悟飯は学者になって何を手に入れたのか。

僕は悟飯が好きだった。
あ、ドラゴンボールの話ね。

いつか悟空に変わって、悟飯が主役になるのだろう、と誰もが一度は夢見ていたはず。そして、その最高潮はセルを倒したあの、親子でカメハメ波の瞬間だったと思う。

しかし悟飯はなぜかいつも損をする。
この名シーンである親子カメハメ波。悟空はもう死んでそこにはいない。悟空は魂として、またその意志が悟飯の中に宿っている、という表現なのだけど、それなら悟飯が真ん中で、それを助けるように悟空が支えていて欲しかった。
なぜなら、セルを倒したのは悟飯なのに、この絵を見る限り悟空が倒したと印象に残ってしまうから、なのだ。

それが災いしてかどうかはわからないけど、悟飯はとうとう主役になれなかった。
おそらく、当時のジャンプ漫画において、筋肉の強さは知性の高さよりも貴く、炭治郎のように優しいものは生き残れないのだ。悟空も優しいけどあれは天然で、悟飯の優しさのほうが炭治郎に通じるものがある。

僕は悟飯が主役になれなかった悲哀にふけるとき、必ず「トキ」が脳裏を横切る。そう北斗の拳のトキだ。
ラオウが動ならトキは静、動に動では勝てぬとケンシロウを愉し、ラオウを止められるのはトキだけ…静が動を制すなんてめっちゃカッコいい‼︎

……トキ…死んでもうたよ!

やさしやゆえに放射線に侵され自分の力を出せなかったトキ…いや、違う。ジャンプ様が、主人公は「動」に決まっとるやろが‼︎と言っているのだ。トキはそれを読者に植えつけるために犠牲になったのだ。

僕は悟飯が「学者になりたい」と言ったあたりから、嫌な予感がしていた。チチ!なにいらんこと吹き込んどんねん‼︎と。

しかし、チチの気持ちもわかる。
旦那が地球を救うヒーローでも、毎回そんな心労が続くうえ1円にもならんのでは仕方がない。
あのパワー、スピード、空飛べて、瞬間移動もできるって成功する要素しかないがお金に困るというのは、もう単に働きたくないという理由しかありえない。

チチは牛魔王という資産家のお嬢様でプライドがある。母親としてのプライドが悟空と違う道に進ませたいという子育てに向かうのは当然だ。
そして今になって思えば、その旦那の大親友ブルマは、カプセルコーポレーション創業者ブリーフ博士の娘である。そんなもん、いろんな意味で嫉妬しまくるに決まってる。
特にこちらに悟天、あちらにトランクスが生まれて子育てでライバルになったら、先輩ママとして悟飯には必ず結果を出してもらわないといけないのだ。

そんな重圧のなか悟飯は猛烈に気を使いながら育ったのだ。だから引っ込み思案で自己肯定感が低い。それは読者にもあきらかにわかる。
だから自己コントロールが下手で「キレる」ことで強さを発揮し、キレると手加減ができない。まさに当時から言われてる現代っ子だな。

なのに相手が弱いとみるや急に強気になる。
悟飯は本当に優しい子なのだけど、どこかで少しこじれてしまっているのだ。
子どもに気を使わせすぎると、このように自分の子がいざ地球をすくうような場面でも自己顕示欲を優先するようなってしまうのです。

とはいえ、自分の感情や甘さを克服したことでセルを完全撃破し、圧倒的な強さで一人前になった最強悟飯がとうとう主役だ、とみんなが思っただろう。

その結果が、グレートサイヤマンなのだ。

いや、いやいや、これはドラゴンボールの既定路線だ。まずギャグ路線に戻しつつ読者の気を緩ませてから、だんだん深刻な事態に陥っていく、というパターンに違いない。

ぼくはそう思いたかった。

でも路線はこれで正しいのだ。 
なのに、何か違和感あるんだ。

このグレートサイヤマンのダサさは鳥山明らしいズラしかたである。これを例えば悟空がやってるのがふつうで、仮にベジータだったらギャグになる。

なのになんだろう?
この「悟飯だから異常にイタイ」のは。

悟飯はこのとき、地球最強である。
しかし「学者になりたい」のだ。

圧倒的強さでややサイコパスな父とヒステリックな教育ママの期待に応えようとずっと顔色を伺い、ほかに相談したくても周りの大人で誠実なのはクリリンくらいしかいない中で育ってきた。

きっと本心で学者になりたいのか、自分でもよくわからないのだ。そんな自分はいつのまにか地球最強の戦士。
そんな自己同一性の危うい悟飯がグレートサイヤマンをやっている姿は、もうどうしようもなく無理しているようにしか見えない。
エンタの神様ですべってる人みたいで見てられない。

ああ、これはジャンプの策略なんだ。悟飯に主役はできないよね…という洗脳が聞こえて来る。

悟飯が求めた知性は、自らを主役から引き摺り降ろしてしまった。今のジャンプなら、悟飯は知性と力を兼ね備えた最高の主役パターンである。(師匠のピッコロも神様と大魔王のハイブリッドだ)
しかし、ジャンプの法則は「力にはそれ以上の力で無理やり勝て」と言っている。

そして、それでもまだ望みを失ってなかった僕が完全に敗北する事件がおきた。
「老界王神は超能力で、悟飯の潜在能力を限界以上に引き出す」というのだ。

僕はこれを聞いた時、もうほんとう最高の最高に嫌な予感がした。もうやめて、主役とかもういいから、せめて悟飯の評価をさげないで欲しかった。

なぜなら「何の努力もせずに強くなった主役級」は、ドラゴンボール上においてはその後たいてい酷い目に会うのだ。

ナメック星で最長老に強くしてもらったクリリンたいして活躍せず爆発。
クリリンに瀕死にしてもらってお手軽強化したベジータその強さフリーザの前でまったく無意味。
つまり、これはインフレの最たる例で、読者も作った側も強さを実感できずに活躍させられないのである。

修行せず、座ってただけで強くなった悟飯が本当にブウたおすなんて何の感動もない事をするわけが無いのだ。つまりこれは…トキ…。間違いなく悟飯が敗北する、というフラグなのである。

悟空やベジータ、悟天やトランクスといった「動」キャラを活躍させるために、たった1人「静」である悟飯は…犠牲になる。。。
それだけでも哀しいのに、なおさら哀しいのはその負け方が、結局またこじらせた自己顕示欲と地球の平和を天秤にかけるというダメっぷりを見せて負けてしまうところだ。

僕は本当に悟飯が好きだったので、もうそのあと最終回をみたのはジャンプではなくコミックスがでてからだった。こういう終わり方だったのか、と、すこし冷めてしまっていた。

最終的に悟飯は本当に学者になれた。
悟飯は何を手にいれたのだろう?
そもそも、親子だからって同じ分野で父親を超える必要ってあるのかな。周りにアウトサイダーしかいない環境で、子供の頃からの自分の夢を実現してよくやったと思う。

それって悟飯こそが「修行と言えば戦うことだ」という世界のなかで、誰よりも孤独にずっと努力をして勉強という修行を重ねていたから、ちゃんと叶えられたんだよね。

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