屋久島にひとり vol.2 縄文杉トレッキング
今日も早起きだ。毎日3時くらいに起きていて、パン屋さんになれる素質はあるのかもしれないと思った。
4時過ぎに宿を出ると、ほぼ夜のような景色。
民宿を出るときに、宿の浴衣をきたおばあさんが1階に水を飲みにきた。
「あら、今日はどちら?」と少しだけお話をした。
民宿は簡単にお話をできて、少し距離が近いのがいい。
それは、ひとり旅行の良さなのかもしれない。
4時半のバスで、屋久杉自然館前まで。
そのあと、バスを乗り換えて、荒川登山口までのバスに乗る。
このバスで、屋久島にあるダムが見えるらしい。(眠たすぎて行き帰り全て寝た)
屋久島の電力はダムの水力発電が賄っているらしい。
とことん自然と共存しているのだと知った。
自然が神様だと思うきっかけにもなる。
荒川登山口に着いたのは、6時15分くらいだろうか。
スタートだ。今回わたしはガイドをつけないことにしてしまったので、慎重に気をつけて歩いていく。
ガイドさんもいない、事前の下調べもしていないので、わたしはただ自然を感じる。歩く。考える。だけをしていた。
最初はトロッコ道を歩いていく。
真ん中の板は最初はなかったらしい。歩きやすく今はなっているが、
当時を考えるとゾッとする。
このトロッコ道をだいたい2〜3時間くらい歩いていく。
太陽の光が差したときは、それはそれは綺麗で。印象派の絵画のようなポワポワの光だった。
本当に自然は力強い。
根っこが死にかけているところを利用して新たなものが生えていたり、常に回っているのかもしれない。
自分はもしかしたら、高所恐怖症なのかもしれないと思った。
トロッコ道はずっと、そんな木々を見ながら歩いていく。ウィルソン株を抜けて、少し歩いていくと、そして来ました山道。
(ウィルソン株の中はハート型に見えるので有名ですが、わたしはそれがこことはわからず、ハート型じゃん!すげえって思い、あとで答え合わせをしました)
ここからトロッコ道とはうってかわって、急激に山登り。
足腰にくるも、みんなが謎に越してくれと避けていくので、越さざるおえない。くるしい、大変疲れる。そんな時にキャラメルを食べたら、疲れがぶっ飛ぶレベルで楽しい。
周りに人も見受けられないので、1人で実況をしながら山道を登る。
最初はたくさんいたのに一行を抜かしすぎたのか、誰もいなくなってしまった。それでも実況をし続ける。
そんなちょっと苦しい時に、疲れた時に全く関係ないいろいろなことを
考えてしまうこの現象をなんというんだろう。
有給休暇でも、仕事の連絡が来てないかなど気になる。
あーもうきっと前の会社の人に会わないだろうなあ。とか
言いやすい人というカテゴリにならなくていいんだなあ。とか
人にわざわざヘラヘラしたりとか、自分のことを下げて言わなくてもいいんだなあ。とか
いろんな人の事情を考えて、人に気を遣ったりしなくていいんだなあ。とか
悪いことしてないのに謝ることをしなくていいんだなあ。とか
気を遣った言葉のチョイスにしなくていいんだなあ。とか
辞める時に、それも考えていたら涙が出てきた。社会でいかに自分が楽だなあと思える自分でいられるかは難しいし、そういうのは年齢を重ねれば楽になるはずなのに、わたしの場合は不器用すぎてわからなくなってしまっていった。
何考えているんだろう。いつまでこのトレッキングも、自分が窮屈な日々も続くのだろうと思っていたら、やっと着いた。
ひときわ、本当に大きい。まっすぐ、何メートル?
幅が16メートル。木の高さ25メートル。
何千年の年月を経てもなお、緑をつけるこの木に比べて、私たちなんて小さくて、人間は若輩者にすぎないなあ。
主だこれは主。まっすぐまっすぐ伸びていく。
昇った甲斐があった、本当に大きい。
並々ならぬ、なにか強いものが出ている気や気配がする(語彙力)
本当に圧倒された。
ずっと続いていくんだろうな。色々なことは。
でも、何かありながらもそれに慣れて嫌な気持ちを感じなくなるようになるのではなく、それにただ負けない強さをつけていくのかもしれない。
少し前に、自分は嫌なことに慣れていくように年齢を重ねるのかと思ったら嫌だなあと思った。でもそうじゃないと、ある人にサラッと言われて嬉しかった。
なんだか、登りきったあと、行き交う人が友達のような気分になった。
「あと少しです!」「がんばって」って、登ったからこそ伝えられたのかもしれない。
何かを吹っ切れて、下山した。
10時間のところ7時間のペースで歩いたら、バスがちょうどいい時間になくて、完全にわたしはあほだった。
なんとか宿について、荷物を回収したら、いきに一緒だった、親子と会った。
あちらは白谷雲水峡、わたしは縄文杉で、それぞれ、今日のお話をした。わたしは、違う宿に泊まるという旨を伝えたら、「一緒にお酒飲めると思ったのに〜」と言われて、うれしかった。飲めないのは残念だったけど、このご縁や出会いはどこかで繋がるだろうか。楽しい日々を過ごしてほしいし、本当にありがとうございました。
縄文杉は偉大だ、圧倒される神様だ。
わたしの仕事のあれこれなんてちっぽけだ。
わたしも気づかず迷惑をたくさんかけていて
多くのお互いと分け合って生きている。
もっと自分が生きやすいように、自分で動くことが必要だ。
あしたはもののけの森へ。
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