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5月4日はオードリー・ヘップバーンの誕生日


私の携帯待ち受け&カバーはオードリー。

今年で生誕92年。
永遠の妖精♪
オードリー・ヘプバーンを形容
するには、この言葉しかない。
映画史のみならず、ファッション史に
おいても多くの奇跡を起こした彼女は、
いまなお色あせること無く燦然と輝い
ている。


1929年5月に生まれたオードリー。
『ローマの休日』『マイ・フェア・
レディ』などを初めて観て、その魅力
のトリコになる若い世代も多い。

女性の美の基準を変えたオードリー。

(以下2019.5スクリーン編集部より引用)
小さな舞台や映画の端役をしていた“オー
ドリー・ヘプバーン”が脚光を浴びるチャ
ンスは同時期に2つ。
幼い頃から習っていたバレエの才能と妖
精のような佇まいのオードリー見いだし、
自作の舞台『ジジ』の主役に抜擢したの
は作家コレット女史だった。
そして、同じ頃、ウィリアム・ワイラー
監督のスタッフもオードリーを発見し、
長らくペンディングとなっていた『ロー
マの休日』への起用を推薦した。
じつは、このヒロイン役にはエリザベス
・テイラーが興味を示していた。
しかし、ウィリアム・ワイラー監督は
「美しいが純真。魅惑的だが、凛とした」
ヒロインを求め、オードリーを抜擢。
グラマラスで華やかで肉感的なテイラー
は当時の女性の美の象徴であり、オード
リーは正反対だったのだが。
豊かではない胸、ややエラの張ったアゴ、
歯並びなど……。これらはオードリー自
身が生涯コンプレックスを抱いていた
“欠点”だ。
しかし、それらの欠点さえチャーム・
ポイントに変えてしまう“武器”がオー
ドリーにはあった。
それは深い想いを宿した黒い瞳。その愁
いを帯びた輝きは観る者の心を一瞬にし
て射抜き、魅了し、ほかには目がいかない。
1952年に舞台『ジジ』の好演が好評のう
ちに幕を下ろした直後に『ローマの休日』
(1953年)の撮影開始。
この初のハリウッド映画主演作で、いき
なりアカデミー賞主演女優賞を獲得した
オードリーは、一瞬にして世界中を魅了
した。
白いブラウスにフレアスカート。ボーイ
ッシュなシュートヘアはヘプバーン・カ
ットとして大流行。
後に、ビリー・ワイルダー監督は「ヘプ
バーンは胸の膨らみの魅力を、過去のも
のにした」と語っている。
そう、女性の美の基準が、オードリーに
よってまったく変わった瞬間だった。

ジバンシーとの出会いでファッションアイコンとしても際立った魅力を発揮


そのワイルダー監督の『麗しのサブリナ』
(1954年)では、ファッションアイコン
の座も獲得。
これ以後オードリーの衣装を担当し、終
生の友となる有名デザイナー、ユベール
・ド・ジバンシーとの出会いは、映画の
衣装がファッションの流行を作る先駆け
となったのだ。
くるぶし丈のサブリナ・パンツは日本で
も大流行し、ゴージャスにして清楚なド
レスもため息をそそるばかり。
そのコンプレックスだというスレンダー
な肢体を存分に活かしたジバンシー・フ
ァッションは、外見ばかりかオードリー
の内面の魅力も際立たせた。
余談だが、私的にはこの作品がいちばん
のお気に入り。
『ローマの休日』で共演したグレゴリー
・ペックは「彼女は、気品と美しさ、最
新ファッションと活発さ、そして洗練さ
れた魅力とひょうきんな明るさのシンボ
ルでした」と賞賛していたが、まさにそ
の魅力のすべてが堪能できる1作だと思う。
オードリー&ジバンシーのコンビネーシ
ョンが際立つ作品を挙げたらきりがない。
アゴをスカーフで包む〈アリアーヌ巻き〉
がブームになったビリー・ワイルダー監
督の『昼下りの情事』(1957年)、『パ
リの恋人』(1957年)ではフレッド・ア
ステアと軽やかなダンスも披露し、ハイ
センスなミュージカルとして評価を得た。
極め付きは、ロング丈のイヴニングドレ
スやフリンジを配した黒いウールドレス
にサングラスなどがハイセンスなモード
を感じさせる『ティファニーで朝食を』
(1961年)。
劇中のシーンを真似てニューヨークの
ティファニー本店前にデニッシュを手
にするサングラス姿の女性が殺到する
ほどの社会現象を巻き起こした。
もちろん女優としての実力も認められ、
『パリの恋人』で組んだ巨匠スタンリ
ー・ドーネン監督と再コラボしたサス
ペンス・ミステリー『シャレード』
(1963年)では大スターのケーリー・
グラントと共演。翌1964年には、
『マイ・フェア・レディ』のイライザ
役を、舞台で演じたジュリー・アンド
ルーズと争って獲得。
この映画の大ヒットによって、ついに
“100万ドルスター”となったのだ。

過酷な戦争体験が少女時代のオードリーに与えた影響とは


キャリアは順風満帆。しかし、幼い頃
からスター女優になってまで、私生活
は辛い出来事の連続だった。
1929年5月4日。ベルギーのブリュッセル
に生まれ。父ジョゼフ・ヘプバーン・ラ
ストンはアイルランドとイングランドの
血を引く銀行家だった。
母エラ・ファン・ヘームストラは、オラ
ンダの裕福な地主貴族の娘であった。
オードリーは上流階級の夫婦の間にでき
たひとり娘だったが、6歳の頃に父が
蒸発。
父は母の財産管理に失敗し親ナチスと
なってロンドンに失踪したのだ。
それでも、一時は父の元で暮らしバレエ
を習い始めたが、筋金入りの反ナチスだ
った母によってオランダのアルンヘムに
連れ戻される。
しかも、ナチスの猛攻を避けるために帰
郷したオランダで「アルンヘムの激戦」
が勃発。
辛くもナチスの手から逃れたものの、
オードリーは地下室の中で1ヶ月もの間
たったひとりで暮らすという過酷な経験
を強いられた。
少女だったオードリーの心は両親の離婚
で深い傷を負い、さらにナチスが心と体
に恐怖と絶望を刻み込んだ。
そんな過酷な体験を秘めているからこそ
、終戦を迎えても、女優としての道が開
けても、愛にあふれた安らぎの家庭と頼
れるパートナーを誰よりも切実に求めあ
がいていたのだろう。

待望の子供は授かったが、なかなかうまくいかなかった結婚生活


『麗しのサブリナ』で共演したウィリアム
・ホールデンとの恋も含めて、いくつか
の恋と破局を経験した後、1954年に12歳
年上のメル・フェラーと結婚。
彼の「たよりになる性格」にときめき、
彼の企画で幕を開けた舞台『オンディー
ヌ』で共演し、オードリーはトニー賞を
受賞する。
その後、オードリーとメルは『戦争と
平和』(1956年)で共演し、『緑の館』
(1959年)ではメル監督の下、オード
リーが主演を務めた。
1960年には悲願の長男ショーンを出産。
しかし14年間に及んだ結婚生活は皮肉に
もメルがプロデュースし、オードリーが
主演した『暗くなるまで待って』(1967
年)を機に破局。
その後、オードリーは映画界から一旦身
を引き、1969年にはヨットクルーズで知
り合い、恋におちたイタリア人の精神科
医、アンドレア・ドッティと再婚する。
翌1970年には次男ルカを出産。
しかし結婚当初からドッティの女遊びが
止まらず、悩めるオードリーは古い友人
で俳優のデーヴィッド・ニヴンのアドバ
イスもあり、子供たちの夏休みを利用し
て隣国スペインで撮影された『ロビンと
マリアン』(1976)で9年ぶりの銀幕復
帰を果たす。
1982年にはドッティとの離婚が成立。
1979年製作の『華麗なる相続人』と続く
『ニューヨークの恋人たち』(1981、日
本未公開)で共演したベン・ギャザラと
の間には恋が芽生えたこともあったが、
結ばれることはなかった。

晩年ユニセフの活動に生き甲斐を見出したが63歳で生涯を閉じる

しかし、失意のうちに迎えた晩年になっ
てやっとやすらぎを手に入れる。
「自分が愛すると同様に自分を愛してく
れる」相手ロバート・ウォルダースに出
会い、1985年からスイスのトロシュナ村
でともに暮らし始めたのだ。
その幸せの中で、スティーヴン・スピル
バーグ監督のたっての願いを受け入れた
『オールウェイズ』(1989年)で、久々
にスクリーンに復活。
遺作となったその作品では、ほとんどノ
ーメイクで当時の姿そのままに“天使”を
演じたのだが、彼女がかもし出す静謐に
して崇高な輝きは、“妖精”であり続けた
オードリーならでは!

1988年からは、1954年から活動を行って
きた国際連合児童基金(ユニセフ)の親
善大使となり精力的に活動開始。
世界中の不幸な子供たちに惜しみない愛
を注ぎ続けた。
悪性の癌が発見されたのは、最も悲惨な
状況と言われるソマリアの子供たちを訪
問してから数ヶ月後であった。
その姿を伝えるニュース映像に映るオー
ドリーの慈愛に満ちたまなざしが、今で
も忘れられない。
そして、93年1月20日、愛してやまない
トロシュナ村で、息子たちと最愛のパー
トナー、ロバートに看とられてやすらか
な眠りについたのだ。


オードリー名言集(ELLEgirl)より引用


何より大事なのは、人生を楽しむこと
「何より大事なのは、人生を楽しむこと。
幸せを感じること、それだけです」
未来を心配してばかりいたら、現在を楽
しむゆとりが奪われてしまう

どんな日であれ、その日をとことん楽し
むこと。ありのままの一日。
ありのままの人々。過去は、現在に感謝
すべきだということを私に教えてくれた
ような気がします。
未来を心配してばかりいたら、現在を楽
しむゆとりが奪われてしまうわ」
私にとって最高の勝利は、ありのままで
生きられるようになったこと

「私にとって最高の勝利は、ありのまま
で生きられるようになったこと、自分と
他人の欠点を受け入れられるようになっ
たことです」

悩ましいことがたくさんあっても、笑うことで救われる。
「私を笑わせてくれる人を、私は大事に
します。正直なところ、私は笑うこと
が何よりも好きなんだと思う。
悩ましいことがたくさんあっても、笑う
ことで救われる。それって、人間にとっ
ていちばん大事なことじゃないかしら」

何より人の命に深い感謝の念を抱いたのです
「戦争を経験して、逆境に負けない強靭さが
身につきました。また、戦争が終わって戻っ
てきたもののありがたみをつくづく感じまし
た。食料、自由、健康、家庭、そして何より
人の命に、深い感謝の念を抱いたのです」

凛とした気品と上品な美しさ。
妖精であり天使のような心の持ち主。
両親の離婚、戦争体験など様々な経験を
乗り越えたからオードリーは唯一無二の
永遠の存在になった。

※画像は2019年 生誕90年展で購入した

ポストカード。

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