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「帰れ!」と叱るひとの頭の中。まだまだ言葉のリテラシーの低い世界。

上司とか先生から「帰れ!」と言われた時にほんとに帰ったらいけないのか?という、あの話なんですね。

それで、これは世の中の雰囲気的には、
「すいません、やらせて下さい」ってそこに残るのが模範解答で、本当に帰るなんて何考えてんの?って言われるんだと思うんですが、
じゃあ「やらせて下さい!」って言ったら言ったで「帰れって言っただろ!」みたいな追い打ちをかけますよね。
これをやることで、やる気とか反省度をはかるみたいな事だとおもうんですけど。
そして、本当に帰ってしまうのは空気がよめない、とか、あるいは発達障害だからだとまで言われたりします。

正直いって、このやりとりは必要なんでしょうか。
このやり取りで、なにか生産性があがったり、教育効果が高かったりするんでしょうか。
そんなふうに考える僕の方がズレてるのかもしれませんが、この問題は「最近の若者」とか「発達障害」とかの問題ではないとおもいます。

根性とか精神が大事にされた、前の時代の考え方と、現実の効果とか事実を大事にする、今の時代の考え方とのズレだと思うんです。
そして、時代は「思い込み」で回っていた社会から事実はどうかを考える時代に動いています。

そもそも人間の悪い習慣は、そのほとんどが「思い込み」です。きっとこうに違いないということで、魔女狩りが行われたり、真夏に水を飲ませなかったりするわけです。そうして、それを正しいと信じている人たちが、事実を突きつけてくるデータを脅威だと騒いでいます。

まだ今は帰れと言われて本当に帰った人がおかしいっていう雰囲気ですけど、これからは、「帰れ」と激を飛ばしたつもりがパワハラになり、場合によっては虐待に抵触するようになるかもしれません。

僕はこどものときから「帰れ」みたいな怒鳴り方をする人は、その相手を育てたいとか気づかせたいとか、そんなこと全然思ってないと考えてました。
本当に愛のある指導ならば、こうはならない。だってその指導者が1番に考えていることは「この相手をへこませてやろう」ということだから。

漫画やドラマの真似してるだけ。スポコンや熱血指導の「テンプレ」をそれを正しいと思い込んで、現実にもちこんでやってるんだなと。

チーム全員がその価値観で動いていて、その中でパフォーマンスが上がるのならまだ否定しません。そこで嫌な気持ちになる人が誰もいないなら。

相手をへこませるためにわざと言われたら嫌な言葉を投げかける、そんなことが普通にまるで良いことのように行われていて、
そして違和感を感じた人の方が、社会がわかってないとか、空気が読めないとか障害があるかのように言われる。

むしろ、いろんな人がいる社会の中だからこそ、指導者のスポコン価値観に人を巻き込むような言い方をしちゃいけないはずじゃないのかな。人それぞれが力を発揮して、間違ってたら修正できる叱り方は、そんな方法のわけがない。

話を聞いてない人には「話をきいてくれ」と言えばいいし、サボってるんだったら「しっかりやれ」と言えばいいし、どうしても輪を乱されてら困るのなら「今は外れてほしい」と言えばいい。

「帰れ」という言葉は「帰れ」という意味であり、「ちゃんとしろ」という意味は持ってない。

もしそこに慣用表現として別の意味があるのならば、その意味を知らなかったり、言葉通り捉えてしまいがちな人は、気が付かないかもしれない。それは知識不足だったり、特性によるものだということがあり得ると思うけれど、

こういうわざと相手をへこませる言い方は、少なくとも国語的な慣用表現じゃない。それをごちゃまぜにして「指示がとおらない例」なんて揶揄しているものもあったりして、すごく言葉のリテラシーが低いと思う。

「そういうもんだからわかれよ」と、効果もない、他にもいくらでも伝え方があるのに、人が傷つく事をするのが当たり前って、そんなのなくていいよ。
まだここは、そんなレベルの世界なんだという自覚がいると思う。

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