれども。

画像2

 そういえば小ネタとして、ソフィア・ローレンの実の息子が息子役で出演している。(今は指揮者として活躍しているそう)彼の父はこの映画のプロデューサーでもあるカルロ・ポンティ。カルロ・ポンティのプロデュース作品はヒット作が本当に多い。


デ・シーカの作品レビューはこちら↓↓


イタリア映画特別上映会企画中です!あなたのサポートにより上映会でパンフレットが作れるかもしれません。もしよろしければサポートよろしくお願いいたします