短歌五十音(ぬ)沼波万里子『砂のぬくみ』
今回の歌人、沼波万里子は1921年東京生まれ。歌誌「箒木」を経て「潮音」に入社。1946年、旧満州で夫と一女に死別、引き揚げ。1956年に再婚し、一女に恵まれている。2013年死去。中国残留孤児のボランティア活動も行なった。
歌集『砂のぬくみ』から気になった歌を見て行きたい。
「東京」という連作の中の一首。
頭上注意足元注意〜とたたみかけるように詠み、続く「靴、靴、靴」が、複数人の靴がどんどん影を踏んでゆく場面を文字で表しているように見える。東京の忙しなさや都会に放り出された主体の焦燥感を、歌の字面が表現しているようだ。
彼岸花を厭うならば、抜いて焼き捨ててしまえばいい。子には子の生きる世代があるのだ。
「中国残留孤児」というタイトルの連作の中の一首。祖国の土を踏んだ孤児と親が再会を果たすも、中国で育った孤児たちは日本語が話せない。我が子と言葉を交わすことができないもどかしさに泣く親と、なす術なく親の手を撫でる子の姿に、双方の間に横たわる年月の残酷さを感じる。
歌集の最後の方には、おそらくこの歌集の中で最も重要と思われる連作「烙印」が置かれている。この連作が歌人の実体験から生まれた物であろうことは、「あとがき」から推察される。
以下、「烙印」より引く。
飛行機墜落現場の画像を写すテレビを観て、主体はかつての凄惨な経験を思い出す。腐乱した夫の死体を自らの手で焼き、骨をかき集めた経験である。まだ熱い骨片を持って走ったために、両手にはまだ火傷の跡が残っているという。
その後主体は一人娘も餓えによって失ってしまう。
2首目に出てくる「妙邦童女」は娘の戒名と思われる。
3首目、娘の小さい骨も主体は拾うことになる。
4首目、一椀の水が手に入らなかったために娘を死なせてしまったという後悔の念が伝わってくる。
5首目、口を開けば気持ちが溢れて止まらなくなってしまうから、主体は口を引き結んでいたのだろう。残照の美しい長春の街を、主体は振り返らずに後にした。
この連作を読んだ後に歌集の前半部分を読み直すと、前向きな歌にもその奥に封印された想いを感じてしまう。
沼波万里子は『砂のぬくみ』を含め三冊の歌集を出版している。どれも今は新本では入手できないが、もし古書店などで出会ったら手に取ってみてほしい歌人である。
次回予告
「短歌五十音」では、ぽっぷこーんじぇる、中森温泉、初夏みどり、桜庭紀子の4人のメンバーが週替りで、50音順に1人の歌人、1冊の歌集を紹介していきます。
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次回はぽっぷこーんじぇるさんが根本芳平『弥陀笑ふ』を紹介します。お楽しみに!
短歌五十音メンバー
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