ヴェジタリアンとヴィーガン
サンフランシスコに住んでいる私の英語の先生、ジェフはヴェジタリアンだ。
午後の授業で毎日自分が食べた物を紹介してくれる。メニュー名と言うより、野菜そのものが多い。例えばカリフラワー。茹でて、ヨーグルトで和えて、クミンとターメリック、塩胡椒で味を整えたものとか。
クラスメイトはラティーノとチャイニーズが多く、肉も魚も大好きな非ヴェジタリアンばかり。私は好んで肉魚を食べないヴェジタリアン寄りなので、I'm a almost vegetarian だと発言したらジェフはとても嬉しそうだった。
ジェフはアーカンソー州で生まれ育った。アーカンソーは農業州だ。大豆、モロコシや米、鶏肉と鶏卵、牛、豚、牛乳、綿花など作る。
彼の実家は絵に描いたような古き良きアメリカそのもので、大きなトウモロコシ畑を持っていて、牛や鶏を飼い、お母さんはパイを焼いていた。食べるものは何でも美味しく、ほとんどが自給自足、彼はこの環境を愛していた。
しかし、ある日少年ジェフは見てしまう、新聞に載っていた劣悪な鶏の飼育環境を。
小さなケージに何十羽と詰め込まれた鶏。
彼の頭に疑惑が湧いた瞬間だった。
すぐさま父親に聞いた『うちの鶏はどうやって飼育してるの?』
『ケージに入れてるが、十分走れる広さはある』
ジェフはひとまず安心した。けれど新聞の写真が頭に張り付いて、実際に自分の家の鶏舎を確かめに行くことができなかったという。それからはお代わりをしていたチキンのシチュー、フライドチキンなどがあまり好きでは無くなっていった。
運命の日がサンクスギビングにやってきた。近所の大勢が集まってバーベキューだ。
どの家庭もとっておきの物を持ち寄る。ターキーに始まり、肉の煮込みや、、新鮮な野菜、パイやケーキ、など。
その中にジェフが見たくないものがあった。
狭いケージに閉じ込められた鶏だった。
より新鮮なものをと誰かが家から生きた鶏を運んできた。それをその場で捌いて、グリルにしようと言うものだった。おまけにジェフぐらいの少年(この時16歳)に首をハネるのをやってみろ、と促していたのだ。
オーマイガーーーー!
ジェフはその時点で10マイル離れていた自宅に歩いて戻った。遅く帰宅した彼の父親はジェフがと畜に怖気付いたと思い、男のくせに となじった。
それから2年、家族とはなんとなく距離が出来、18歳で大学のために自宅を離れた際、ジェフは完全なヴェジタリアン宣言を自らに誓った。
さて、ヴェジタリアンと同じようによく聞くのがヴィーガンだ。ジェフが授業中に私に教えてくれた説明だと違いはこうだ。
ジェフは現在100%ヴェジタリアンで
75%ヴィーガン。
かつては完全ヴィーガンに憧れたという。
動物由来のものから、自分を遠ざければ遠ざけるほど崇高な位置に自分が居られると思っていたそうだ。一日2食、野菜とわずかな果物と水。いつもお腹が空いていて、倒れそうだったけれど、心はすごく満足していた。
有名なヴィーガニストのパーティにも行った。
男A『家のリンゴの木から、落ちてきたものだけを持ってきた』見るとテーブルの上に変色したリンゴが三個。
男B『隣の農場で落ちていた小麦の穂を挽いて作ったパンだ』小麦を練ってオーブンで焼かれたカチコチな物体が。
男C『庭に生えていたキノコのオイル漬だ』ジェフにしてみたらこれが一番食べるのに勇気が必要だったそう。
想像を超えるヴィーガンぶりに彼は自分が持ってきたセロリと人参と胡桃のサラダが出せなくなってしまった。
話題はいかに自分が自然に邪魔(無駄な殺生とか)しないで生きてるかの報告。美味しいヴィーガンレシピとかの話題を期待した彼は撃沈。
また、20歳になった時、初めての彼女と行ったデート。隅から隅までメニューを読んでも食べれるものはなく(37年前のウェンディーズ)。結局水しか頼まなかった彼は早々に振られた。
その後も友達の家に行っても 何を食べて良いか迷ってるうちにがパーティが終わったり、次第に友人と食事をするのが億劫になったりしていった。
その頃の彼の口癖は
肉を食べのは間違っている、
みんなヴィーガンになるべきだ!
25歳のクリスマスに、ジェフは誰からも誘いが来なかった。
26歳、27歳のクリスマスにも1人だった。
友人はいなくなったがそれは自分が誰もついて来れないほど気高い存在なんだと信じていた。
28歳のサンクスギビング、堪らなくなって10年ぶりに実家に帰った。
どこの国もお母さんは優しい、鶏の一件から様子が変わった息子を察していたのだろう、ご馳走のターキーの代わりに彼の皿に盛られたのは茹でたカボチャとブロッコリー。
典型的な南部生まれの母が、料理自慢の母が、サンクスギビングに茹でただけの野菜料理を出してくれたことで、人に自分の主義の強要は良くないと悟ったジェフ。
人に許容して貰った分、自分も他人を受け入れようと、次第に菜食主義のルールを緩めていった。
強い主張をしなくなった彼に少しづつ友人も戻ってきた。
そして20年前にこのサンフランシスコに引っ越し、全米の中でも抜きん出て菜食主義者が多いこの地域で彼は元気に教師をやっている。
野菜は美味いし身体にも良い、僕はヴェジタリアンだ!と毎回おすすめレシピをくれるが、私たち生徒に主義を押し付けはして来ない。
動物愛護の観点からデモにも誘われるというが積極的に参加はしたくないそうだ。
菜食主義、動物愛護のデモってケージに入れられた鶏の写真とか掲げるだろ?インパクトあるけど、未だに思い出すだけで胸が痛い僕みたいな人を作りたくないんだ。
そして彼の戦法はこうだ。
僕は今、鶏を飼っている、食べるためじゃない、ペットとして。呼べば来るほどに懐くんだ。僕は時々鶏達を庭に離してみんなに見えるようにする。この幸せな関係を知ってもらう事により、動物愛護の運動をしているんだ。
時々彼らは無精卵を産む。75%のヴィーガンになった僕はありがたくいただいてるよ。食べる事に因り、より自然に邪魔をしていない気がする。100%の時よりずっとね。
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