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大暴落1929

どうも、犬井です

今回紹介する本はジョン・ケネス・ガルブレイスの「大暴落1929」(2008)です。本書は1955年に出版された「The Great Crash 1929」を全訳した書です。

ガルブレイスの「大暴落1929」は、バブル崩壊、株価暴落の後に必ず読まれる名著と言われており、出版から60年以上経った今でも、多くの人に読み継がれています。また昨今の情勢を鑑みれば、これからより一層読まれていくことは想像に容易いです。

そうした歴史的大著を、以下で簡単に内容を書き綴っていこうと思います。

株式ブームの始まり

1920年代半ばのフロリダでは、大規模な不動産ブームが起こった。1926年春になると、買い手の流入が衰え始めていたが、不動産業界が売り込みに磨きをかけ、なんとか新規顧客の減少を補っていた。

しかしこのブームは穏やかな自然消滅に至ることはなかった。26年秋に、ハリケーンが二度までもフロリダを襲ったのである。死者400人、数千の世帯の屋根が飛び、マイアミの大通りは水浸しになって、豪華なヨットが何隻も漂う様となる。これで土地投機は一息つくだろうというのが大方の見方であった。

しかし、フロリダのバブルが崩壊しても、株なら苦労せずに手っ取り早く儲かるというアメリカ人の信念は、日増しにわらわになっていった

終わりが来たことをなかなか認めようとしない点も、典型的な投機バブルパターンである。

そんな中、英国の蔵相チャーチルは、1925年に実力以上の旧平価でイギリスを金本位制に復帰させた。その結果、英国経済は圧迫され、中央銀行総裁モンタギュー・ノーマンをアメリカに派遣させ、金融緩和を懇請する事態を引き起こした。これを受けてアメリカでは致命的な時期に信用供給が拡大され、それがひいては株式ブームを招いたと考えられる。

夢の終わり

どんなブームもいつか終わる。

崩壊すれば誰かが非難されるのは避けられないが、人工的にやった場合には、責任者は誰かあからさまになる

避けられないこの選択を任に当たったのは、大統領、財務長官、ワシントンの連邦準備理事会、ニューヨークの連邦準備銀行である。

しかし、クーリッジ大統領は市場で何が起きているか認知しておらず、気にもかけていなかった。1929年3月にホワイトハウスを貼る数日前にも、状況は「全く健全」で現在の株価は「割安」だと語っていた。彼は常々、投機の抑制の第一責任者はFRBだと考えていた。また、当時財務長官であったアンドリュー・W・メロンも、状況の放置が適切だと考えていた。こうしてFRBと連銀に全責任が押し付けられることになった

FRBがその気になれば、信用取引を停止する許可を議会に求め、バブルを終わらせることはできたであろう。しかし、FRBは沈黙を保っていた。一方、ナショナル・シティ・バンク会長でニューヨーク連銀の理事、チャールズ・E・ミッチェルはブームを後押しする立場をとった。FRBの理事にも劣らぬミッチェルの言葉に従い、コールローン金利は引き下げられた。これに対しても、FRBは沈黙を貫き、結果としてミッチェルの手腕に屈することとなった。

ブローカーズ・ローンの規模拡大に対し、不安視する人も少数ながらいた。しかし、そうした意見も学者の声によって無視されてしまった。オハイオ大学のチャールズ・A・ダイス教授はブローカーズ・ローンの拡大は「一部でしきりに言われるほど懸念するに当たらない」と述べた。また、イェール大学のアービング・フィッシャー教授は「株価は、恒久的に続く高原状態(プラトー)に達した」という有名な予言を残した。

その後、不安定な相場は続き、日によって強気になったり弱気になったりした。相場はふらつき、小刻みにブレたが、後になってみれば、はっきりと下を向いていたことが分かる。この期に及んでも投資信託は新設され、投機家は市場に押し寄せ、ブローカーズ・ローンは増え続けた。

大暴落

1929年6月時点で、鉱工業生産指数と工場生産指数はピークを打っていた。経済全体のトレンドがはっきり下向きになったのは10月以降であるが、夏の時点で景気減速は始まっていた。およそどんなきっかけからでもこのブームは崩壊してもおかしくなかった。

1929年10月24日木曜日。歴史を紐解くと、この日が1929年の恐慌相場が始まった日とされている。株取引を巡る謎は数々あれど、売る人がいれば必ず買う人が現れるというのが最大の謎であろう。しかし、この日は買い手がいっかな現れないという事態が頻発し、一本調子で下げてからでなければ買いは入らなかった。とは言え、大混乱は前場だけであった。翌日、ウォール街の大手株仲売人と銀行家が介ささせを行うことで合意し、25日、26日は大商いが続いた。暗黙の木曜日に続く二日間、大勢の人が経済予測の数字を確かめては胸を撫で下ろした。

10月28日月曜日。この日から、絶頂とどん底がきりもなく繰り返されることになる。タイムズ平均は1日で49ドル一気に下がり、下げ幅は木曜日よりずっと大幅だった。

10月29日火曜日。この日はニューヨーク証券取引所で、市場最悪の日となった。出来高は暗黒の木曜日を大きく上回り、下げ幅は月曜日に匹敵する急落ぶり、そしてどちらの日にも劣らぬ強い不安感と先行き不透明感が市場を覆った。タイムズ平均は43ドル下落し、華やかりし1年間の上昇分は綺麗に吹き飛んだ。午後の取引開始早々には市場を閉鎖する事態となった。

その後、組織的買い支えはすっぱり姿を消し、二度と再び希望がかけられることはなかった。

投機と暴落の原因

1929年秋の大暴落は、それに先立つ投機ブームの中で育まれていた。ブームというものは必ず終わるのであって、わからないのは、いつまで続くか、ということだけである。株があがるという信頼感さえ薄らげば、値上がり期待で買い持ちする意味はなくなる。株は下がるものに転じ、手仕舞いをつけようと投げ売り、狼狽売りが始まる。過去の投機ブームは全てこうして終焉を迎えたこれからもそうであろう。

ただ、1928年と29年になぜあのような狂乱ブームが起きたのかはわかっていない。28年と29年の投機の大半が借金で行われたことは確かにしても、金利はかなり高かったと言える。

金利や信用供給よりもはるかに重要な役割を果たしたのは、時代の空気である。人が用心深く悲観的で何事も疑ってかかり、カネにこまかい時は、投機熱は広まらない。もう一つ、貯金が潤沢であることも必要条件である。借金で投機をすると言っても、少しは自分の財布から出さなければならない。こうした理由から、好況期がかなり長く続いた後に投機ブームは起きやすい。

最後に投機ブームは、大なり小なり免疫作用を持つことを付け加えておこう。投機ブームはいずれ必ずしぼみ、そうなれば自動的に投機に必要な条件は成り立たなくなる。つまり一度投機ブームが発生すれば、しばらくは起きないと考えて良い。時が過ぎ記憶が薄れるに連れて免疫は弱まり、ブーム再発の条件が整うのだ

無責任な専門家たち

1929年代後半から30年台前半にかけて経済上の助言をしていた学者や顧問と言った人たちは、どうもお粗末だったと思えてならない。株式市場の暴落後に続く数ヶ月、いや数年にわたって、定評ある専門家が与えた助言はどれも一様に、事態を一層悪化させるような政策を進めるものだった

例えばある経済顧問は、景気回復を促進させる政策を問われると、財政均衡を進言している。財政均衡の達成という政策目標に例外はない。つまり、たとえ購買力をてこ入れするためであれ、国民を困窮から救うためであれ、政府支出を増やすことはないもちろん減税も許されない

政策の選択肢を狭めたのは、財政均衡論だけではない。アメリカ1932年までに膨大な金準備を積み上げていたというのに、金本位制からの離脱を不安視する専門家もいた。さらに、あろうことか、インフレを懸念する学者もいた。アメリカはインフレどころか史上初の激しいデフレに直面していたにも関わらず、経済顧問は物価が突如急上昇する危険など、様々なリスクを心配したのである

インフレ懸念があるとなれば、財政均衡化の要求はますます強くなる。利上げは制限され、信用供給の拡大も貸し出し基準の緩和もままならなくなった。金本位制のルールに違反するドルの切り下げなどもってのほかということになる。

財政政策もダメ、金融政策もダメとなれば、政府は経済に関して打つ手を全て封じ込められたことになる。当時の経済顧問は権威もあったし、一致団結していたそういう人たちに説得された両党首脳は、デフレと恐慌を防ぐ手段をどれも却下するに至ったのである。

あとがき

本書は世界恐慌を生きた偉大な経済学者の、時代を超えた助言と考えてよろしいでしょう。

さて、今回、ガルブレイスの「大暴落1929」を取り上げたのにはもちろん理由があります。ご承知の通り、コロナウイルスの感染拡大による不況が世界を襲っているためです。私には、世界恐慌が過去のことを述べているというよりも、まさに今を描写しているように思われるのです。

かつて福田恆存は次のように述べました。

皆さん誰しも間違えていることがあります。歴史を学ぶ、言葉を学ぶ、自然を学ぶという風に思っている。そういう考え方は間違っている。われわれは、歴史に学ぶのです。歴史がわれわれを教える。われわれは歴史から教わるのです。自然から教わるのです。言葉から教わるのです。

然らば、今回のコロナ不況について、私たちは世界恐慌という歴史に学ばなくてはならないのでしょう。

恐慌が長引いた原因として、本書では誤った助言をする専門家たちを挙げています。不況時にも関わらず、歳入と歳出を一致させるよう彼らは提言しました。

その助言を真に受けた首脳陣たちは、目の前で苦しむ国民の前に手を差し伸べることを怠り、1933年のアメリカの国民総生産は、29年の3分の2にまで落ち込んでしまいました。また、30〜40年の10年間、37年を除き、年平均失業者数は800万人を上回り続け、失業率は25%にまで上昇しました。

政府が支出を増やし、国民を救っていれば、結果は変わっていたでしょう。現に、当時の日本は、高橋是清蔵相のもとで政府支出を増やし、恐慌からいち早く回復しています。

さて、今回のコロナ不況に際して、歴史に学んだアメリカは、惜しみない政府支出に向けて大きく歩みを進めています。また、イギリスも、今回の対策によって、仕事ができなくなった人に対する雇用維持のために、賃金の80%を肩代わりすることを発表しています

一方、日本はどうでしょうか。今回の不況を受けて、与野党ともに大規模な政府支出(真水で40兆円から50兆円程度)を求める声が上がっています。その内容は、特に現金給付や企業の粗利補償、そして消費税の減税あるいは廃止となっています。

2019年の10月−12月のGDPが年率換算で−7.1%を記録する原因となった消費税の廃止や減税を求める声を上げるのは当然のことでしょう。

では、日本政府はそれらの提言を受けた上で、どういった決定を行うのでしょうか。共同通信の最新の記事では、どうやら消費減税は見送られたようです。また、その額も融資を含めた30兆円とのことですので、消費増税による影響、およびコロナ不況を下支えするにはあまりに不足が過ぎます。

消費減税を見送った理由としては、以下のように述べています。

与野党から消費税減税を求める声もあるが、社会保障の重要財源でもあり、見送られる公算が大きい。

消費税収は社会保障の重要財源だと述べていますが、これは全くの嘘です。政府は税収から支出をしているわけではありません。また、仮に消費税収の金額分を社会保障に当てているのだと考えたとしても、やはりこれもデタラメであり、実際には大企業減税の穴埋めに使われています。

一体誰が、こんな嘘を吐いているかは分かりませんが、こうしたことを嘯く人は、多くの国民が雇用を失い、果てには命を落とすということに考えを巡らせているのでしょうか。

かつての高橋是清蔵相のように、国民を思い、政府がやるべきことをやるという当然の考えを持った政治家は、今の首脳陣にはいないのでしょうか。

おそらく、この不況によって実際に自ら命を断つ人も現れると思います。そして、日本は長い恐慌を経験し、すでに疲弊した経済はさらに衰退していくことになるでしょう。さらには、コロナを封じ込めることに力を注ぐことのできる中国に、経済的にも、軍事的にもますます水をあけられるでしょう。

歴史の女神は、自らに振り向かないものを決して許さない。

令和最初の数年は、その後に続く「暗い時代」のはじまりだったと、後世苦々しく回顧されることになるだろう。

では。

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