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友人のひとり

金曜日、街には人が遅くまで集まっている。
今日はそんなに急ぎの仕事もないし定時に上がれそうなんて思ってたのに、終わりかけでいつも仕事を頼まれる。断れないのが一番悪いのはわかっている。そういう日に限って、人と約束をしていたりなんてことはしょっちゅうだ。 

スマートフォンを開いて、"ごめんもう少しかかりそう"と待ち合わせの時間。
"大丈夫、ゆっくりで"なんてゆるい返事が来る。あの人のことだから恐らく全く怒ってなんていなくて、ちょっと慣れない街にワクワクとソワソワしているだけだ。

やっと終わって、会社を出る。電車に飛び乗り、スマートフォンを少し鏡のようにして前髪をさわる。2年ぶりに会うから、なんとなく成長してないとなんて気にしているのが途中で、ばからしくなった。

「よお、久しぶり」
全く2年前から変わってない。彼の言葉は、最後にちゃんと句点がつきそうな感じがする。
「ほんとにごめん!」
「大丈夫、メニュー決めてたから。行こう」
「ありがとう。あれ、どこ行くの?このビルだよ」
「ああ、そうなんだ」

自分の頼むメニューだけ決めて、お店の場所を把握していないこの感じは、いつもの彼の嘘であると知っている。
この人はほんとはすごく念入りに調べるタイプだ、でも気にしてない雰囲気を出す。ずっと変わってないし、これからもそうして頭がいいのに頭が悪いフリをするんだろうなと、ぼんやり考えていた。
でも、私はいつもこの嘘に付き合う。
お酒を飲んで乾杯しないのも、彼は乾杯という行為に恥ずかしさを思っているからだ。なんでこんなひとつの簡単な当たり前な行為に恥ずかしさを思ってやらないのかはわからないけど、いつも彼が一口飲んで置いたグラスに、飲む前にグラスを当ててからなんとなく飲み始めてしまうのも、2年前から変わらない私の彼に合わせた癖だ。

会計時に同い年なのに多く払おうとされるのは、年上にご馳走されるのより気がひけた。
年上を立てるという意味で、この世ではすんなりご馳走されることがあるけれど、同い年はどうにもできない。

「ありがとう、次は私が多めに払うから」
あっちがどういう意味で払ってくれてるのかわからないから、申し訳なさそうに感謝を伝えるだけだった。言ったそばから、安易に"次"なんて口にしたことを後悔した。
私たちに次なんかあるのだろうか。

彼とはずっと友達で、これからも友達だ。
やはりみんな恋が始まるときは、その始まりにどこか友達とは違う何かを感じているからではないか。どうして好きなのか考えるときはすでに後からの理由づけにすぎない気がする。

「スカイツリー行きたいなあ」
「前行ったでしょ」
「何度行ったっていいんだよ、あそこは」

それは私と行ったのを覚えて言っているのか、わからない。"一緒に行こう"の意味なのか、でもそんなの気づかなくていいと心と指切りをした。
これから変わるのかわからないこの気持ちは、夜の地下鉄の中に吸い込まれていく。

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