未来の技術は、未来のためにある。今のためじゃない。

10年前に、親和女子大学での社会企業論を担当した時から、ソーシャルビジネスやソーシャルデザインだけを教えてもそれだけのことなので、広く起業や未来の仕事観がどう変わるか、はたらくってどういうことかを論じてきたのです。

それは、大学生の就職活動に関して余計に惑わせた部分もあると思う。
授業となると、基本的に成功したNPOの事例を多く取り上げるわけで、その背景には何十倍もの淘汰されたNPOがあるよと説明しても、最近の学生は社会貢献に興味が強いためポジティブ論にひっぱられます。

でもなんかしら仕事で実現できる夢とか社会参画の感覚はもってほしいなと思ってます。
狭い社会感覚の中でありきたりな仕事からしか就職や自分のキャリアを選べず、その他の情報が知らされていないのはステレオタイプへの誘導だし、機会が不均等だからです。

ところで、そんな社会企業論で、僕が10年前からずっと主張してることがあります。

それは、未来にはみんなが複数の人生を持つことになる、という事です。

10年前からオープンワールド型(別の世界がオンライン上にあってどこにいってなにをしてもオッケー、みたいな感じ)のゲームはたくさんありましたが、あれは、そのうち、この社会そのものになります。

つまりゲーマーじゃなくても、みんながオンライン上にある別の世界…おそらく近い未来にそれが国や自治体と認められる可能性がある、そこで「暮らす」ことになると考えています。

リアルに生きている世界と、ログインしてアバターで生活する世界です。
簡単なやつでいうと「アメーバピグ」なんかそうだし「セカンドライフ」はもうこれが一旦できあがっていました。

そして、未来のその社会では、そこに貨幣があり、仕事があり、経済がつくられるので、どちらの世界で主に生きるか、は自由になります。

もちろん時間は有限なので、主と副というようにわけるのか、行き来するような生き方をするのか、どちらかだけを選ぶのかは自由でしょうけど、いまの自分の人生設計も難しいのに、もうひとつ人生をもてるというのも悩ましいですね。

でもこの世界では、いま生きているリアルな世界でできなかったことにチャレンジできるし、あるていど別の人になって過ごすことも可能でしょう。
また、誰とでもパートナーになれるし、身体が不自由でも病気でも、なんらかのインターフェイスが使えれば「しごと」ができます。
僕はそのことに大きな希望を持っています。

未来というのは、明日来るわけではないけれど、気がついたら随分変わっているものです。

僕はいま、デザインの制作以外ではパソコンをほとんど開きません。たいていスマホで完結します。
しかし不思議と、パソコンを開かないことで、紙とペンを持つ時間が増えました。

紙に書いたラフを写メで撮って送る、というようなことが良くあります。

そこでふと、気がつきます。
アップルペンシルとiPadがあれば写メで撮る必要もなくなる。紙を買う必要がなくなる。画材を持ち歩く必要がなくなる。

インターフェイスが発達しても、人は手描きに戻ろうとする。しかしその手描き感覚をタブレットで高度に再現できるようになったら。
つまり「今」が本当のタブレット端末のスタートラインだったんだ…と感じたわけです。

新しい技術、例えばブロックチェーンとか、AIとかは、実際はずっとずっと前から開発されています。
それがだんだんみんなが知るようになるわけですが、これは基本的に「未来の技術」なんです。

未来の技術を今に当てはめて、みんなギャーギャー言うてるんです。
違う、その技術をつかうのは「今」じゃない。

国や社会や、会社、仕事そのものがバーチャル化して、リアル世界のルールでは不自由になったときに、
AIやブロックチェーン、仮想通貨、みんながそれらを普通につかうことになります。

でも、みんなそれには気がつかないまま、盲目的にサービスを享受するだけになってしまう。

だから、今の社会に当てはめて危ないとか使えないとか言っているよりも、どんな世界が未来にやってきて、自分をどう活かすかを頭の隅っこでもいいので考えておくことが、少し世界を自由に渡り歩く術かなと思います。

さぁ、何に転生して生きていこうか、
僕は楽しみですが。

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