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はしごを外せ―蹴落とされる発展途上国

どうも、犬井です。

今回紹介する本は、ハジュン・チャン の『はしごを外せ―蹴落とされる発展途上国』(2009)です。この本は、2002年に出版された『Kicking Away the Ladder: Development Strategy in Historical Perspective 』を邦訳した書です。

本書は、先進国の発展過程を歴史的事実をもとに分析することで、それが一般に考えられている自由至上主義経済とは反対のものであると看破し、先進国が自由至上主義経済を発展途上国が受け入れるように圧力をかけることは、結果的に発展途上国がこれから発展するためのはしごを外す行為であることを指摘しています。

それでは以下で、簡単に内容をまとめていこうと思います。

富裕国はいかにして豊かになったか

現在、先進国(以下NDC)と先進国がコントロールする国際開発政策イスタブリッシュメント(以下IDPE)から、発展途上国にその経済発展を進めるため「良い政策」と「良い制度」の組み合わせを受け入れるように、大きな圧力がかけられている。「良い政策」とは、いわゆるワシントン・コンセンサスによって規定されたものである。それには、抑制的なマクロ経済政策、国際貿易と国際投資の自由化、民営化と規制緩和が含まれる。「良い制度」とは、民主主義、「良い」官僚制度、司法制度の独立、私的所有権の強固な保護、透明で市場中心の企業統治、金融機関が含まれる。

これらの「政策/制度」が発展途上国に有効であるかについて、過熱した議論がされている。しかし、奇妙なことに、これらの勧告の適用可能性について疑問を呈している批判者の多くは、当然のこととして、これらの「良い」政策と制度が先進国の発展途上時に使われたと考えている

しかしこれは真実であろうか。ざっとみても、そうでないことをほのめかす歴史的事実があちこちに見える。19世紀のフランスは、かなり保守的で不介入主義的であったし、南北戦争後のアメリカ合衆国は高い関税を課していた。また、アメリカ合衆国の連邦準備銀行は1913年になってようやく設置されたものであるし、19世紀のスイスは特許法なしに、技術先進国の仲間入りを果たしている。

こうした歴史的事実に基づいて、先進国が発展途上にあった時の政策と制度が、先進国が現在の発展途上国に勧告している政策と制度とは全く異なることを以下で示していく。

経済発展のための政策と日本

事実上全てのNDCは、キャッチアップ期に幼稚産業の育成を目的とする介入主義的産業・貿易・技術(以下ITT)政策を積極的に実施した。オランダやスイスとなどの例外もあるが、これらの国は、技術の先端、あるいはそれに非常に近い位置にいたため、それを必要としなかった。

ITT政策のパッケージの中では、関税は有効な手段であったが、必ずしも唯一の手段ではない。輸出製品の投入財を対象とする補助金や関税払い戻しが輸出促進のために頻繁に行われていた。また、政府は社会資本整備だけでなく、製造業向けにも産業補助金を提供し、公的投資計画を活用した。政府は、合法的には見学旅行や見習いに助成金を出し、違法な手段では、産業スパイ活動への支援、輸出禁止機械の密輸、外国特許の認可拒否などを用いて、外国技術の取得を支援した。さらに、研究開発、教育、または養成への財政支援も行った。官民協力を促進するための制度機構を作った政府すらある。

例として、日本のITT政策をみていく(チャンは他にも、英・米・独・仏・瑞典などのITT政策を参照している)。日本は不平等条約によって、5%以上の関税を禁じられていたため、発展初期は貿易保護を利用することができなかった。すでに英国と技術的格差が縮小していた当時の米国の工業製品関税率が50%であったことを考えれば、その関税率の低さが理解できるであろう。そのため、日本は1911年に関税自主権を回復するまで、工業化の促進に別の手段を使わざるを得なかった

まず日本政府は、一部の産業、特に造船、工業、繊維、そして軍需産業に国有のモデル工場を設立した。ほとんどの工場は民間部門に売却されたが、これは政府の介入が終わったことを意味するわけではなかった。例えば、1870~80年代に国有造船所は私有化されたが、多額の補助金が与えられていた。また、政府の介入はモデル工場の設立だけでなく、社会資本整備にまで拡大した。1881年に日本最初の私立鉄道会社が創立されたが、民間の投資家の興味を引くために、明治政府は鉄道会社に多額の補助金を提供した。政府は外国の先進技術と制度移植の促進のために、多数の外国人技術アドバイザーも雇った。1875年に572人でピークに達し、その後は迅速な知識の吸収によってその数は激減していくことになる。また文部省が1871年に設立され、19世紀の終わりまでに100%の識字率を達成した。 

1911年の不平等条約終了後、明治政府は、幼稚産業の保護、輸入原料の低廉化、そして高級消費財の輸入規制を目的とした一連の関税改革を、導入しはじめた。日本は1913年までにすでに保護主義的な国の一つになっていたが、アメリカ、ロシア、スペインが利用した、「無差別な」保護より、「集中的」な関税による保護を利用した。また、1920年代に、日本は、カルテル協定を容認し合併を奨励することを通じて、主要産業の合理化を促進しはじめた。これは、「むだな競争」の規制、規模の経済の実現、製品の規格化、科学的導入を目的としていた。これらの取り組みは、1930年代に、大恐慌後の世界的経済危機と戦争準備に対応して強化された。

このようにして、第二次世界大戦後の産業政策の基礎的な形態が確立された。

制度と経済発展

近頃、低所得国に最低限の移行条件を与えた上で、全ての国が一連の「良い制度」(残念ながら多くの場合暗にアメリカの制度を指している)を導入すべきと論じる強引な人々がいる。WTOの様々な協定がこの最もたる例である。どの制度を「良い制度」のパッケージに含まれるべきかについては、議論が分かれるところであるが、多くの場合、民主主義、官僚制度と司法制度、所有権、企業統治、金融・財政制度、および福祉・労働制度が含まれる。以下では、これらのNDCにおける発展について何が言えるかを論じる。

・1820年―工業化初期
1820年には、いずれのNDCにも男子普通選挙権すらなかった。
既存の所有権は、新たな所有権に席を譲るためにしばしば侵害せざるをえず、特許法はほんの一部の国にのみ存在すると言っても、法律の質は依然として低かった。
企業の有限責任制は、どの国でも一般化された制度ではなかった。
銀行はイタリアの一部、イギリス、アメリカを除き、大部分が新奇なものであった。中央銀行はどの国も有していなかった。
NDCのいずれにも社会福祉制度も、労働時間・児童労働・仕事中の健康と安全に関する労働規制も存在しなかった。

・1857年―工業化の最高潮
フランス・デンマーク(・アメリカ)などで男子普通選挙権が達成されたが、無記名投票などの基本的な制度はなかった。
官僚制度は、能力主義採用や懲戒処分といった重要な近代的特徴を導入しはじめたが、それはプロイセンやイギリスの少数の先駆的国々に限っていた。
大部分のNDCが特許法を制定したが、法律の質は低かった。
一般化された有限責任制が多くの国々で出現したが、有限責任会社の監査と情報開示手続きに関する規制は存在しなかった。
銀行は、多くのNDCでまだ新しい機関であり、イタリア・スイス・アメリカなどは、いまだ中央銀行を有していなかった。
NDCのいずれも近代的な社会福祉計画を有していなかった。唯一の例外は、1871年にドイツで導入された労働災害保険であった。

・1913年―工業の成熟化の始まり
ノルウェー・ニュージーランドを除いて、普通選挙法は、まだ珍しいものであり、一人一票の意味での真の男子普通選挙法さえ一般的でなかった。
官僚機構の近代化は、特にドイツでかなり著しく発展したが、まだ多くの国で猟官制度が広く行き渡っていた。
イギリスやアメリカでさえ、企業統治制度は、現代的な水準に惨めなほど遠く及ばなかった。
銀行は依然発展が遅れたままであった。中央銀行は、一般的な制度となったが、アメリカの中央銀行などは国内銀行の30%を対象とするに過ぎなかった。
所得税は、まだ新奇なものであり、アメリカは1913年になってようやく導入した。
社会福祉制度は際立った発展がみられた。1913年には、ほとんどのNDCは、労働災害保険、健康保険、国民年金を有していた。しかし、失業保険は、まだ珍しいものであった。

以上からわかることは、その必要が認識された時から制度を発展させるのに、NDCが1世紀とはいかないとしても数十年を要し、「国際水準」として受容されるまでの期間は数世代かかるということである。また、過程の中で頻繁に後退を経験しているということも指摘しなければならない。

この文脈において、発展途上国は「世界水準」の制度を即座または少なくとも今後5年から10年以内に受け入れるか、さもないと制裁するという今日よくある要求は、これらを要求しているNDCの歴史的経験とまさしく相反しているように思われる

ありそうな反対論

私の主張に対する反対論を、少なくとも三つあげることができる。

第一に、発展途上国は、望もうと望むまいと先進国から勧告された政策と制度を取り入れなければならないというものである。なぜなら、そのようにして世界は動いているからである。強者が牛耳り、弱者は命令に従うのである。

ある点では、これを否定するのは難しい。実際のところ、NDCが初期に行った「引き離し」戦術に関する議論は、この主張に対する多くの証拠を与えている。しかし、このことは、先進諸国が支配するルールをどのように変えなければならないかを議論することが無意味であるということではない。その可能性がいかに小さくても、どのようにすればルール変更がもっとうまく達成できるかを検討しなければならない。

第二の反対論の可能性は、IDPEが発展途上国に勧告する政策と精度は、国際的な投資家が望んでいるものであるから受け入れなければならないというものである。これはIDPEの意思さえ関係ないという主張である。何故ならば、このグローバリゼーションの時代は国際的な投資家が支配しているから、国際的な投資家が望む政策と制度を採用しない国は、彼らから疎遠されその結果損害を受けることになるからである。

しかし、この議論には多くの欠点がある。まず第一に、国際的な投資家がIDPEによる政策や制度に必ずしも関心があるわけではないからである。現に中国は「ひどい制度/政策」と言われているが、投資をひきつけることに成功している。第二に、国際基準の制度と政策が投資を増大させるとしても、外国投資はほとんどの国にとって基軸的な要素ではない。本書では、そうした多くの制度が発展のために有効でないことを示した。第三に、特に制度との関係で、国際的な圧力で「良い」制度が導入されても、それが効果的に施行されない限り所期の結果を得ることができないかもしれない。制度を受け入れる準備ができていない国は、民主的混乱を経験することもありうるのだ。第四に、IDPEが、「良い政策/制度」を定義し、解釈し、推進する方法に影響を与える限り、発展途上国にどのような政策と制度が要求されるかを議論する価値がある。

第三の反対論の可能性は、特に制度発展に関わりがあるが、制度の「世界水準」は前世紀に発展したので、それ以前の100年から150年前のNDCを発展途上国は手本として考えるべきでないという議論である

私はこの点に関しては全く同意する。例えば、現在のインドが、1820年のアメリカと同じような発展段階にあるといっても、それは奴隷制度の再導入や、普通選挙の廃止、官僚制度の非専門職化、一般的有限責任会社制度の廃止、中央銀行の廃止、所得税の廃止、独占禁止法の廃止などということにはならない。実際、制度の国際基準の強化は、ある点では良いことも多かった。女性参政権・所得税・労働時間の制限・社会福祉機関などはその例であろう。ただし、制度移行期間を最小にすべきという言説には頷けない。NDCも長い時間をかけて制度が変わっていったことを認識しておく必要がある。

あとがき

本書の議論は、2002年に出版された当時の通説を大きく覆すものとして認識されたことでしょう。チャンもそれを理解してか、読者を知的また道義的に混乱に陥れるとして、健康上の注意を喚起するユーモアをみせています。個人的には、グローバリズムに関する本も多く読んでいますし、時代も2020年ですから、すんなり受け入れられたのですが、一般の認識はどうなのだろうかと少し疑問に思いました。

では。

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