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どうせなら分からないふり 4/23

こんばんは
本日はデザインについて勉強しました。

今回はこの記事について取り上げさせていただきます。

分かったふりをしてしまう

小学生のころは見栄っ張りで少しわからいことでも、知ったふり(方言でしったかー)をしていました。しかし、成長した今でもわからない言葉でも周囲に合わせて、知らないことをわかると言ってしまうことがあります。

オンラインだと、すぐに検索エンジンを開いて調べることができるのですが、対面だとすぐに調べることができず、後のこっそり調べるようにしています。意外とそういう時に誰もわかってなかったりします。

難しいことにどう立ち向かうか

記事の中では、スポーツ選手から経営者になった筆者が、自分の苦手とする分野にどのように立ち向かっていくかについて述べています。筆者は難しことに距離を置くのも手と考えているようです。

筆者は事務作業が苦手で苦戦していましたが、人に任せることによってとても効率よいことに気がついて様です。そのように、難しいことに直面した際に、解決することよりも幸せになれる選択を考えるとよいそうです。

記事の気になる点

記事の中で、人生は暇つぶしという表現があり、少しラフすぎると考えてしまいましたが、幸せを定義するというのは重要だと思います。何がしたいかを明確にしないと何もしてこなかったと後悔する気がします。

記事の中ではあまり触れられていませんが、分かったふりするよりもわからないふりするほうが良いというのにとても共感しました。その点に関して考察していきたいと思います。

分かったふりの危険

冒頭でおっしゃったように、分かったふりをすると、その時に教えてもらうチャンスがあったのに、逃してもらうことになります。また、問題としてわからないことや知らないことは複雑だったり、専門的な場合があります。

特に専門的な用語だとすると、調べている段階で専門用語が出てきてしまって、簡単なことでも難しいように感じてしまう場合があります。もし、人に聞いていたら、自分の理解度に合わせた説明をしてくれるかもしれません。

人を通して学びを深める

また、自分が分かったと思っていることであっても、意外としっかり理解していないことがあります。完璧に理解していないのならばわからないふりをすると、深い理解につながることがあります。

説明する方も、人に教えるとなると一定の理解が必要となります。質問等を通していく中で、気づいていない不理解や新たな見方に気づかされるかもしれません。

知っている人には分からないふり、知らない人にわかるふりして教えるという風に、人を通して自分の学びや考え方を深めるのは、学びの中でもかなり効率が良いと思います。

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