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短歌五十音「ま」枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』

毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである
だれかからメールがたまに来るような よい一年でありますように

手紙を待っている。「あなた」からの手紙を、である。しょっちゅう手紙は来るけれど、その中にあなたからの手紙はない。
そう言いながら、きっと誰からも便りがなかったらさびしい。たまには誰かかからメールが来るような、そんな一年でありますように、と願う。

枡野浩一は、1968年東京生まれ。コピーライター、ライター等の職業を経て、1997年に短歌絵本『てのりくじら』『ドレミふぁんくしょんドロップ』を二冊同時発売してデビューした。
今回取り上げるこの歌集は、『枡野浩一全短歌集』と銘打たれている。

だれからも愛されないということの自由気ままを誇りつつ咲け
あひるの子 みにくいままで愛される話であればハッピーエンド

1首目、誰からも愛されないことは恥ずべきことではない、誰かに愛され縛られていないからこその自由を誇れと言う。
2首目、「みにくいあひるの子」の物語で、最後にあひるの子(実は白鳥の子だった)が掴んだ幸せ。しかし幸せになれたのは美しい白鳥になれたからであって、その幸せはルッキズムに基づいていることに、ハッとさせられる。

葬式は生きるわれらのためにやる 君を片づけ生きていくため
お別れの言葉をちゃんと言うことで私一人の気が済んでいる

1首目、葬儀は後に残されたものの儀式であることを、再確認させられる。
2首目、生きている人とのお別れのようだが、ここでも別れの言葉を相手に述べることは、自分自身のためであることが示されている。

詩人にはならないという約束を交わす二十歳の聖なる儀式
書くことは呼吸だだからいつだってただただ呼吸困難だった
川柳と俳句と短歌の区別などつかない人がモテる人です

書くことで人生が生きづらくなる、ということが書かれたような歌もある。
1首目、この歌が書かれた当時は成人年齢が20歳だったのだろう。実際に成人時に「詩人にはならない」と誰かと約束を交わすわけではない。ただ、詩人という生きづらい職業を選ばない方が良いというメッセージなのだろう。
2首目、書くことは主体にとって呼吸をするように自然な行為である。しかし、書く行為は一筋縄ではいかない、苦労をともなう行為である。
3首目、きっとそうなのだろう、と笑いながらうなずいてしまうような一首。

個人的に心に刺さった一首をあげる。

私よりきらきらさせる人がいる 私がやっと拾った石を

自分が人生でやっと見つけた宝物。それは例えば短歌を書くことなのかもしれない。でも、ふと周りを見れば、自分よりも優れた歌を詠む人がいる。そのことに気づいた時の苦しさ。

最後に、少し前を向けるようなこの歌を引用して終わりたい。

ニュースにはならない日にも虹は出て消えて私がおぼえています


次回予告

「短歌五十音」では、ぽっぷこーんじぇる、中森温泉、初夏みどり、桜庭紀子の4人のメンバーが週替りで、50音順に1人の歌人、1冊の歌集を紹介していきます。

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本稿が、みなさまと歌人の出会いの場になれることを願っております。

次回はぽっぷこーんじぇるさんが宮崎信義『夏雲』を紹介します。お楽しみに!

短歌五十音メンバー

ぽっぷこーんじぇる
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中森温泉
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初夏みどり
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