見出し画像

関わる人すべての仕事観、関内の未来像を重ね合わせる作業を丁寧に。まちとともに成長する拠点づくりの原点とは。

 関内のシェアオフィスG Innvation Hub Yokohama(以下G)は、2019年にスタートし、この6月で5周年を迎えました。
これまで、入居者さんや、Gとかかわり深い関内で働く方々をインタビューしてきましたが、4回にわたりスタッフを紹介します。第3回目は、Gのディレクター櫻井怜歩さんです。まちづくりに興味を持っていた櫻井さんは、新卒でリストグループに入社。同社が所有するビルの空室をシェアオフィスとして活用することを提案し、入社2年目にその立ち上げに向けたプロジェクトメンバーになりました。関内のまちで活躍するさまざまな人たちと議論を重ね、個々の思いを尊重し一緒にGを作った経験は「私の仕事の原点」と言います。人が集まって関内を活発にしていくような場に―。その思いを胸に運営しています。


まちの生態系を活発にするまちづくりをしてみたい

スタッフと入居者が気軽に話している姿もGの日常。ビジネスから子育て、趣味など、会話の内容も幅広い。街のなかでの立ち話の感覚に近い。


私が生まれ育ったのは大阪府堺市のニュータウンです。6、70年前に作られたというニュータウンの住人が世代交代していく中で、だんだんと空き家が増えていくのを感じたり、父がまちづくりに関わる仕事をしていたこともあり、まちの成り立ちに興味を持ちました。地域活性に関心があったので、大学では観光の観点からまちづくりを学ぼうと観光学部に進みました。留学を経て、ハワイやシンガポールにも支店があり、日本の富裕層向け別荘などを取り扱っているリストグループに新卒で入社し、最初に配属されたのは「横浜支店」でした。そこで営業実務を半年経験して、都内の支店へ異動しました。営業を通して色んな地域を見たり、さまざまな人に接したりしながら常にあったのは「まちの生態系を活発にするまちづくりをしてみたい」という気持ち。そのためマーケティングや土地の仕入れなど、営業以外の仕事をしている社内の人たちともコミュニケーションをとらせてもらっていたんです。入社1年目の私でも他の部署の人と話ができる社風だったことはとてもありがたかったですね。

どの時代も新しいものを取り入れてきた関内に、人が交わり新しいものを生み出す場を


コミュニケーションを図る中で、空室が目立っていたビルの活用についても意見を交わしていましたが、まもなく会社として本腰を入れてそのビルの活用を考えていくことになりました。私はこれから世の中の働き方が変化していくだろうと思っていたので、シェアオフィスやコワーキングとしての活用を提案しました。ヨコハマは開港を機に海外から何かが入ってきて新しいものが生まれてきた土地なので、新しいものを生み出したい人たちが交わるような場や文化がこの地には合っていると思ったことも理由です。当時リストの社員で後にGのファウンダーとなる相澤毅さんらが、さまざまな提案を受けて、宿泊施設やシェアオフィスなどどんな用途が良いかリサーチを重ね、最終的にシェアオフィスに決まりました。「じゃあ、誰がやるのか」という話になった時に「やってみないか」と声をかけられて。やりたいことでしたし、チャンスだと思って挑戦することにしました。それがGがオープンするちょうど1年前の話です。

「関内とは何か」から話し合い、まちで活躍する人たちの思いを重ねて生まれたG

Gのオープンに向けたプロジェクトの運営が仕事の原点に。議論し一緒に作り上げていく醍醐味や楽しさも学んだ

 そこから相澤さんが中心となって、建築家やデザイナーなど、関内にいるさまざまな分野で活躍する人たちを招集してプロジェクトチームを結成し、意見交換を重ねていきました。何かを作る時は事業主の希望に沿ってデザインや施工をすることが一般的ですが、Gはみんなで一緒に話し合いをして作り上げていくスタイル。初めての経験で大変なこともありましたが、伴走しつつ、プロセスやプロジェクトの回し方など、たくさんのことを学ぶことができました。ただ建物を作るのではなく、いろんな世代の思いが絡む場所をまちの中に作っていくという、私が思い描いていたことができたと思います。21、22年には横浜マリンタワーリニューアル開業に向けたチームのメンバーになって、今もGの運営と並行して、マリンタワーの運営に携わっていますが、ここでの経験は「私の仕事の原点」と言えますね。
Gのプロジェクトではメンバーそれぞれに「この場をどうしたいですか」ではなく、「関内って何ですか」という質問をして、みんなにとっての「関内」をまず言語化することから始めましたのも特徴的でした。横浜市の職員にスタートアップの人たちがどこでどうやって働いているかを教えてもらって見学しに行ったり、まちを歩いてフィールドワークも行いました。Gの建築デザインやロゴなどには一つ一つにきちんと意味があるんです。それはプロジェクトに参加したメンバーが、Gを自分たちの場所として作っていってくれたからだと感じています。

いずれ関内のまちを活発にする心臓部のような場になったら嬉しい


いずれはGが、人が集まるHUBのような場として、大袈裟ですけど、関内のまちを活発にする心臓部のようになったら嬉しいです。関内のことを知らなかった人が入居して関内を好きになったり、どこか一部でもまちに関わってもらえたりしたら良いですよね。長く運営していくと5、10年前に入居していた人が戻ってくることもあると思うんです。一歩踏み出して新たな挑戦をする場所というだけでなく、活躍した後に立ち返る場所でもありたいと思っていて。新しい人たちと、活躍して帰ってきた人たちとの交わりも楽しみにしています。Gにいる人たちはそれぞれがすごく個性的なんです。世の中が単一化しているからこそ、人として個性的でいられる場所はとても価値が高いと思いますし、それぞれの個性を受け入れる人の温かさみたいなものはここの文化として常にあり続けたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?