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私は隠れてしまいたかった 原題:"Volevo nascondermi"(2020)

イタリア映画祭2021で次におすすめしたい映画。

「私は隠れてしまいたかった」"Volevo nascondermi"(2020) Giorgio Diritti (ジョルジョ・ディリッティ)監督作品。

アントニオ・リガブエという画家をご存知だろうか。日本ではあまり知られていない画家のように思う。彼の自伝的映画である。

私は彼の動物の絵が以前から大好きなのだが、どこかゴッホだったり、マネだったり、ゴーギャンみたいなところも思わせる絵である。しかし彼はもともと無教養で美術の教育も受けずに、画家となった。いわゆるナイーヴ・アート(素朴派)の画家の一人である。

リガブエ自身は精神的障害をもつ人間として何回も精神病院に収容されており、そういう意味ではアウトサイダー・アートの部類に所属するのではないかと個人的には思っている。今回この映画をみて初めて彼の人となりを知ったが、彼の独特な絵画の描き方やバックグラウンド、そしてなにより彼の超越的な才能にもアウトサイダー・アートのような力があるように感じた。

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彼はイタリア人だと信じて疑っていなかったのだが、実はスイス生まれで、母親はイタリア人だが、父親は不明とのことである。母は早くに他の子供たちとともに父親に毒殺されたらしく、残ったのはアントニオだけであった。そのため彼はもともとドイツ語しか話せなかったのである。

やがて第1時世界大戦が終わった頃、彼は里親への暴力により精神病院へ収容され、その後スイスを追放。イタリアのレッジョ・エミリアに住むようになる。スイスにいる時は「イタリア人!」といじめられ、今度イタリアでは「あの変なドイツ人!」といじめられる。彼は人間には放っておいてほしいと強く願い、その反動で自然界に自分の居場所を見つけていくのである。

リガブエの自然に対する目線が美しく、動物を撮るカメラワークが素晴らしい。リガブエの実際の絵、色彩を生んだのは、この動物の体全体を細かなところまでくまなく愛でたリガブエの思いであることがとてもよく伝わる。(光に撫でられる馬のたてがみの美しいことよ)

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リガブエの描き方というのが面白く、例えば対象が虎であれば、その虎に自分で成りきる。鶏に成りきる。その様子は言ってしまえばかなり滑稽である。これはやりすぎ?映画の脚色なのかと一瞬思ったが、あとでドキュメンタリーを見つけ驚く。本当に映画そっくりのリガブエがそこにはいた。


リガブエを演じたエリオ・ジェルマーノがさすがにカメレオン俳優、素晴らしい、いや恐ろしいぐらいの怪演。自分を押し出して生かす俳優と、自分を内に隠して演じる俳優がいると思うが、この人は絶対に後者。そして本作はより没入型である。

おそらくエリオ・ジェルマーノは役作りのために、リガブエのこのドキュメンタリーを見たと思う。あまりにそっくりだから。そして言ってしまえば、監督も脚本を書く時にこのドキュメンタリーを参考にしたと思う。

そういう意味ではリガブエは芸術家にしては幸運な部類で、生前に作品を評価された人であるため、例え精神的な障害があって自分で何かを伝えることができない人であったとしても、このように代弁者がたくさんいた。彼のことを伝えてくれる人、評価してくれる人がたくさんいたので、資料が実は数多あるのである。

そういう資料を多く反映させた、自伝的映画としても大変見応えがあり、そして華麗なカメラワークにうっとりさせられ、エリオ・ジェルマーノのその怪演でシンパシーももたらせ、ぞっともさせた。そんな映画である。

余談だが、ベルトルッチ の「暗殺オペラ」"La strategia di ragno"のオープニングはリガブエの絵が次々と流れてくる。ベルトルッチ は同郷(エミリア・ロマーニャ)のリガブエが好きだったのだろう。その「暗殺オペラ」に似た構図のシーンが本作にはたくさん出てくる。これはあきらかにジョルジュ・ディリッティからベルトルッチ へのオマージュと受け取れる。


けれどやっぱり面白いもので、リガブエ本人の口の形が、本当に描かれた虎の口とそっくりなので笑ってしまった。(虎はこうしてみると自画像のごとくである)さすがのエリオ・ジェルマーノも骨格までは再現できていない。

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