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#SaveTheCinema 黙っている時なんだろうか?


#SaveTheCinema

本当に、オリンピックだけは何がなんでもやるんだ、他は我慢しろ、という狂気に近いものを感じて、怖いです。今週末からの封切り映画や公開中の映画、どうなってしまうのか…。また休業要請だとしたらオリンピックとの矛盾が生じるし、営業OKだとしてもこれまでの措置は何だったのかという話になる

映画やライブやお芝居は、公開日や上演日を決めて、そこに向け演者も宣伝も全て準備してカウントダウンしていきますよね。それが緊急事態宣言の繰り返しで、たまたま時期が外れた/該当したで、公開できる/できないが左右されるのって、理不尽だし政治の無能さの何物でもなくないですか?おかしいですよ

改めて言っておきますけど、ミニシアターの殆どはこの半年、一銭の協力金をもらえてませんからね。ほぼ全てで時短や休業を強いられながら。飲食登録や面積で勝手に線引きされ、あっちには出す、こっちには出さない。これが行政のやることですか?

3度目の緊急事態宣言の説明や効果への総括もなく、4度目の緊急事態宣言が出されるという。緊急事態宣言なのにオリンピックはやるという。五輪以外の生活がバカにされているとしか思えない。今回、どの措置内容になってもこれまでの施策と矛盾が生じる。政治が崩壊している。一人ひとりが問われている

政治はこわいもの、作り手は作品だけをつくっていればよい、選手が何を言っても変わらない。それで生きていられれば良かったのかもしれないけど、少なくともおかしいことにはおかしい、と指摘しないと、大切なものも守れなくなる恐怖を感じている。また東京だけ映画館が閉まる可能性もゼロではない

誰かが理不尽な扱いを受けている。それをおかしいと指摘するのを、当事者に全てを負わせるのは無理があります。周りにいる人が「それはおかしい」と言わないといけない。その声が大きくなって初めて、問題が顕在化する。それが公共であり社会です。大人の責任であるとも思います。まずは自らが動くこと

自らが動くと、ポジティブネガティブを含め周りが変化します。その変化を恐れず、一歩踏み出すこと。その踏み出した社会をまた受け入れ、自己を更新し、行動に責任を持つこと。その一歩の可能性に賭ける大人が増えるといいなーと、左翼と言われながらこの一年半思ってます(偉そうにすみません)

映画館は閉めてください
お酒は出さないでください
自粛してください
補償はしません
まずは自助です
フェスは中止してください
ワクチンは足りてません
緊急事態宣言また出します
けどオリンピックはやります

国民の命と暮らしを守る、の言葉が虚しい。

好きな音楽、好きな詩、好きなものを続けるだけでいいんだろうか。続けていけるんだろか。1人1人が表現者なら表現者としてなにをするのがいいのだろうか。




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