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認知的不協和の理論

どうも、犬井です。

今回紹介する本はレオン・フェスティンガーの「認知的不協和の理論―社会心理学序説」(1965)です。この本は1957年に出版された「A Theory of Cognitive Dissonance」を全訳した書です。

本書では、ある人の意見や行動に対して外部からは矛盾があるように見えても、当人にとって、心理学的には矛盾がないことを指摘しています。また、それを踏まえて「社会的支持」に関して非常に示唆的な議論を展開しています。

大衆心理を理解する上で欠かすことのでできない名著を、以下で簡単に内容を書き綴っていこうと思います。

心理学的無矛盾性

個人は自分自身の内部に矛盾がないようにと努力する。
例えば、子供が
A:ある種のいたずらをしでかすとひどい罰をくらう
ということを知っていれば、
B:いたずらをしない or いたずらが見つからないようにする
というように、行動には無矛盾性が存在するであろう。

一方で、矛盾のない行動に対して例外となるような場合がある。例えば、ある人は
A:喫煙が体に悪い
ことを知っていながら
B:喫煙をする
であろう。それでは、こうした矛盾は一体どういうことになるのであろうか。

答えるなら、それは当人にとって、心理学的に矛盾として受け取ることは極めて稀ということである。通常、それを合理化しようとする試みが、多かれ少なかれ成功しているのだ。したがって、健康に悪いと知りながら喫煙を続けている人は、またこんな風に感じているのであろう。
C:自分は喫煙を非常に愉しみにしてるので、それだけで価値がある
D:自分の健康を損なう可能性は、言われているほど高くない
このように、喫煙を続けることは、結局、彼の喫煙に関する考え方と矛盾してはいないのである。

認知的不協和の仮説

しかしながら、人々はいつも自分に対してそのような矛盾をうまく抜け、また合理化することに成功するとは限らない。その時には矛盾はそのまま存続する。このように矛盾が存在している場合には、心理学的にみて不快の状態が存在する

それでは、基本的な仮説を述べうる段階にまで来た。まず第一に私は<矛盾>という言葉を、論理的内包の少ない言葉、すなわち不協和という言葉に置き換える。同様に、<無矛盾>という言葉をもっと中性的な言葉、すなわち協和という言葉に置き換えて、基本仮説を次のように述べたい。

1. 不協和の存在は、心理学的に不快であるから、この不協和を低減し協和を獲得することを試みるように、人を動機づける
つまり、複数(通常は二つ)の要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去するよう試みる。

2. 不協和が存在している時には、それを低減しようと試みるだけでなく、さらに人は不協和を増大させると思われる状況や情報を、進んで回避しようとする
つまり、人は不協和の総量を低減させる新しい情報を積極的に捜し求め、それと同時に、既存の不協和を増大させるような新しい情報を回避しようとする。

社会的支持と認知的不協和

社会集団は個人に認知的不協和を起こさせる主要な源泉であるが、それは同時に個人の中に存在する不協和を除去し低減するという機能を担っている。社会的不一致に由来する不協和を低減させるための三つの方法は以下の通りである。

1. 自分自身の意見を変化させて、それが他の人の信じている事柄についての知識といっそう緊密に対応するようになると、不協和低減され、時には完全に除去される。
2. 不賛成な人たちに影響を及ぼして、彼らの意見が自分自身の意見とより緊密に対応するように変化させる。
3. 自分自身の意見と、他人が異なる意見を持っているという知識との間に生ずる不協和を低減させるもう一つのやり方は、何らかの仕方で、他の人を自分自身と比較できる相手ではないと考える。(例えば、相手を馬鹿で無知だと決めつける。)

この3つの方法のうち、主として採用されるのは2の相手の意見を変え、社会的支持を得る方法である。

大衆現象

社会的支持を得ることで自らの不協和を低減させようとする際に、一緒に付き合っているかなり多数の人々が全て同じ状況に置かれている場合には、社会的支持を得て不協和を解消することはとりわけ容易である。

仮定の話であるが、
A:あるグループの人たちが全員同時に同じ車種の新車を購入する
としよう。これらの人々が、
B:この車種の車は実際に大変優れていて全く素晴らしい機構を持っている
ということを互いに説得し合うことは明らかにたやすいだろう。

しかし、ある否定すべからざる情報が多くの人々の認知に影響を与え、この情報に対応する認知要素と彼ら全部が持っていた既存の意見ないし信念との間に不協和を生じせしめるという場合がある。その意見や信念が変化に対してさほど抵抗感を示さない場合には前の意見や信念を放棄して別の意見や信念を受け入れ、かくして不協和を排除すれば足りるであろう。もしなんらかの理由でその信念を変えることに対して強い抵抗感が存在する場合には、不協和を低減させる仕方は二つある。

1. 人々は新しい情報に対応する認知要素を変化させようとする(本質的には、その妥当性を否定しようとする)か、
2. 既存の信念と協和するような認知をもっと数多く獲得しようと試みる

であろう。これが「大衆現象」と呼ばれるものである。

妥当性のない信念の維持

明らかに妥当性のない信念を維持することは、普通の仕方で現実に反応しうる人々にとっては極めて困難なことである。このような事態が存するとき、不協和を除去するもっともありふれた、普通のやり方は、自分自身の五感を通して得られた証拠を否定しようとするよりは、むしろ、その信念を放棄するということである。

しかし、このことが起こらない場合がある。すなわち、ある信念をはっきりと否認するような証拠に直面した場合でさえも、その信念が放棄されないことがある。例えば、科学者が、明らかな実験的証拠によって反証を与えられたのちにも、長い間、その理論の妥当性を信じ続けている場合がある、とも言われている。

それでは、どのような条件のもとで、不協和低減への試みが、信念を放棄することよりもむしろ現実の証拠を否定することに集中されるのであろうか。それは次のような事情のもとで起こると考えられる。

すなわち、信念を変えることが困難であり、また、同じ不協和を持つ人々が十分に数多く存在して、社会的支持が容易に得られるような場合である。この現象ははるかに見ものであって、普通なら圧倒されるような証拠に対してさえ抵抗することができるほどになる。

このことは、一見逆説的な結果を生む。すなわち、信念体系が異論の余地なく誤りであることを示すような証拠に自らの五感を通して接触した後に、人々はかえって以前よりも熱心にその信念体系への説得に努力するようになるのである。

あとがき

フェスディンガーの認知的不協和の理論は、自分の信念や意見がどのような過程で、いかなる行動へとつながっているかを再考する機会を与えてくれる優れた問いだと思われます。

私自身、自分の意見や考え方には常に疑ってかかりたいと思っていますが、つい既存の意見や考え方を補強させるような情報に手が伸びてしまうことがあります。このことに関しては、私もただの一大衆に過ぎないから仕方ないと割り切っているところもありますが、少なくとも現実の否認だけはすまいという矜持だけは持っていたいと改めて思いました。

では。

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