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催花雨のころ おいでませ山口 Ⅱ 〜防府天満宮と料亭「桑華苑」

旅三日目
防府市




雨は止まない。
ホテルで傘を借りて、防府天満宮へ向かい、うめてらすのカフェで遅めのランチ。

土砂降りではなく、いい感じの小雨だ。
催花雨が、天神さまの石段や鳥居をしっとりと濡らし、晴天では味わえない風情を醸し出してくれる。
防府天満宮というより、幼かったころからの呼び方、天神さまのほうがしっくりくる。

青銅鳥居


参道の大石段を少し上った右手の茶室芳松庵ほうしょうあんの門をくぐる。


茶聖菅公と称せられた菅原道真公
お茶に関する故実を調査、研究され世間に喫茶の習慣を広められた
菅公とお茶の深い関わりを後世に伝えるため、平成3年に建立されたのが茶室芳松庵ほうしょうあん(設計 大江 宏氏)

花あしらい 薄曇りに灯る電燈 雨に濡れる庭木
おもてなしの心に包まれて庵の石畳へといざなわれる

横にしなやかに伸びる小枝に雨が球となって留まり、幻の花のよう






二月堂机が置かれた間でお抹茶をいただく




一服いただいたあとで奥のお茶室へと廊下を進む


陰翳礼讃いんえいらいさんの世界が広がる




茶室から見た池泉回遊式庭園
ただただ見事
光、雨、水面、鯉、樹々、庭石




建物を出て、庭園を見て回る。
二階建ての建物が暁天楼。
坂本龍馬、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文ら、維新の志士たちもしばしば利用したという天満宮門前宮市にあった宿「藤村屋」の離れを移築再建した建物。

建物の一階は漬物小屋として使われていたため土間になっている


次に防府天満宮御神木を拝む。

毛利の戦いや幕末の志士達を目撃した証人  防府天満宮御神木
樹齢推定800年の楠




わずかに雨足が強まった庭園を歩く。








多くの庭園を訪れた。
故郷ふるさとの、人生の節々にお参りした天神さまの茶室 芳松庵ほうしょうあんの佇まいが、この日、最も深く美しく刻まれた。


茶室芳松庵ほうしょうあん向かいにあるのが大専坊跡
戦国時代には毛利元就が山口の大内氏を攻める際に本陣を置いたり、
幕末には高杉晋作と来島又兵衛が激論をかわしたり、
伊藤博文や野村望東尼や奇兵隊隊士なども訪れたとされる由緒ある場所


「扶桑菅廟最初」
日本で最初に創建された天神さまを参拝する。



防府天満宮楼門


天満宮といえば

牛を撫でてから自分を撫でると頭がよくなる、病気が治るというご利益からか
なぜか鼻が剥げて赤銅色になっている神牛

参拝が3月24日だったので
拝殿は御礼参りの受験生と家族で賑わっていた 

それぞれの春
春は訪れる

防府の町が見渡せる春風楼
建設が頓挫した五重塔の部材を引継ぎ、床下廻りに塔初層の組物を使用した楼閣風の独特な形式
龍を見上げて休憩

客殿


雨に煙る天神山


大石段を下りて、うめてらす斜め向かいの山頭火ふるさと館でゆっくりする。




午後六時
友人たちとの会食の場所へむかう。



モダンで落ち着ける店で延々四時間近く酒と会話と料理で盛り上がる


旅四日目
墓参りのあと、料亭桑華苑そうかえんで昼食

実家で仏様を拝み、墓参りをして墓前で父母ちちははに帰郷の挨拶、手を合わせる。
兄が予約してくれた料亭で会食。兄夫婦と私たち夫婦。

華城はなぎの地、桑山くわのやまに建つ料亭桑華苑そうかえん

母がよく来ていた懐かしい料亭
帰省した娘たちの大学合格祝いをしてくれたり
母の法要の後のおときに使わせてもらったりと思い出深い

時折聞こえる鹿威ししおど
静寂が心地いい


桜尽くしのランチ


お酒はやはり防府の酒「六三一」
山口県オリジナル酒米品種西部の雫を使ったお酒
淡麗辛口 フルーティーな余韻
女将手作り梅酒もいただく

海老豆腐


イサキの一夜干し

防府の筍の若竹煮

桜海老と新玉葱のかき揚げ

ホタルイカと胡瓜・枸杞の実の酢物

梅で炊いたシラスと桜葉のご飯

苺大福とコーヒー

苺と餡子と求肥をいっしょに食べて
口中で味わう苺大福

すべてがゆったり流れる 桑山くわのやまの麓での昼食。
兄にごちそうしてもらい、恐縮。

穏やかな、穏やか過ぎる故郷ふるさとが、今は愛おしい。

JR防府駅天神口を出たバス停方向に托鉢姿の山頭火像と句碑

        
昭和8年7月28日小郡の其中庵を出て、山口、仁保を行乞
佐波川上流の小古祖の河野屋に投宿した際の句


ふるさとの
水をのみ
水をあび


山陽本線で徳山駅に行き、のぞみ乗車、帰路に着く。

催花雨のころ
山口と防府
思い出をまた一枚
ふわりと
かさねる。


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