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もしもの、クーラーとパセリ

扇風機の回る部屋。
セミがなく音。
窓は開きっぱなしで、生温い風が入ってくる。

一言で言うと「暑い」。
クーラーはというと、故障している。
夏の始まりに多くの人の故障で、修理が混むためなかなか順番はこない。
こういう時はフローリングの冷たさだけが頼りだ。

「あっつ〜」
うつ伏せに体を冷やすように寝ている。

「さとこ」
「ん」
「別れよっか」

扇風機とセミの音がさっきより強く響いて聴こえる。

「そっか」
「うん」

そこからの出来事は一瞬。
夏もまだ始まったばかりだというのに、ニットの糸がどんどん解けて行くようだった。
彼のことは別にきらいではなかったけど、4年も経つとなんの感情が残ってるのかはわからなかった。惰性だったのかもしれない。
相変わらずうざったいセミの音と、生温い風。直らないクーラー。

「夏がきらいになりそう」

口から静かに飛び出した声。
突発的に財布だけを持って家を飛び出し、喫茶店に避難した。

「おまたせしました」

ウェイトレスが、注文していたオムライスを持ってくる。オムライスに添えられているのは、苦手なパセリ。普段は食べないのに真っ先にパセリを食べていた。苦くて青臭くて、やっぱりまずかった。

帰り道に展望デッキの文字を見つけた。
ここは何かと彼とよくきた場所だ。

「 あれがほら、よく通る道。"ラッキョウ"がよくいる」
「あそこかあ。よくわかるね、全部同じに見えるのに」

彼はずっと遠くを見ていた。
わたしには、毎回見るこの景色に彼がなにを望んでいるのかわからなかった。

「そういや、友達があのビルの光みたいに残業したくないよねって話してた。こんな時間まで働くなんてブラックだもんね」

超高層ビルを指差して言った。すると、

「俺は。あの光の一部にでもなれたら最高だけどね」

きっとわたしが彼に惹かれたのはこういうところだ。彼が見ている、"先の"風景をわたしは一緒に見ることができなかったのだ。

もし、クーラーがはやく直っていたら、もしパセリをもっと早く食べていたら、わたしは"先の"風景を見れていたのかもしれない。
そして、彼は別れなかったのかもしれない。
日常に彼と過ごした破片が散らばっていて、怪我をするくらい鋭い。この破片にいつか気づかなくなるなら、今はボロボロに傷ついてもいい。

1人で展望デッキから見る風景はすべてが滲んだ、抽象画のようだった。

「なんで猫に"ラッキョウ"って名前つけたんだっけ」

つぶやく声に、返事はない。

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