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銀座花伝MAGAZINE vol.6

#宇宙と交信する能  700年命を浄化する闘い 能役者 坂口貴信

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「できないことより、できることに集中しよう」お互いが励まし合い、言い聞かせながら、感染拡大の状況を見守る毎日が続いています。      今回は、そんな現状の苦しさを心の「浄化」に変えようと奮闘する能楽師の姿を追いかけます。「未来はいまの中にある」その清々しい生き方に勇気をもらいます。「銀座花伝」では、時間のふるいをくぐり抜け「日々の暮らしを豊かにする美意識」にあふれる街・銀座を舞台に、あなたの幸福感を満たす新たな「美のかけら」を発見していきます。

銀河3

〈プロローグ〉  スーッと抜けきった 「美」の風姿

その能役者は、「風」のように足を運ぶ
その能役者は、「宇宙と交信」するように謡う
その能役者は、「時が止まる」ように舞う

衒いのない、まろやかな芸。固唾をのむ観客。能舞台空間でこうした場面をこれまで何度目の当たりにしたことだろうか。
その能役者の名は、「坂口貴信」(観世流シテ方)。


次世代演劇界の担い手として世界から評価の高い演出家・岡田利規氏は「坂口能楽師の芸にはフォース」があると讃えた。また今夏上演予定の能と最先端の表現技術を交えた「VR能 攻殻機動隊」を手がける演出家・奥秀太郎氏は「坂口能楽師とだから実現できた世界観」だとその芸はもとよりチャレンジ精神を絶賛する。
高い評価を得ながら業界の垣根を越えてこれほどまでに注目される坂口能楽師の「美」の秘技や情熱はどこから生まれるのだろうか。その素顔に迫るべく、インタビューに応じて頂いた。鋭い観察眼と瑞々しい感性につつまれた、坂口師の本音のお話を3回に分けてお届けする。


青空の月

◆「能のこころ」特集 坂口貴信インタビュー 第1章

1.    10年時代を早める、コロナ禍が決断させたこと

いつも変化は突然やってくる

室町時代、世阿弥が能を誕生させてから700年。その間の歴史においては、4度の大転換があったと云われる。
【豊臣秀吉時代:能装束の誕生】
【江戸初期:能のスピードが変る(ゆっくりに)】
【明治時代:「能楽堂」誕生】
【戦後:スポンサー公演→入場料制への変化】
これらは能にとって歴史的な大変換であったにもかかわらず、驚くことに「その変化は突然起こっている」

善界

               「善界」 シテ方/坂口貴信

— インタビューを始めてすぐに坂口師から飛び出した言葉は、このコロナ禍が自分たち能楽師にもたらしたもの、についてだった。


「未曾有の混乱を生んでいる今回のコロナ禍ですが、私は“10年 時代を早めた”と実感しています。確かに、能公演もすべて中止になり、イベントも延期、自身の稽古もお弟子さんの稽古もできない日々が続いています。普通に暮らす皆さんも大変辛い生活を強いられていると思いますし、同様に私たち能楽師にもこの自粛期間は全く収入も無く実際のところ大変厳しい状況が続いています。確かに失われたものも多いことを実感します。
ですが、このような暗闇と感じられる中でも、一つだけ、進化したことがある、と気づいたのです」

— どのようなことから、時代の早まり、進化に気づかれたのでしょう。

「実は、この8月22日・23日上演予定の「VR能 攻殻機動隊」(世田谷パブリックシアター)のオファーは数年前に演出家の奥秀太郎さんから頂いていたのですが、その時は時期尚早だと考えていました。2017年に観世能楽堂で「スペクタクル3D能“平家物語”」(演出:奥秀太郎)で演じた下地はありましたが、今回の題材はアニメーションであり、サイバー空間。果たして、受け入れられるだろうか、と考えました。しかし、今回のコロナ禍で、世の中に動画、リモートなどの新しいメディアの活用が当たり前になったことにより、能の世界の大転換が進む可能性が見えてきたのです」

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ピンチはチャンス

「一般の皆さんには、既に動画やZOOMなどは普通に取入れられていますが、能楽界は違います。「能」の命は、リアルな能舞台で演じるからこそ実現できる世界なのです。コロナ前までは、サブカルチャーである漫画等に題材を得ることに、まだ能楽界には抵抗があると思っていました。今回のことで様々なことを戒める様な空気感が緩和されて、“能の本質”を弁えている能楽師が取り組むならば転換して行っていいのではないか、という気運が出てきています。まさに、10年時代が早まったな、と実感をもちました」

シャドー2

時機(タイミング)をみる

「そういうわけで、今がタイミングだと思い、VR能“攻殻機動隊”をお引き受けしたのです。
世阿弥は「風姿花伝書」をたった一人の後継者に能の真実を伝えるために書きました。それが700年の時を超えて、現代に人生の指南書として広く知れ渡っている。“伝えること”の大切さを繰り返し説く世阿弥の心を受け継ぐとすれば、日本が世界に誇るSF漫画の最高傑作で、世界中にファンをもつ近未来SFの金字塔「攻殻機動隊」をVR(バーチャル・リアリティ)との融合を舞台で創作することの意義は大きいのではないかと考えての決断でした」

「未来への希望」 キラリとつなぐ

— 世界中に未曾有の混迷が継続する中、次世代を果敢に見据える伝統芸能「能」に挑戦しつづける情熱。師の心底には、どんな思いがあるのだろうか。

「私の使命は『能の美しさ』を未来へ届けることであり、芸を継承すること。それが私自身の「夢」でもあります。どうしても「能」は難しくて、敷居が高いと思われがちですが、一度触れてもらえれば、能舞台の小宇宙に、観客の創造力を借りて、日本の美しい情景や、物語、詩情を映し出す魔術を感じて頂けると思っています。
今回のような「アニメ×VR」と能の融合を通じて、若い人たちや未だ能に触れたことの無い人に、新しい角度から能に出会って貰えたらとても嬉しいです」

手を上げる

VR能 攻殻機動隊とは 

科学技術が飛躍的に進歩した21世紀の日本を舞台に、生身の人間、電脳化した人間、サイボーグ、アンドロイドが混在する中で、世界中にはびこる犯罪を取り締まる内務省直属の「公安9課」の活躍によって世界を救うというストーリーのSF漫画。これまで押井守監督のアニメを始め、実写、ゲーム等で人気の作品である。
現代の脚本を、出演もする川口昇平・観世流能楽師(漫画家:かわぐちかいじ氏の長男)が能の古語に直し、「本来の能のカタチで未来の芝居を演じる」という仕掛けがポイント。VRメガネ無しで仮想現実空間を再現する画期的な能舞台になるという。



伝説の一枚 「道成寺」 シテ方/坂口貴信

道成寺:坂口舞台


2.  美しい能 —秘技に隠された愛情

風姿とは

世阿弥が用いたことば『風姿』とは、和歌や連歌や能楽による、「芸術的美を表現した姿」という意味です。

「見所より見る所の風姿は我が離見なり」(花鏡)
世阿弥は『風姿』が美しい ー 観客席(見所:けんじょ)から見ても、我が姿を天から見ても(離見) —ことが最も大切だと述べています。
坂口貴信師が「700年の美を継ぐ者」と称される理由は、芸の格が世阿弥の臨んだ『風姿』に近づいているという点にあります。
人々を魅了する、その美しい、所作、謡、舞は具体的にどこから生まれるのでしょう。インタビューの師の言葉から、人の心を魅了する芸の心得をご紹介します。

せせらぎ


— 衒い(てらい)のない芸にたどりつくには?

自然に“咲く”

道端に咲く野の花は、「咲くのを見てほしい、美しい花に気づいてほしい」といって咲く訳ではありません。芽が出て、蕾がふくらみ、時期が来て、咲きたい時に咲くのです。自然そのままに咲く、とはそういうことです。
能舞台も同じ事で、人生を懸けて蓄積したものが、ぱっと拓く瞬間が生まれるのです。演ずる舞台で、自然にそうなるように稽古を積むのです。

可憐な花



— 蕾から開花への一瞬は、どのように訪れるのでしょう?

心がうごく

たとえば、次回予定している「砧」(きぬた)(9月19日観世能楽堂)は、これまで何度もツレ、地謡等で経験を積んでいますから、演目そのものはマスターしていて既にできるわけです。しかし、型や謡が出来るだけでは能ではない。緊張感は必要だがそれを表に出すと見手の没入感が失われてしまいます。物語世界をリアルに感知し、溜めてためて、ぎりぎり心が動いた瞬間に、ほとばしる感情が“思わず溢れ出てしまう”。その瞬間を動かすのは「こ
ころ」なのです。
世阿弥が伝える「秘すれば花なり」はそういう意味でもあるのだと私は解釈しています。心が動くから、芸にそれが現れる、そこまで作品や自分をイメージし鍛錬し持って行く、“心より出でる能”が最も気高く美しい、その点を大切にしています。

波が動く



— イメージ通りに身体が動く、稽古の極意はあるのでしょうか?

身体が収まる

これは表現しづらいですが、結局は心を動かしていくわけです。イメージしながら、稽古に稽古を積んで行くと「“それ以外にありえない”ところに身体が自律的に収まっていく」ということが起こります。

夕日と波



「砧 舞獅子」仕舞/坂口貴信 大鼓/亀井忠雄

砧仕舞い



3. 坂口貴信の素顔

     一度も謡わなかった、2ヶ月間
         〜無為の時間の中で〜

すがお2

観世流シテ方の家に4代目として生まれ、2歳で初舞台「老松」を踏んだ坂口師。既に15歳で観世宗家の面を拝借しての初面(はつおもて)「石橋」を勤め、東京藝術大学邦楽科在学中より人間国宝・亀井忠雄師に師事、卒業後、観世宗家の内弟子となり8年間の修行を積む。能楽師として、まさに怒濤の様な40年余を生きてきた。自身の稽古量の多さ、厳しさは観世流の中でも有名で、「一日でも稽古を休むとじんましんが出る」というほどの「能人生」逸話の持ち主だ。
その坂口貴信師が、コロナ禍の中では、一度も謡わなかった、という。
師の中で何が起きたのだろうか、話を伺ってみた。

— 自粛生活は、稽古の仕方など大きな影響を受けられたでしょう?

「実は、緊急事態宣言以来、全く稽古をしませんでした。謡すらこの2ヶ月というもの全く謡わなかったんです。“時間を無駄にしないように!”とか、“この期間にしっかり稽古をして!”などと思わずに、とにかく“頑張らない!”ことを決めました」

— 人生で初めての経験ですね?

「自らあえてやらなかったのです。“自然に任せてみよう”、そんな心持ちになりました。とにかく何もしなかった。今考えても、この時期どんな時間を過ごしていたのだろうと振りかえってもよく思い出せないのですが(笑)」

—  体に変調は起きませんでしたか?(笑)

「これまでの稽古密度を考えると、“すぐに謡いたくなるだろう”と思っていたんです。でも、全く謡をしたいと思わなかった。不思議な感覚でした。そしてまったりと1ヶ月、2ヶ月・・・。能舞台の映像も観ませんでした。本当に何をしていたのか(笑)」

— 無為の生活の中で、何か発見はありましたか?

「そういえば毎日、ひたすら散歩してましたね。一日8キロ。運動の意味もあり、歩いて歩いて氏神様にお参りして、また歩いて。」

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— 他にも始めたことはありますか?

「料理を始めました。今までやりたかったけれど出来なかったことをしてみたいと思って、お陰で食事は自分で創れるようになりました。こういう機会がないと、きっと一生やらなかったでしょうね(笑)」

「だんだん思い出しますが、本をかなり読みました。“これまでの自分に足りていなかったことを吸収しよう”と思っていた様な気がします。能作品に関係する本もありますが、和歌や物語に関する本、歴史・仏教・思想の本等、自身を浄化し、新たな思考を作ることのできるニュートラルな状態にできた時間は貴重でした」

— 能から離れた生活の中で、どのようなことを感じられていましたか?

「今回起きているコロナ禍での人々の変貌ぶりには驚きました。特に、マスメディアの情報に一喜一憂し、右往左往する姿は、率直にリアリティが無い、と。つまり、自分で考えて、自分の中に醸成した思考で動いていない滑稽さ。それは、世間の常識は一つではなく人の分だけ常識があるのだという実感にも変りました。」

深海の仏像

この続きは、次号でお楽しみ下さい。
坂口貴信インタビュー【第2章】は、
◉能楽界 変革のとき
◉「舞っては駄目だ」世阿弥【砧】の秘技 他の内容でお届け致します。

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【インタビューの後に】
能だけに生きてきた「勇士」が、深い森の中で見つけた「切り株」にすっと座って、ひとしきり思索にふける姿が思い浮かぶ様な風情のあるインタビューとなりました。混沌としたコロナ時代に、新たに一筋の光を探り当てたいと願う真摯な坂口師の語りに、聞き手の中にも熱いものが込み上げてくるようでした。 【第1章 了 】
(聞き手:岩田理栄子/銀座花伝 収録日:2020年7月10日)

*注)坂口貴信師舞台画像の転用を禁じます。(©能プロ)

三日月


◆ 銀座情報  陶器鑑賞ライブ「黒田陶苑」

北大路魯山人をデビューさせたことで知られる、創業85年の老舗「黒田陶苑」の軒先には、魯山人自らが篆刻した「風雅陶苑」の看板が掲げられている。創業当時は、魯山人専業陶器の販売が主であったが、魯山人との蜜月時代に育んだ「新しい陶芸の時代を切り開く」若き作家たちとの交流が始まり、陶芸の新時代を生む聖地となる。富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎、加藤唐九郎、金重陶陽など、いずれも戦後、人間国宝や巨匠と呼ばれる作家たちの作品を世に送り出し、育てた名店である。

ウイルス前までは、3階のギャラリーサロンで、じっくりと名作を手に取り鑑賞できるスタイルを取っている老舗でしたが、3密を避ける対策として、若女将の発案で初めて銀座ギャラリーの会場をネットで繋いだ「 Web観賞会」を開催します。どなたでも鑑賞可能です。下記公式webよりお入りください。

寺田鉄平Web個展 7月21日(火)9時〜7/31(金)19時まで。

寺田鉄平:愛知県瀬戸の赤津で、江戸時代から続く陶元の名家に生まれ、美大で彫刻を学んだ後に家業に入る。新進気鋭の陶芸家として大活躍している。。瀬戸黒、織部、人気の高い瑠璃織部など新作180点が並ぶ。(展示即売も同時開催)

ティータイム

◆ 編集後記(editor profile)

今回インタビューさせていただいた坂口能楽師の能舞台を最初に拝見した時、その世界観の大きさから「宇宙と交信している」と感じたことを覚えています。今回いただいた貴重な本音の言葉から、「宇宙的な美」の奥義に少しだけ触れることができたように感じます。

いま大切なのは「宇宙に思いを馳せる」生き方。

生命科学研究者の村上和雄先生(筑波大学名誉教授)のお話が心に染みます。「ウイルスが誕生したのは、およ30億年前、片や我々ホモ・サピエンスが誕生したのは僅か20万年前。ですから、地球上の大先輩であるウイルスに闘って勝とうなどとは、到底無理な話。これまで、私たち人間は、この母なる地球にどれだけ無理を強いてきたことか。地球から本気で叱られているのだと思います」

「サスティナブル(持続可能)」を軸とした経済活動に大きく舵を切る新しい時代がやってきました。「精神的な満足」を作る活動やサービスをどう誕生させていくのか、銀座の老舗でもその試みが始まっています。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。

           責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ                                                           東京銀座TRA3株式会社代表取締役                                                                       著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊

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