詩)帷子ノ辻に在った宇宙
あの時、オレは新聞配達をしながら大学に通う、貧乏学生だった
嵐電(嵐山電鉄)でオレは一人の女に出会った
西陣織の織工で、自分の宇宙を持っている、不思議な女だった
>織工に休みはないの、365日働くのよ。そうやって織り上げた反物も、たったひとつの傷でキズモノ扱いになる。それでも織工は黙って受け入れるしかないのよ、反物の運命を
愛も恋も語らず 俺たちは嵐電の駅から駅の間、語り続けた
高橋和巳『白く塗りたる墓』 我らの内なる封建制と制度としての封建制度・・・宇宙の始まりについて、ボブ・ディランの化粧について
伝統美と形式美、ラジオの可能性・・・
帷子ノ辻(かたびらのつじ)で別れて、オレは大学へ
女は仕事へ向かっていった
あの日も、愛とか恋とかは語らなかった
嵐電の大きな揺れと木造の床のにおいは、妙に気分を高揚させた
>神社や仏閣って、嘘っぽいわ、世俗の匂いがする
>あなたのふるさとに、廃墟はある?
>たとえば、無くなってしまったお城のような
>滅びるのね、滅びがあるから、今があるのね
そういって、女はオレの前から姿を消した
十年がすぎ、オレは結婚をした 久しぶりにみた大文字の送り火の夜
オレは偶然、あの女に出会った
あの女は今でもきっと西陣織の暗い機織機の前で
はたを織っているとオレは信じていた だが、あの女は大きなおなかを抱え、こどもと夫に囲まれて 幸せそうな風情で、オレの前を通り過ぎた
オレは気がついたが、あの女は気がつかなかった
あの日、オレは茶封筒にいれた一通の手紙を抱いていた 一瞬、ためらい、その手紙を手渡すことはなかった
人間の記憶はおおざっぱだ 失ってしまったものは、いつしか記憶の収納庫へ収まっていく
あの時の手紙を
そのあと、どうしたのか
今では もう
思い出すことも できない
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