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あの頃の記憶
いまでも昨日のように

京都の大学で井出くんは僕と同じ朝日新聞奨学生だった。新聞を配って学費を払う。「毛細血管」だと説明された 大学に行くという夢と朝夕の配達の現実の落差ほすぐに身体にきた。正直、辛かった。
井出くんとはゼミも一緒。授業にあまり集中出来ないのも一緒
なんせ、眠かった。免許を早々にとり、バイクで大学へ。ゼミをこなし、大教室の授業では寝ていた。

僕の店は西大路七条 井出君は鳴滝
僕は朝夕の配達だけで井出君の店は集金業務も担わされていた
集金はつらく大変だ。時間の拘束 回収のノルマ。
学生にできる仕事ではない。井出くんは大学に滅多に来なくなった。
店長にお願いして集金を外してもらったらどうかと話した。でもみんな集金してるのにそんなこと出来るわけないという。店で違う待遇。ぼくはぼくで自分のことしか頭になく。。それ以上は関われなかった

井出くんは ついに大学に来なくなった。
下宿に呼びに行ったりもした。
でも もうだめだ もうだめだ
もうだめだ 学校には行けない 
仕事しないと学費払えない
もうだめだ もうだめなんだ
そういわれ 自分は集金がなくてよかったと思った

1980年代
煌びやかなディスコが四条河原町で繁盛する
そんな時代だった。

いま思う。
あのとき、ぼくは井出君に
もうだめだと言われ
本気で親身になることもなく
井出くんは消えてしまった

いま できること
しなければならないこと
この時代で

井出君に思う



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