正論なのに、聞きたくないわけ
叱るって難しい。
ただどこがどう間違っているかを指摘するだけなら簡単だが、相手に納得してもらい、受け入れさせる為にはそれだけでは全然足りない。
もちろん緊急時やとんでもない過ちを犯した等、怒鳴らざるを得ない場合もあるが、大抵の場合、
相手がどうしてそのようなことをしたのかを把握する必要があるし、
自分自身の表情や話し方に気を付け、なるべく感情をぶつけないようにしなければならない。
時と場所も考慮しないといけない。
これらの要素をバランス良く調整しないと、ただの自己満足になり、また、つい相手をイライラの吐き口にしてしまいがちだ。
こうだと相手の助けにはなれず、かえって恨みを買ってしまう。
まかり間違えば、相手の自己肯定感を傷つくことも。
だからうかつに人を叱ってはいけないのだ。
ダメな例として、
場の雰囲気を考えずに、
いちいち正論をぶつける
がある。
ついこのようにしてしまう人は正義感が強いせいか、一度正しいと思ったことはとことん主張する。
相手が傷つこうとも、場の雰囲気がきまずくなろうとも、そんなのはお構いなし。
彼らにとって、「正しい」を突き通すことが一番大事だからだ。
私の周りにもこういった人が数人いるが、他の人からしてみれば大したことない事でも、彼らは必ず見逃さず、
「こうするべき」
「そんなこと絶対してはいけない」
と細かく正してくる。
時々「一般教養がある人であれば分かるでしょ」といった人格攻撃もしてくるのだから本当たまったものではない。
ちなみに彼らが育った環境を見てみたが、ほとんど躾が厳しい家庭だ。
幼い頃から両親によってそのような教育の仕方をされ、それが普通だと思って自分も知らずにそうするようになったのだろう。
礼儀作法をきっちり身に付けていて素晴らしいのは認めるが、あたり構わずに人を叱ったり価値観を押し付けたりすることは、他の人の家庭教育を蔑んでいるようで、すごく不愉快だ。
そして、
当事者の事情そっちのけで、
ズケズケと叱りつける
のも良くない。
うわべだけの判断で「ダメだ」と決めつけ、正しいながらも的外れな指摘をしてしまうケースだ。
見た目は間違ったようなことをしているようでも、何かどうしようも訳があったり、敢えてそうしようとした理由があったりする。
一言聞いてくれれば良いものの、自分勝手な想像を加えながらどんどんペラペラと喋り続ける。
怒りがメラメラとこみあがってくるが、何も言い返せない。
間違ったことを言われている訳ではないので、
反論すると言い訳しているようで余計嫌なのだ。
もうこうなってしまっては、黙って最後まで我慢して聞くほかない。
どうしようもないのだ。
こういった人達に私もしょっちゅうイライラさせられているが、幼い頃から母に
「どんな相手だろうと、
指摘された内容が正しいのであればちゃんと聞きなさい」
と教わっており、且つ教会でも
「年上だろうと、子供だろうと、
アドバイスされた時は耳を傾けなさい」
と言われているので、むしゃくしゃするけど、自分の為になるのならばと思い、いつも我慢して聞き入れるようには努めている。
が、鵜呑みにはしない。
全ての指摘が状況に合っているとは限らないからだ。
厳しいことを言ってしまうが、
こういう人達の「あなたの為を思って」は大抵嘘だ。
みだりに怒鳴り散らす人は、そもそも自分が何を言ったか自体忘れることだってある。
気遣う必要はないし、いちいち気になって自分を責める必要も無い。
一旦参考程度に受け入れ、気持ちがおさまってから吟味し、必要なものを選び出して学ぶようにしている。
そして、そういう人達を反面教師とし、自分が誰かを指摘する時はそうならないよう気を付ければ良い。
話していることは正しい、が、タイミングがズレ、且つ話し方が相手の気持ちを考慮したものでないこと。
それが「正論だけど、聞きたくない」大きな原因だと思う。
しかしある意味、痛いながらも的確なアドバイスをズバッと言ってくれるので、案外分かりやすくて良い人生の先生達かもしれない。
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