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詩)七沢温泉 福元館 多喜二断想


神奈川の隠れ名湯 七沢温泉 福元館へ
車で行けば40分もあればいける手軽な湯ヘ
強アルカリ性の素肌ツルツルの美人の湯
福元館は作家小林多喜二が 1931年約1カ月間逗留し「オルグ」を執筆した宿
日帰り入浴は1人1000円 
庶民的な価格
湯舟につかる 外の景色は葉の落ちた木々
枯れた紅葉が茶色になり窓にこびり付いている中 一葉だけ青い葉があった
外はまだ冬景色の中
少し熱めの湯が身体に染み渡る
薄青の天井には湯がきらめいてゆらゆらと揺れる
湯にひたりながら 多喜二は何を考えていたんだろうと想う
弾圧を受け豊多摩刑務所から出獄したばかりの多喜二

そういうある日、小林多喜二が来たのだ。私の机すれすれの窓枠に腰をかけ、足をぶらぶらさせながら、「小坂多喜子というのは僕と同じ名前だね」と云った。小柄で着流しの大島紬の裾からやせた足がのぞいていた。皮膚の薄い色白の顔がすぐ桜色にそまるようで、私に向ってなにかひっきりなしにしゃべっていたが、私の覚えているのはその一言だけである。その時私が思ったことは「おしゃべりな男は嫌い」ということだった
小坂多喜子 「小林多喜二と私」より

ブラームスの「折ればよかった」を口ずさみながら 湯の中で
湯を掬って顔をひたし 恋を諦めたのだろうか 多喜二

      折らずに置いてきた 山陰の小百合
  人が見つけたら 手を出すだろう
  風がなぶったらなら 露こぼそものを
  折ればよかった えんりょが過ぎた
  折ればよかった えんりょが過ぎた
「折ればよかった」ブラームス 高野辰之訳

少し熱めの湯は身体に沁みる
小説の想を練る多喜二に成りきり湯舟に深くひたる
浴槽のあちこちに座ってみる
そうやって幾人が多喜二を想ったのだろう

奥の庭に面した一間に小林多喜二は布団の中に寝かされていた。眼をとじた白蠟の顔はすでに死顔で、頬のあたりに斑点になった内出血のあとや首すじや手首に鮮明な輪になった黒い内出血のあとがあり、大腿部のあたりも一面まっ黒で、拷問による死であることが歴然としていた。剛い、豊かな髪が青白い電燈の光で緑色に見えるほど黒々と、そこだけ生きているようで、私はいたましいというよりも恐怖でいっぱいだった。
小坂多喜子 「小林多喜二と私」より

ゆらゆら揺れる天井の波のようにも見える光をみながら
じわじわと湧き上がるものがあった
戦争反対と訴えることが命がけだった時代
人として生きた多喜二
ゆらゆらと

のどかな山里で
その白い腕を桜色に染めて
書くということで伝えようとした
ゆらゆらと今もそれは


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