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日本社会のしくみ

どうも、犬井です。

今回紹介する本は小熊英二先生の「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」(2019)です。タイトルにもあるように、本書では主に日本型雇用と密接に結びついた日本社会のしくみを題材としています。ここで指している「しくみ」とは、社会を構成する人々の間で共有された、慣習の束を意味しています。私たちが暗黙のうちに従っている慣習が、いかにして人々の間で蓄積されてきたかを、大量のデータと歴史を参照して書き表しています。新書でありながら約600ページにも及ぶ大作を、簡単ではありますがまとめていきたいと思います。

「大企業型」「地元型」「残余型」の三つの類型

かつての日本の「普通の働き方」というと、「正社員になり定年まで勤めあげる」というイメージが先行するかもしれない。しかし、そうした生き方をした男性は1950年代生まれで34%であり、1980年代生まれは27%になると推計されている。ここで重要なのは「昭和の時代」ですら、「正社員になり定年まで勤めあげる」という生き方は約3割に過ぎなかったのである。

そこで、現代日本での生き方を簡単ではあるが、「大企業型」「地元型」「残余型」の三つの類型に分けて考えてみたい。

「大企業型」とは、大学を出て大企業や官庁に雇われ、「正規社員・終身雇用」の人生を過ごす人たちと、その家族である。
「地元型」とは、地元から離れない生き方である。地元の中学や高校に行ったあと、職業に就く。その職業は、農業、自営業、地元公務員、建設業、地場産業など、その地方にあるものになる。
「残余型」とは、長期雇用ではないが、地域に足場がない人々である。所得は低く、地域に繋がりもなく、高齢になっても持ち家がなく、年金は少ない。いわば「大企業型」と「地元型」のマイナス面を集めたような類型である。

現代の日本社会の問題は、「残余型」が増えてきたことである。

「地元型」から「残余型」への移行

「残余型」の増加の傾向を理解するには、全体のトレンドを理解する必要がある。全体のトレンドとして、「非正規社員が増加し正規社員が減少している」と思われがちだが、実際は、正規雇用の数はここ40年弱はほぼ一定となっている。非正規雇用が増えたように感じるのは、雇用労働者の総数が増え、増えた分は非正規雇用になっているからである。

これは、自営業主・家族従業者の減少および女性の労働力化が背景にある。18歳から54歳に占める無期正社員の比率は、1982年と2007年もほぼ同じ、46%である。その一方、同年齢に占める自営業者の比率は14%から7%に減り、この下落幅は無期非正社員の増加幅と等しい。わかりやすくいうと、自営商店や自営食堂が減り、スーパーや飲食チェーン店の非正規労働者が増えたのである

ただ、90年代から2000年代初頭の「就職氷河期」や、その時期に就職難にあった「団塊ジュニア」世代では、「非正規社員の増加が正社員の減少」と相関するという通説が当てはまる。

特にその影響を受けたのは高卒就職者である。高卒就職者は1991年3月の約60万人から、2004年3月のおよそ20万人と約3分の1になった。その一方、大学卒業者は、38万人から55万人に伸びた。まさしく、90年代は、日本の若者にとって大変動の時期だった。この時期に高卒労働者市場が3分の1に縮小し、大学卒業者が1.5倍にまで急増した

就職氷河期世代で大きな構造変化が生じたが、「大企業型」に大きな変化は生じなかった。その大きな理由として、日本の大企業の雇用慣行がある。

日本では、「終身雇用で賃金が上がっていくこと」が見込める大企業は広域的に人を集めるし、転勤を命じがちだ。そのため、「終身雇用で賃金が上がっていくこと」と「地元で暮らすこと」は二者択一になりやすい。そして、一旦大企業正社員になったものはやめたがらないし、中小企業から大企業に移動するのは簡単ではない。つまり、大企業市場と、中小企業の労働市場は分断されているため、「地元型」と「残余型」の間で流動性が高まったのである。

「地元型」から「残余型」への移行は、貧困層の増加を招く。「地元型」は親から受け継いだ家に住むなら、ローンで家も買う必要もない。また、地域の人間関係にも恵まれ、近隣からの「おすそ分け」も考えれば支出も少ない。自営業や農業は「定年」がなく、ずっと働く人が多い。加えて「地元型」は、商店会、自治会、農業団体などを通じて、政治的な要求も届けやすい。そうした足場のない「残余型」は、収入自体は「地元型」と変わらなくとも、支出は多く、政治的な声を上げるルートを持ち合わせていない。

日本と欧米間の雇用体系の違い

一概に、ある国の雇用体系はこういったものだと規定することは難しい。しかし、ここでは無理を承知で、ある程度単純化して考えてみる。

ヨーロッパやアメリカ、あるいはその他の社会にも格差はある。ただし、日本とは格差のあり方が違う。日本で意識されるのは、「大企業か中小企業か」つまり「どの会社か」の区分である。しかしヨーロッパやアメリカその他の社会では、「ホワイトカラーかブルーカラーか」つまり「どの職種か」の区分が強く意識されているようだ。

欧米などの企業は、ピラミッドのような三層構造だと考えるとわかりやすいようだ。そしてその三層構造は、「上級職(=目標を立てて命令する仕事)」「下級職(=命じられた仕事通りに事務する仕事)」「現場労働者(=命じられた通りに体を動かす仕事)」の関係だとわかりやすい。つまり「欧米の働き方」といっても、どの層であるかによって違うのだ。

日本ならば、「大企業か中小企業か」「どの会社か」といった区分が重要になる。だから「A社に就職したい」という生き方が出てくる。A社の正社員になってしまえば平等だ、という「社員の平等」を前提にしているからだ。しかし欧米その他の企業では「A社に就職したい」という言葉は意味をなさない。「A社」の現場労働者や下級職員になるのは、難しくないからだ。

その代わり、欧米その他の企業では「職務の平等」というべき傾向がある。例えば財務に強い上級職であれば、A社であろうがB社であろうが、NGOであろうが国際機関だろうが、高給取りの財務担当者になるだろう。逆にいうと、現場労働者はA社であろうがB社であろうが、勤続年数が多かろうが少なかろうが、現場労働者のままが原則だ。

図式的にいうと、日本企業は一つの社内で「タテの移動」はできるが、他の企業に移る「ヨコの移動」は難しい。しかし欧米その他の企業では、「ヨコの移動」の方がむしろ簡単で、「タテの移動」の方が難しい

「メンバーシップ型」と「ジョブ型」

また、欧米では、雇用主が請け負ってほしい職務の内容を明らかにし、賃金、職務条件、勤務事務所、所属部署、その職務に必要な必要な知識・学位・資格、労働基準法での地位などを書いた職務記述書を用意する。

これが上級職になれば、課長職では修士レベルの学位を持っていることはほぼ前提で、さらに上位の職を目指すのであれば博士号も必要ということになってくる。所得が高い上級職員になるには専門の学位が求められるということが、欧米諸国の大学院進学率の高さにつながっている。

逆に日本では、採用の際に企業が重視するのは、大学や大学院で何を学んだかよりも、どんな職務に配置しても適応できる潜在能力である。その能力は、偏差値の高い大学の入試試験を突破したことで測られる。そのため、日本の大学院進学率は低く、相対的低学歴化が生じていると言うこともできる。

今までの話から、欧米のように職務があって人員を募集する方法を「ジョブ型」と、日本のように人を雇い、その人に職務をあてがう「メンバーシップ型」と類型化することができる。

日本のような「初めに人ありき」のしくみは、定期人事異動や新卒一括採用、大部屋のオフィスと一体である。日本の官庁や企業は、大量の大学新卒者を定期的に採用し、組織内に配置する。そうなると、既存の職員はどこかに押し出されるので、大規模な定期人事異動が必要になる。未経験の新しい職務に配置されたら、右も左も分からないことが多いが、大部屋で働いている隣の人が教えてくれるだろう。

こうした働き方では、欧米のように職務で賃金を決めることはできない。そのため日本では、学歴や勤続年数、あるいは「人物」や「努力」や「がんばり」などで判定することになりやすかった。

このように考えると、日本と他国の最大の相違は、企業を超えた基準やルールの有無といえる。企業を超えた職務の市場価値、企業を超えて通用する資格や学位、企業超えた職業組織や産業別組合といったものがない。企業を超えた基準がないから、企業を超えた流動性が生まれず、横断的な労働市場もできない。労働市場があるのは、新卒時と非正規雇用が中心だ。これがいわゆる「日本型雇用」の特徴だと言えよう。

日本型雇用の起源

新卒一括採用、定期人事異動、年功制、定年制、大部屋オフィス、人事参考などはいずれも明治期の官庁や軍隊にその起源を求めることができる。

日本の官吏の試験任用制度は、プロイセンの制度を参考に制定された、1887年公布の文官試験試補及見習規則から始まった。当時の官制はドイツの官僚制のように職務とは別の給与等級があり、高等教育・中等教育・義務教育に即した階層秩序があった。

しかし、明治の日本では、高等教育を受けた人材が不足していた。一方で官庁側は、増加する行政需要に対し早急な人材供給を求めていた。そのため、帝国大学の卒業生は特権として無試験で採用されていた。そのため、1891年には、帝国大学卒業生で省庁の採用が埋まり、試験が機能不全になってしまった。1893年には帝国大学卒業制の無試験任用特権を廃止し、全員に文官高等試験を義務付けた。

しかし同時に文官高等試験に合格すれば、試補としての試用期間を経ずに、奏任官として執務できることとされた。人材不足に悩む省庁にとって、三年の試用期間は悠長であり、より早く本官として採用することを望んだ。

さらに各省庁は、従来通り帝国大学卒業生を確保したうえで、採用後に試験を受けさせた。優秀な学生を7月の大学卒業と同時に属官として採用し、11月の文官試験までの事実上の休暇を与えて、試験準備にあたらせたのである。

これが事実上の新卒一括採用の始まりであった。前述の通り、新規学卒者の一括採用は定期人事異動を誘発する。

また近代日本の官庁は、別の慣行も生み出した。年功昇進と定期人事異動である。1886年に出された高等官官等俸給令は、一つの官等に5年以上勤務をしなければ、より上位の官等に昇進できないことを定めた。最終的に昇進制限期間が2年に緩和されたが、文官高等試験合格者が2年ごとに部署を移動しながら昇進するという慣例を促した。

また、官吏においては官等が上がれば自動的に昇給する。これは実質的に、年功昇進と年功昇級の定着といってよかった。

民間への普及

日本型雇用の起源が明治時代の官制にあるといっても、戦前の日本企業では、欧米のような三層構造があった。官営企業を通じて、職員には広まることはあるものの、現場労働者には適応されることはなかった。

雇用のあり方に大きな影響をもたらしたのは、戦争の影響が大きい。一つは、労働者不足と戦時体制による格差解消。もう一つは、ナショナリズムの高まりと連動した身分差別批判である。

戦争による軍需景気は、労働者不足をもたらした。これは労働者の賃金を上昇させ、待遇の悪い企業から労働者が離職する傾向をひきおこした。その結果、企業は労働者の待遇改善を行わざるを得なかった。

しかし、戦争の影響で大きかったのは、インフレがもたらした平準化と、ナショナリズムの高まりから起きた運命共同体意識だったと思われる。これが企業内の身分差別批判に繋がり、戦争による第二の影響となった。

戦争による労賃上昇と、インフレによる金融資産の目減りは、労働者の地位を相対的に上昇させた。西洋の「自由主義」への批判や、「贅沢は敵だ」というスローガンが飛び交い、「資本主義」と旧特権階級を批判する風潮が高まった。

敗戦後、占領軍は一連の指令を発し、労働組合の結成を奨励した。これを機に労働組合が各地で急速に結成された。それは、欧米のような職務別ではなく、企業別や事務所別で、職員・工員の混合組合であるものが8割であった

これは日本にそもそも労働組合運動の経験を持つ労働者が少なく、職員と労働者を区別して組合を作る慣習が広まっていなかったことが関係している。

しかし、職員と工員の区別を撤廃したら、どういう基準で賃金を決めるのか。敗戦後の労働運動は、賃金は生活を維持できる金額であるべきだとして、年齢と扶養家族数で決まる賃金(=生活給)を要求した

生活給が定着し始めるのはもう少し時間がかかるが、戦争と民主化を経て、一つの秩序ができた。それは「社員」を平等に待遇し、年齢と家族数で賃金が決まる秩序であった。こうして、すべての「社員」が年功賃金を受け取る日本型雇用が、戦争と民主化の中で準備されていった。

日本の社会契約

ある種のルールともいえる慣習は、歴史的経緯の蓄積で決まる。しかもこうしたルールは、合理的だから導入されたのではない。そもそも何が合理的で、何が効率的かは、ルールができた後に決まる。ルールが変われば、何が合理的かも変わるのだ。歴史的過程を経て定着したルールは、参加者の合意なしには変更することはできない

これまでも日本の雇用慣行の改革が叫ばれたが、その多くは失敗した。なぜかといえば、新しい合意が作れなかったからである。

日本の労働者たちは、職務の明確化や人事の透明化による「職務の平等」を求めなかった代わりに、長期雇用や年功賃金による「社員の平等」を求めた。そこでは昇進・採用などにおける不透明さは、長期雇用や年功賃金のルールが守られている代償として、いわば取引として容認されていたのだ。

だが、慣行は不変のものではなく、人々が合意をすれば変えることができる。しかし、どのような改革の方向性をとるにしても、透明性と公開性の向上は必須である

あとがき

1章を読み進めている途中で、これは大変な名著であると確信しました。本書は9章立てで構成されていますが、最初から最後までどこも読み飛ばせないほどに精読が必要であり、なぜこうも素晴らしい考察ができるのだろうかと、ただただ眼光紙背に徹するほかありませんでした。

本の内容について少しだけ感想をいうと、個人的な関心ごとですが、MMT(=現代貨幣理論)の柱であるJGP(=雇用保障プログラム)が日本で実現するとしたらどんな形があるのかを考える上で、「縁辺労働者」の話は大変興味深かったです。彼らは好況期には低賃金で雇われ、不況になると解雇されて家に戻って家族従業者になっていたため、労働者は常に供給される一方で、失業率は上がらないという話でした。この辺についてはもう少し勉強してみようと思います。

では。

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