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MMT現代貨幣理論の概説

どうも、犬井です。(先に断っておくと、今回は紹介という意味合いは薄いので、砕けた論調になっています。)

今回は、特定の本の紹介というよりは、前々から思案していた『Modern Monetary Theory(=現代貨幣理論)』の概説(+αでMMTの論点についてまとめる)をやっていこうと思います。

概説といっても、今やMMTに関する情報は、webでも書籍でもいくらでも手に入るので(玉石混合ではありますが)、目新しいものは皆無です。まあ、一学部生のMMTの勉強の記録とでも思っていただければ幸いです。

本当はもっと詳しい方に一度誤りを正していただきたいですが、生憎そんなツテはありませんでした。よくお世話になってる先生に一回相談すべきだったかな。。。

まあ、誤りは随時訂正していくということで、早速書き綴っていくんですが、先に参考にした文献を下に貼っておきます。

「MMT現代貨幣理論入門」2019/8/30 , L・ランダル・レイ (著), 中野 剛志 (解説), 松尾 匡 (解説), 島倉 原 (監修, 翻訳), 鈴木 正徳 (翻訳)
まずはこの一冊から。

「Macroeconomics」2019/2/25 , William Mitchell (著), L. Randall Wray (著), Martin Watts (著)
早く翻訳されたし。そういえば初めて大学に取り寄せてもらった本。


Money & Banking 」Eric Tymoigne
無料で読めるテキスト。ricky氏の翻訳と合わせて。

断章、特に経済的なテーマ」ricky氏
日本におけるMMTの第一人者。かなり影響を受けた(と思ってる)。

批判的頭脳」「note」望月慎氏
若い方。”修正”NK。近々本を出されるとのこと。絶対買う。

経済学101」一般社団法人
有名どころを掻い摘んで読んでる。「自然利子率は「ゼロ」だ!」とか。

道草_MMT日本語リンク集
こちらも掻い摘んで読んでる。「ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘」」とか。

MMT(現代金融理論)「論」ウオッチング!」にゅん氏
MMTを図で解説してる。初段階のMMTの理解には大変助けられた。上の金ピカ本の前に読んでおいたほうがいいかも。

はじめに

はっきり言いますと、ここから書く内容は望月氏の「Modern Monetary Theoryの概説(note版)」をかなり参考(パ○リ)にしました。( だって、望月氏より上手く概説なんて到底できっこないし)

まあ、自分なり記録に残したいポイントを付け加えながら、差別化していきます。

まずはMMTの重要な主張を6つ列挙します。

1.  租税貨幣論(Tax-Driven Monetary View)
2.  機能的財政論(Functional Finance)
3.  信用貨幣論、及びMonetary Circuit Theory(貨幣循環理論)
4.  債務ピラミッド(債務ヒエラルキー)
5.  Stock-Flow Consistent Model (SFC)
6.  Job Guarantee Program (JGP, JG)

これら少なくとも押さえないとMMTの紹介として及第点すらもらえません。というわけで、これらだけはしっかり解説します。

それでは、上記に従って順にまとめていきます。

1. 租税貨幣論(Tax-Driven Monetary View)

まずは第一のコンセプトの租税貨幣論から。租税貨幣論の主な主張は以下の通り。

①政府は、通貨を徴税してから支出しているのではなく、支出を通じて通貨を発行し、それを後に徴税している。
②租税は、通貨を調達する手段ではなく、通貨を流通させるための措置である。

①に関して。いきなり常識とはかけ離れた主張のように思われますが、私たちが普段使っている通貨がどこからやってきたのかを考えれば、至極当然です。なぜなら『政府が徴税をして通貨を回収するには、あらかじめ支出によって通貨が民間経済に供給されていなければならない』からです。これは「支出が先」という意味で、「Spending First(=スペンディング・ファースト)」と言われることもあります。

続いては②に関して。そもそも政府・中央銀行が発行するただの紙切れが、これほどまでに流通しているのでしょうか?かつては金や銀との兌換が約束されていましたが、それなら金銀の準備を超える紙幣発行があった時点で、紙幣の流通はストップしていたはずです。また、ニクション・ショック以後は金との兌換が停止されたにも関わらず、いまだに日銀券は広く受け入れられてます。

つまり、金本位制が通貨の流通性を本質的に担保していたものでは決してないのです。であるなら、貨幣を流通させる根源的な理由は何か。

それこそが租税なのです。政府が政府の発行する通貨を「唯一の納税手段」として認めているがゆえに、納税者は政府の通貨を求め、そして貯蓄するのです。非納税者も、納税者が通貨を求め、通貨が支払い手段として受領されるがゆえに、通貨を受け取る"かもしれません"。

"かもしれない"と言った理由は、納税者が少なければそれだけ通貨を求める人も少なくなり、通貨の需要が小さくなるからです。納税者を増やし、通貨の需要を高めるには、小屋税・人頭税など幅広い層からの納税を強制することがより効果的です。

さて、硬貨であれ紙幣であれ、現代のいかなる通貨も、政府(統合政府)が発行して、それを租税で回収するという順序になっています。世間一般の「税で資金を集めてから政府支出を行う」という思い込みは現実とは全く掛け離れているのです。

ここから二つのことが言えます。一つは、通貨の供給者である政府は、支出能力には予算制約はなく、流動性不足・資金調達不全による破綻をきたすことは原理的にありえないということ。二つ目は税は財源確保の手段ではないということです。

租税の役割は「貨幣を動かす」ための措置に過ぎないのです。

……国債は何のためにあるか

前述の通り、税は資金調達手段ではありません。だとすると国債の役割は何なのでしょうか。結論から言ってしまうと、国債はほとんど時代の遺物でしかありません。かつて通貨発行が金属資源に制約されていた時に、通貨の追加発行をせずに財政支出を行うため、事実上の苦肉の策として機能していたと言えます。現在は通貨発行にそのような自縄自縛の制約はありませんから、本来は全く存在する必然性はありません。(少なくとも、資金調達手段として存在する必要性はありません)

そうした中で国債は、短期金利操作の手段として(のみ)利用されています。そこでまずは、短期金利操作がどのように行われているかということを整理しましょう。

そもそも民間銀行は我々が銀行にお金を預けるように、中央銀行に日銀当座預金(=準備預金)を預けています。その額は「受け入れている預金等の一定比率(法律で定められている)以上」になるように義務付けられています。

したがって、準備預金が不足し、法定準備率を守れない場合は、準備預金が余っている他の銀行から準備預金を一時的に借り入れします。その際の金利が短期金利、あるいはコールレートと呼ばれます。

中央銀行はこのコールレートを調整するために国債を用います。

もし仮にこの利率を2%に調整したい時、つまり、2%以下で銀行が銀行に準備預金を融通させないようにする時、中央銀行は利回り2%の短期国債を売り出します(=売りオペ)。なぜなら、準備預金を融通する銀行は、2%以下(例えば1%)の利率で準備預金を他の銀行に貸すよりも、2%の金利がもらえる短期国債を準備預金で買った方が得だからです。

逆も然りで、コールレートが2%より高くならないようにするためには、中央銀行が国債を民間から買うこと(=買いオペ)によって、短期国債利回りが2%より高くならないようにします。

こうした中央銀行の介入によるオペレーションは常日頃から行われているため、ある日突然国債が暴落するなんてことは全く可笑しいことになります。

以上は短期国債に限った話ですが、長期国債にしても、当然のことながら現在の長期国債は将来の短期国債なのですから、現在の長期国債金利は将来の短期国債金利の予想に依存して決定してくることになります。

2. 機能的財政論(Functional Finance)

機能的財政論とは、アバ・ラーナーが提唱した政策論のことで、

変動相場制の下で自国通貨建ての国家は、政府の支出能力の問題がなく、完全雇用のために政府は支出を(租税との比較において)増やす必要がある。
国内金利が高すぎる場合、金利を下げるために、政府は金融緩和を行い、準備預金を増やす必要がある。

という主張です。といっても、MMTがアバ・ラーナーの機能的財政論を原則通りに採用しているというわけではないようで、それを以下で説明しようと思います。

まずは①に関して。国内総生産(=GDP)は、

Y = C + I + G + ( X - M)

Y:国内所得 C:民間支出 I:民間投資 G:政府支出 X:輸出 M:輸入

と表すことができます。MMTでは例えばクルーグマンが言うような、景気が悪く、民間支出が落ち込んだ時は政府支出を増やし、景気が良く、民間支出が好調の時は政府支出を減らす、といった裁量的財政政策は採用していません。

MMTでは、政府支出(後に述べるJGPやその他自動安定化装置は除く)は緩やかに右上がりに伸ばしていくことを想定しています。それなら、民間部門が景気がいい時にも政府支出を増やすことになり、激しいインフレをもたらすのではないか、というツッコミがくるかもしれません。

しかし、MMTの考え方は違います。むしろ公共投資などの政府支出を安定させることが、民間支出の波自体を安定させることができると考えているのです。(また一方で、MMTは政府赤字に関しては、JGPや税収といった自動安定化装置により、半循環的に変動させることを言っています)

では、それらの理由は何か。

まず第一に、中央政府の公共投資支出は、通常、国内で最大級の支出です。そのため、民間投資もこれに合わせ、引きづられる形で増減します(オリンピックが良い例)。そのため、民間投資を安定させようと思ったら、まず政府の支出を安定させることが必要不可欠となってきます。

第二に、家計の投資消費支出、主に家計の収入・所得も民間投資に大きな影響を与えます。家計の収入・所得の多くは賃金給与所得が占めているため、賃金給与が安定する、つまり雇用が安定することは民間投資を安定させるにつながります。そこで、MMTでは政府が最後の雇い手となり、景気に依らず、常に完全雇用を実現することで、消費支出の変動を抑制することを可能としています。

また、「投資が投資を呼ぶ」という言葉があるように、企業の投資は他の企業の投資にも影響を与えます。それでも、政府支出、家計支出が相対的に安定することで、最終製品生産部門における企業の投資も安定することになり、そしてその部門に資材を供給する部門の支出も相対的に安定することにつながります。その結果、企業部門全体の投資支出の、相対的な安定にすることになるでしょう。

他にも、海外部門という大きな部門がありますが、これに対して政府ができることは限られてます。また企業投資は、イノベーションや技術進歩、あるいは環境問題といった新たな課題の発生によっても変動します。そのため、資本制経済の下で景気変動を抑制することには限界があります。

しかし、かと言って場当たり的に公共投資や支出を変化させたのでは、企業部門ではますます不確実性が高まります。

したがって、政府に求められるのは、長期的には企業部門自身の内部で解決に向かう問題なのか、あるいは国全体として取り組まなければならない課題なのかを判断し、実態面からみて政府が積極的に関与しなければならない課題に対しては長期的・計画的にアプローチすることになります。

続いて②に関して。これは正直、MMTとは反する考え方かもしれません。というのはMMTでは一般的に金利政策の有効性に懐疑的だからです。

確かにコールレートの引き上げは、銀行の取引コストを増やし、その結果として銀行融資を引き締める働きをし得ますが、一方で、既に論じたように、その手段である国債利回りの引き上げは、銀行および民間部門にとって収益増加でもあります。例えば、国債利回り上昇の分だけ財政支出も増加する場合、利上げによる経済引き締め効果はほとんど無くなるかもしれませんし、利上げしてもそれ以上に財政支出を増やす場合は、利上げに全く意味がなくなってしまうかもしれません。

利下げについても同様のことが言えます。利下げは本質的に金融機関からの有利子資産の剥奪にあたるため、金融機関の収益は基本的に圧縮されることになります。このことは、金融機関の投融資を却って萎縮させる可能性があります。

また、金融政策は将来の不確実性を高める恐れもあります。

例えば、ビル住宅といった長期実物投資は、その性格上、ポンジー金融(=営業活動からのキャッシュフローにより既存の債務の元本の返済や利息の支払いをすることすらできない関係)に依存せざるを得ません。

こうした商品が金利引き上げにより、教科書通り投資収益性を悪化させ、需要を減少させることは可能なのでしょうか?むしろ、金利引き上げが、将来の資産価値上昇が見込まれるというメッセージと伝わり、より一層需要を高めてしまう可能性はないでしょうか?

したがって、MMTにとっての金利政策は、

そもそも有効かどうかからして不透明であり、
むしろ経済の不確実性を高める恐れのある政策だ

ということになります。

3.  信用貨幣論、及びMonetary Circuit Theory(貨幣循環理論)

次は、信用貨幣論を論じていきます。MMTは、一般的受け入れられている「銀行は我々が預けている銀行預金を、融資を求める企業や個人に又貸ししている」という貨幣観が誤っているとしています。

また、又貸しではなくとも、民間銀行が中央銀行に預けている準備預金を担保に貸し出しをしているのではないか、という疑問にも答えています。

それでは、実際の信用創造のプロセスを整理しましょう。

簡潔に説明すると、銀行がお金を貸し出しするときには、どこからかお金を取り寄せているのではなく、借り手の口座に+1億と書くだけでいいのです。

これが、いわゆる「万年筆マネー」とか「キーストロークマネー」とか言われるものです。口座の数字を書き換えるだけで良いとは驚きです。

というわけで、借り手は将来的には1億円+利子の返済義務(=借入金)を背負うことになるのですが、1億円の資産を手に入れることができました。

一方銀行は、借り手の引き出し要求に応えなければならないという意味で、銀行預金という1億円の負債を負うことになりますが、将来的には1億円+利子の資産(=貸付金)を得ることになります。

また銀行は、銀行預金が増えるので、銀行は法定準備率を守るために、その分だけ準備金を増やさないといけません。

そこで、銀行は他の銀行から準備預金を借りたり、中央銀行が介入して銀行の国債を買い取って準備預金を増やしたり、あるいは中央銀行から準備金を直接借り入れすることになりますが、融資リターンがそれらのコストより上回るとしたら、銀行は融資を行うでしょう。

したがって、準備預金の調整は事後的なもので、銀行は準備預金制度による制約は受けないのです。

これらのプロセスからわかることは、①銀行は貸し出しの際に準備預金制度による制約を受けることはないということ、銀行預金は銀行の投融資によって生み出され、返済によって回収・破壊されるということです。

しかし、銀行融資も制約を受けるものがあります。それは借り手の返済能力および自己資本比率規制です。誰でも、いくらでも貸し付けることはないできないという意味で、借り手の返済能力に制約されるということはすぐに腑に落ちると思います。自己資本比率規制については少し説明します。

自己資本比率規制とは、貸し出し残高や保有床証券などのリスクアセットを含む総資産に対して、どれくらい資本金、引当金などの内部資金が存在するかという割合のことです。

銀行の自己資本比率規制は、資本に比した過剰なリスクテイクを抑制するという狙いがあり、それによって破綻可能性を減じています。トータルで見て、自己資本規制は生産にポジティブなものなるだろうと予想されて作られた規制なわけです。

銀行は資金的には準備預金ではなく、自己資本によって制約されているのです。

……Monetary Circuit Theory

Monetary Circuit Theory (MCT) というは、いわば「金は天下の回りもの」を説明したものです。

銀行・企業・家計の部門ごとの資産・負債に注目して、お金の回り方を説明しているわけです。

正直、図も用いて説明されている望月氏のnoteの方が絶対分かりやすいので、こちらを読むことを勧めます(なんなら私の概説は一切読まずに、望月氏の概説を読んで欲しいくらい)。

まあ、ここでは少し差別化して論じます。利子とか考えない簡略版なのはご容赦ください。

まず今回の説明の登場人物は、銀行A、銀行B、企業、家計の4人です。

⓪スタートの時点では以下のようになっているとします。

銀行A 資産:現金×3 負債:
銀行B 資産:       負債:
企業   資産:          負債:
家計   資産:          負債:

ここでは「銀行がなぜか現金をもっている」とさせてください\(^o^)/ (←使ってみたかった。すいません。もう使いません)

①それでは、銀行Aが企業にお金を貸し出すとしましょう。すると以下のようになります。

銀行A 資産:現金×3、貸付金 負債:銀行預金
銀行B 資産:              負債:
企業   資産:銀行預金          負債:借入金
家計   資産:              負債:

これは既に論じたように、銀行Aは貸付金が資産側に計上、銀行預金が負債側に計上され、企業は銀行預金が資産側に計上、借入金が負債側に計上されます。

②銀行Aは銀行預金を手に入れたので、義務として現金の一部を準備預金として別枠で確保しなければなりません。

銀行A 資産:準備預金、現金×2、貸付金 負債:銀行預金
銀行B 資産:                負債:
企業   資産:銀行預金                       負債:借入金
家計   資産:                             負債:

③それでは企業は機材購入なり、労働者雇用なりを行って、借り入れした銀行預金を家計へと支出しましょう。ただし家計は銀行Bに口座を持っているとします。するとどうなるか。

銀行A 資産:現金×2、貸付金   負債:
銀行B 資産:準備預金      負債:銀行預金
企業   資産:実物資産      負債:借入金
家計   資産:銀行預金      負債:純資産

一つずつ丁寧に見てみます。まずは企業から。企業は銀行預金を用いて実物資産を手に入れましたが、銀行預金は失いました。一方で家計は銀行預金を手に入れ、資産と負債をバランスさせるために負債側に純資産が計上されました。

銀行Aは企業が銀行預金を家計に支出したことによって、銀行預金という負債がなくなりましたが、準備預金も銀行Bに移っています。なぜなら、銀行Bは家計が手に入れた銀行預金を負債側に計上されただけでは、銀行Aが丸儲け、銀行Bが丸損だからです。

④次に家計がいよいよ企業から財やサービスを購入し、消費します。

銀行A 資産:準備預金、現金×2、貸付金 負債:銀行預金
銀行B 資産:               負債:
企業   資産:銀行預金                     負債:借入金
家計   資産:                         負債:

ここでも、一つずつ丁寧にみてみましょう。まずは家計から。家計は企業から財やサービスを購入して、銀行預金を失います。一方で、企業は財やサービスを提供したこととで、実物資源を失いますが、銀行預金を手に入れました。

銀行Bは家計が銀行預金を企業に支出したことによって、銀行預金という負債がなくなりましたが、準備預金も銀行Aに移ります。先ほどと同様の理由です。したがって、銀行Aは準備預金が資産側に計上され、企業の銀行預金が負債として計上されました。

⑤ここで企業は還流した銀行預金を銀行に返済します。

銀行A 資産:準備預金、現金×2 負債:
銀行B 資産:           負債:
企業   資産:                        負債:
家計   資産:                負債:

企業による返済で、銀行Aの貸付金債権と銀行負債、銀行預金が相殺されました。

⑥最後に銀行Aは準備預金を持つ必要はないので現金に変換します。

銀行A 資産:現金×3 負債:
銀行B 資産:      負債:
企業   資産:         負債:
家計   資産:         負債:

これでスタート地点に戻って、全体のバランスシートはクリアになります。

これが一連の信用貨幣サイクル、貨幣性生産サイクルということになります。繰り返し言いますが、ここでは利子も考慮せず、国債もないため、かなり簡略化されたものです。

4. 債務ピラミッド(債務ヒエラルキー)

負債ピラミッド

前章のMCTの説明では、銀行貨幣が、銀行負債、銀行の手形のようなものとして創造され、それ単体で一連の生成・流通・破壊のサイクルを持っているということを確認しました。

しかし、なぜ銀行貨幣は日本円のような特定の貨幣(政府貨幣)を単位として借用し、かつ銀行引き出しと言う形で適宜払い戻さなけれなくてはならないと言う政策のもとで創造されているのでしょうか。

それを説明するのが、債務ヒエラルキー(債務ピラミッド)です。

それでは簡単に債務ピラミッドについて説明します。現代金融システムは、統合政府貨幣、いわゆる通貨、currencyを最上位としたピラミッド型ヒエラルキーを形成しており、中位に銀行の債務証書、つまり銀行預金があり、下位にノンバンクの債務証書(=小切手など)があるという構造になっています。

この構造は次の二つのことを意味します。一つ目は、より上位の負債ほど広く受け入れられることです。つまり、銀行貨幣が流通するためには、より上位の負債である政府通貨との兌換を約束する必要があるのです。

そのため、政府貨幣に紐づけられた銀行貨幣は「貨幣単位」として円やドルを使用する必要があるのです。

二つ目が、各位の負債は通常「レバレッジ」をかけながらより上位にある負債を利用しているということです。実際に、日本では日銀券の発行残高が約100兆円に対し、銀行預金は1000兆円以上と言われています。

この理由は、信用貨幣が国家貨幣単位を借用し、国家貨幣に紐づけられていると言っても、大部分の信用貨幣は、信用貨幣単体で売買手段として利用可能であり、信用貨幣を通じた国家貨幣需要は、(信用貨幣全体の規模に比して) 極めて小さいものに留まるからです。

もちろん、こうしたヒエラルキーは、租税貨幣制度などの基礎があって初めて成立するため、例えば租税などの経済政策が維持不能になるような政府の混乱や経済崩壊があれば、このピラミッドは崩落し、場合によっては輸入需要を基礎にもつ米ドルが最上位の経済に移行し得ます。

5.  Stock-Flow Consistent Model (SFC)

すでに論じたMonetary Circuit Theoryは、民間銀行の貨幣創造を説明した「水平」の貨幣供給の理論でした。こうした「水平」の貨幣供給では、資産と負債が同時に増加 (減少) するため、民間部門における純貯蓄が創造されることはありませんでした。

一方、Stock-Flow Consistent Modelは、「垂直」の貨幣供給を行う政府部門を (場合によっては海外部門も) 加えることによって、会計的整合性の成立を重視した構造軽量マクロモデルです。簡潔に説明すれば、「誰かの黒字は誰かの赤字」、「誰かの金融資産は誰かの金融負債」を原則とするモデルです。

これにより、本質的に会計的に不整合性がないという最大の利点を手に入れました。しかし、「マクロ計量モデルに基づく政策的結論は潜在的にミスリードである」との批判(=ルーカス批判)は回避できていないことには注意が必要です。

それでは実際に、SFCを導出してみます。

前述の通り、国内総生産(GDP)は以下のようにして求められました。

Y = C + I + G + ( X - M)

Y:国内所得 C:民間支出 I:民間投資 G:政府支出 X:輸出 M:輸入

あるいは次のようにも表せます。

Y = C + S + T

Y:国内所得 C:民間支出 S:貯蓄 T:税金

これらの二式のYを消去すると、

C + I + G + ( X - M) = C + S + T

となります。これより、

( T - G ) + ( S - I ) + (M - X ) = 0

つまり、

政府収支 + 民間収支 + 海外収支 = 0

となります。それゆえ、政府部門の赤字は、民間部門 ( と海外部門 ) の黒字ということが言えるわけです。つまり、国民の富は、政府赤字の拡大によって増えていくのです。

政府支出が自国通貨で支払われ、国債発行が自国通貨建てで行われ、かつ変動相場制を採用する国であれば、その国は強い通貨主権を持ちます。この主権は権利上、何ものにも制約されないため、政府の財政は、企業や家計が破産するという意味では破産はあり得ないのです。

つまり、上の条件を満たす国は、政府の支出能力に、財政上の制約はないのです。ただし、このことが無制限に支出を拡大すべきだということを意味しないことは「機能的財政論」の章ですでに述べています。

……財政黒字の"危険性"

多くの人々に広く誤解されているポイントですが、MMTは、累積財政赤字の『安全性』を提唱する学派として生まれてきたわけではありません。むしろ文脈的には、財政黒字発生を危機的だと警鐘を鳴らす形で勃興してきた学派です。

これは、MMTがハイマン・ミンスキー (ランダル・レイの師匠) の流れを一部汲み取っていることが影響しています。MMTerは財政黒字の発生を、民間負債膨張の顕れと捉え、特にクリントン政権の財政黒字に関しては、危機の前触れであると強い警告を発し続けていました。

ここで、ミンスキーの金融不安定仮説について簡単に説明します。

「長期的な好況に対する楽観は、借り入れをより許容し、民間負債を膨張させます。その結果、債務比率の高い資産構成への変換が起きる、つまり、投機金融やポンジー金融が増加していきます。

こうした好況期には、利潤追求に走る金融機関が旺盛な需要に応えるため、新たな金融商品を発明し、投資をさらに加熱させます。そのうち、金利上昇とインフレが進むと、資金調達が次第に困難になり、あるいは政策当局がインフレ対策のために金融引き締めを行います。

そうなると、投機金融はポンジー金融へと転落し、すでにポンジー金融になった主体は、純資産価値を急速に消滅させていきます。キャッシュフローが不足した経済主体は、保有する金融資産を売却し、状況の立て直しをはからざるを得なくなります。

その結果、資産価値は急速に下落し、株式市場が崩壊していきます。資産価値の地滑り的な下落は、投資の後退、利潤の減少、そして資産価格のさらなる下落という悪循環に巻き込まれていくことになります」

これが、ミンスキーの金融不安定仮説です。こう見ていくと、サブプライム危機にウォール街が直面したのは当然の帰結であるように思われます。

したがって、MMTにおいては、財政黒字は民間債務膨張を示唆する危険兆候であると考えられています。『財政赤字であれば経済が安定する』というわけではないものの、少なくとも安定的な経済状況においては、財政赤字となることを受け入れなければならないということは言えるでしょう。

6. Job Guarantee Program (JGP, JG)

最後に、Job Guarantee Program ( JGP , JG ) の説明をしていきます。JG、ないしJGPと呼ばれるこの提言は、働く意欲があるものは誰でも職につけるように政府が基準賃金で雇用を提供するというものです。

民間部門の雇用が悪化する不況期には、JGPに参加する労働者が増えることになりますが、好況期には民間部門の雇用が増加するので、参加者は減少していきます。その結果、不況期にはJGPの政府支出が増えるが、自動的に減ることになります。

また、JGPにおいて提供される基準賃金および待遇は、必然的に、経済全体の賃金・待遇の"底"を想定しています。というのも、JG雇用は、生産的でありながら、民間経済サイクルの動きに合わせて作成および破棄しやすいものである必要があるからです。

民間部門の賃金構造を乱すことを回避し、JGと安定したインフレを並行させるためには、JGの賃金率を最低賃金レベルで設定するのが最適であると考えられているのです。

と言っても、JGの賃金は、産業政策機能を促進するために高く設定される場合もありえます。

最低賃金は、民間部門の支払能力によって決定されるべきではなく、社会的に希望される最低限の生活水準を表現するものでなければならないからです。

その結果、最低額を支払う”余裕”がない民間事業者、あるいはブラック企業は、経済から退出していくことになるでしょう。

また、JGPは、社会主義的政策として言及されることがありますが、それは全くの思い違いです。不況期には民間から解雇される労働者を包摂し、労働者の習慣や能力を保全する一方、経済が好況になり、民間側からJGPを超える待遇を提示可能となれば、民間へとスムーズに人材が移動するという構造は、むしろ極めて民間自由経済に親和的ないし補完的なものと言えるでしょう。

……JGPの問題点

しかしながら、JGPには問題点もあります。

一つ目が、JGP労働者にどのような職務を与えるか、というものです。

というのも、本当に重要な公共プログラムなら、案件に応じた人材を求人した上で、通常の終身雇用を用意するのが筋です。いつでもやめて良い公共プログラムに従事させるのも、非効率の謗りを免れ得ません。以上を考慮すると、潰しが効く職業訓練、OJTや、小さい単位での環境保全活動・社会福祉活動といった、小規模な公共活動にターゲットを絞る必要があります。

二つ目が、都市や地方によって条件が異なるということです。

現実として、人の移動は予想や管理が困難であり、好況になったからと言って、労働者が民間に移動するとは限りません。

特に、経済衰退の著しい地方では、民間企業が十分な雇用の受け皿を作れないでいます。従来型の公共事業よりも、JGPは第一次産業から第三次産業まで幅広い業種で雇用を用意できるというメリットはありますが、インフラが未整備なために民間企業の発展が阻害されている地域では、むしろ公共事業を優先した方が良い場合もあるのです。

概説の終わりに

以上が、MMTの主要な論点です。まあ、私がやったことと言えば、先人の方々の知恵の上澄みをすくっただけで、彼らのような深みは到底出せるわけもなく。。。

そもそも私自身、経済学を専攻しておらず(専攻は強いて言えば土木計画学とかになるのかな)、いわゆる主流派経済学についてはこれっぽっちも学習していないため(だからMMTに入り込めた説はあるかも)、基本的な知識は学部一回生にも及んでいないでしょう。

保険はこれぐらいにしとくとして。

MMTを知ったのはおよそ一年くらい前の事で、ここ半年はそれなりに勉強しました。「日本は国の借金で財政破綻だー」という嘘言に深く考えを及ばせたことのなかった私にとって、MMTはまさに目からウロコが落ちるほどの衝撃でした。

まあ、よく世界が見える分だけ、見たくないものも見えてくるのですが(笑)。

個人的には(あと60年ほど生きるかもしれない私としては)、MMTがこれからのポスト新自由主義の世界の中で、どういった位置付けになっていくのかが楽しみです。もしかしたら「国富論」「資本論」「雇用、利子および貨幣の一般理論」に続くような大著として語り継がれているかもしれませんね(知らんけど)。

何れにせよ、これからもMMTには目が離せません。

上記以外の話

さて、ここまでの話はMMTにある程度触れた方なら、何を当たり前のことを言っているんだという感想をお持ちになるでしょうが、一応今から話すことに関しては、概説を超えた議論を話します(応用になった途端に無知がバレるかもしれん)。まあ、ほとんどは個人的な解釈だと思ってもらって構いません。

とりあえず、章立てはしておきましょう。

1. MMTは国債廃止を主張している
2. MMTは国家の暴力性を認めているにも関わらず何故左派の理論なのか
3. 資本側によるMMT
4.ドル本位制とMMT

今の所はこんな感じだけど、将来的には増やしていくかも。

Appendix 1. MMTは国債廃止を主張している

最初はこの話をまとめようと思ったのですが、どうやら望月氏が3/24に出版される「図解入門ビジネス 最新MMT[現代貨幣理論]がよくわかる本」に詳しく論じられているということで、私がいちいちまとめる必要もなさそうですね。

是非、購読しましょう。

Appendix 2. MMTは国家の暴力性を認めているにも関わらず何故左派の理論なのか

実際のところ、MMTは現実がどうなっているかを理解するためのレンズなので、そこに左右の思想上対立が持ち込まれるものではありません。そのため、MMTに思想上の対立を持ち込むという行為は、本来は野暮というものです。しかし、ここでは無粋を承知で触れてみたいと思います。

一般的にMMT本流の方々には、左派系の方が多いです。一方で、日本でMMTを論じる人(MMTer以外の方)は保守系の方が多いようです。まあ、保守というよりは表現者クライテリオン派の方々と言った方が正しいかもしれません。(日本では本来保守と呼ばれるべきでない人も、保守と呼ばれることが多いですからね)

率直に言うと、私が初めてMMTを学んだとき、具体的には租税貨幣論を学んだとき、国家の暴力性を認めていると言う点が、なんとなく右寄りの主張のように感じました。

どうやらこの感覚は、私だけではないらしく、左派系の松尾匡先生も、MMTの租税貨幣論にある、国家の暴力性に違和感を感じているようです。

それならなぜ、MMTが国家の暴力性を認めているにも関わらず、欧米のMMTerの方々には左派系の方が多いのでしょうか。

私はこの疑問に対し、アメリカの民主党上院議員で、左派と称される、エリザベス・ウォーレンの書籍からヒントを得ることができると思いました。

彼女は、国家が積極的に財政支出をし、格差是正の役割を果たすべきだと主張しています。その際に、彼女は「私たちが、国家に支出をさせるのだ」という言い回しをよく使用します。

これはおそらく、「権利としての租税」が彼女の思想の根幹にあるのだと思いました。

権利としての租税とは、イギリスのトマス・ホッブズやジョン・ロックが主張した国家観に基づくものです。

彼らは租税によって「生命と財産を保護」することは、上から与えられるものではなく、自ら勝ち取ったものだと論じています。そのため、納税倫理は、国家権力による「苛斂誅求」ではなく、市民がその必要性を自覚して租税する「自主的納税倫理」となります。

こうした租税倫理というものは、日本の歴史的背景からなかなか生まれにくかった。そのため、日本の租税倫理は、ドイツのヘーゲルやシュタインが論じるような「有機的国家観」に基づいた「義務としての租税」の面が大きいのだと思います。

こうした租税倫理の違いから、日本と欧米でMMTにおける左右のねじれが起きているのでは?と私は考えています。

Appendix 3. 資本側によるMMT

日本でMMTの理解が深まることは個人的には素晴らしいことなんですが、実際にMMTが世間一般で言われるほどには明るい未来をもたらすものとは考えづらい、というのが本音です。

なぜかというと、資本側に民主主義が握られている、あるいは権力が集中している今、財政制約だけが取り外されてしまったらどうなるでしょうか。

例えば、公共事業を拡大していくとしましょう。(個人的には地震対策や、地方のインフラ整備は早急に必要だと考えています)

しかし、それはちゃんとした長期的な国益につながるのでしょうか。つまり、インフラが整備されるだけでなく、環境保全や従業員に賃金が行き渡るのかということです。

現在、価格設定はフルコスト原則に基づいてなされています。ジョン・K・ガルブレイスが言うような「拮抗力」が欠けた現状では、大企業が利益率を高めるために価格設定力を行使し、株主配当金ばかりが上昇するということも考えられるのではないでしょうか。

公共事業の発注額が増加したとしても、賃金が上昇していくとは限らず、資本側の力がより一層増大していく可能性が十分にあるのです。

また、JGPに関しても問題があります。JGPの具体的な制度設計がなってない中では、やはり実装にはまだ多くの困難があると考えられます。

JGPという制度は、その性質上、雇用の流動性が高まります。これを利用して、企業は人件費削減のために、日本型雇用の解体に進む可能性はないでしょうか。また、JGPの所轄が、パソナのような民間企業に委託されるという可能性もあるのではないでしょうか。

MMT自体はあくまで、財政破綻が財政再建が欺瞞であることを示し、本当に解決すべき問題に向き合う機会を逸してしまうという愚を避けることができる、というだけの話なのです。

Appendix 4. ドル本位制とMMT

MMTの概略を理解した後に、私がまず最初に思ったのが、自国と他国の通貨の関係は一体どうなっているのだろう?というものでした。MMTでは、国内における貨幣の仕組みについての議論は充実しているんですが、他国との関係に言及したものが少ないんですよね。

というのも、

政府収支 + 民間収支 + 海外収支 = 0

の一つにとっても、日本における経常赤字の意味と、基軸通貨ドルを持つアメリカにおける経常赤字の意味は全く異なるのに、この辺の説明がなかなか見受けられないのです。(私が見落としているだけだったらすみません)

ということで、この辺は自分なりに考えてみようと思います。

例外的に、基軸通貨国であるアメリカは、国際通貨であるドルを他国に供給し続けるために、必然的に財政赤字と経常赤字の双子の赤字が求められます。(前回の世界金融危機の際には、アメリカが最後の貸し手として大量のドルを発行し、危機の沈静化に動いたのは記憶に新しいですね)

そして、財政制約がなくなったニクソン・ショック以後のアメリカは、毎年膨大な量の経常赤字を重ねてきました。つまり、他国にドルを供給し続けたわけです。これにより、ドルは国際通貨としての地位をより強固なものにしたと考えられます。実際、他国との決済手段は主にドルが使用されています。(EU内に限ってはユーロが多い)

ということで、これらの構造を債務ピラミッド風に下に作ってみました。(図が汚いのはご容赦ください)

画像2

ここでは、日本とEUを例としてあげましたが、伝えたいことは二国間の決済ではドルが使われているということです。したがって、日本やEU、そしてドルペッグ制をとる中国は勿論、アメリカという巨大な債務ヒエラルキーの中の一部に埋め込められているのです。このことは、円、ユーロ、ポンド、または元なども、ドルの衛星通貨に過ぎないことを意味します。

どうやら、アメリカはこの構造をはっきりと自覚しているようで、ニクソン・ショック以後、つまり、金本位制からドル本位制に以降して以後、他国にない特権を利用しています。

通貨にはネットワーク外部性という効果が働きますから、10年、20年でドルの国際通貨としての地位が揺らぐとは正直考えづらいなあ、と思っています。

確か、この辺の話に関しては、マイケル・ハドソンの「超帝国主義国家アメリカの内幕」に詳しく載っていたと思います。気になる方はどうぞご拝読ください。


以上が、私がMMTについて考えた主要な部分になります。疲れた。。。

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