decoの日常探求放談
あれこれの気持ちを綴ったもの
日常探求で学んだこと
閃いたことや、悟ったこと
もっと自分を高めたい人の為に
マイノリティ当事者として困っていること
はてなブログの更新はほぼ毎日行っていますが、noteは遅めのペースです。 ブログにエッセイを投稿次第、こちらにも追加していきます。 よろしくお願いします! はてなブログアドレスはこちらです: www.gifteddecoboko.com
言葉の魔力 多くの方が一度は、「あの頃言われたことが傷となって、今も忘れられない」という経験があると思います。 「言霊」という単語があるぐらい、言葉には不思議な力があります。 時には運命でさえ左右し、発した内容によって、人を生かすことも、殺すことも出来ます。 特に親しい仲である相手による一言の影響は多大です。 相手を気にかけている分、その人の一字一句が深く心に刺さるからです。 友人に言葉で殺されそうになった話 私も、ある親しかった友人か
向上心ある人は素敵ですか? 常に自分を高めようとし、知識やスキルを次々と身に付けようと努めている人を、皆さんはどう思うだろうか? 多分ほとんどの人が、こういった向上心溢れる姿に魅力を感じるだろう。 現状に満足せずに学び続ける姿勢。 上を目指し続けるハート。 溢れる熱意。 自分もそうでありたいと、これを目指そうとしている人もたくさんいるのではないか。 けど、実は皆さんが思ってる程、必ずしも向上心ある人全員がプラス思考ではないとしたら
成人年齢を迎えた日 現時点での日本成人年齢は20歳であるが、中国では18歳だ。 試験勉強真っ只中だから、センター試験を迎ようとしていたある日、ふと気付いたら成人を迎えてしまった、なんてことも珍しくない。 私もその一人である。 高校の下校時間にカバンをぶんぶん振り回しながら「私達ももう18だねぇ、大人だねぇ、堂々とデンジャラスなこと出来るねぇ」と友達とふざけ合ってたあの日は今でも覚えている。 私の地元では、20歳の若さにして立派に功を立てた政治家がたくさんいた。
大学時代、ある一人の男性に対し、実に残酷なことをしてしまったことがある。 彼はネット友達で、とある書き込みサイトで知り合い、その後連絡先を交換して更に時々オフでも合うような関係だった。 同じ趣味を持ち、且つ性格が大らかな彼はとても話やすく、時間があれば長電話でさえした。 私の中で、彼は「仲の良い男友達」であった。 そして年上であった分、彼を兄のように思っていたところもあった。 が、彼にとっての私はとっくに「友達」という存在を越えていた。
同じブログでも、書き手の得意分野によって、そのジャンルは様々だ。 基本、ブログは「特化型ブログ」と「雑記ブログ」に分けられていて、その名の通り、前者は分野を絞ったブログであり、後者はそれに縛られず多種多様な内容が含まれているブログである。 が、どんなブログでも、その核心となるコンテンツがある。 「特化型ブログ」の核心は比較的分かりやすい。 例えば投資や語学、スポーツやグルメに特化したブログであれば、そのトピックス自体が核心となる。 一方「雑記ブ
大人になってから、 学生時代に比べ、 指摘してくれる人が圧倒的に減ったということに気付いた。 最初の頃はさほど気にせず、「自分はこのままでもオッケーなんだ」なんて思っていた(なんと愚かな!)。 が、ある時になると、とうとう付けが回ってくるようになった。 いつの間にか孤立されていたり。 陰口を言われるようになったり。 話しかけると目をそらされたり。 そして困ったのは、 こうなってしまった 原因が分からないことだ。 教えてくれる人なん
私は昔から涙もろい。 刺激に弱いせいか、ちょっとしたことですぐ涙がこぼれる。 人前ではあまり泣かない。 それどころか、「よく笑う人」と思われているようだが、一人で家にいる時は結構わんわん泣いている。 涙を流すとリラックス効果があると言われている。 また、ストレス発散や免疫力を高める力もあるらしい。 そのように、私も辛い時は自ら泣くを時間作り、気が済むまで悲しむようにしている。 熱い涙が頬をつたって滴るのを感じると、とても安心するのだ。
ずっと誰かの「馴染み」になりたかった。 子供の頃から、父の仕事の関係で引っ越しを繰り返してきた。 その後日本と中国を行ったり来たりすることも多くなって、いつしか私にとって「地元」という概念が薄れた。 従ってもちろん「地元仲間」とか「幼馴染の友達」という存在もいない。 何度も経験しているとはいえ、やはり既に馴染みメンバーで固まっているグループに入るのはとても大変なことで、いつも自分が「部外者」のように感じた。 しばらく経って、少し仲良くなったと思った
この記事を書いている今、私は29歳である。 来年でいよいよ30歳を迎え、私の20代生活がこれにて幕を閉じようとしている。 20代の日々は、本当に長かった。 10代迄が幼虫としたら、20代は蛹真っ只中で、中身がドロドロに混ざっていて自分が何者かが全く分からない状態なのだ。 きちんとした形になっていない。 にも関わらず、体力も時間も無駄な程有り余っていて、狂ったように当てもなくエネルギーを持て余していた。 30代を迎えると、過ぎ去った若さを嘆き、「
前回書いた記事、『雑用係のプロを目指す』の続編。 「私はプロの雑用係になります!」と上司に宣言した私。 「もっと良い言い方あるだろ……」と苦笑いしながらも、やる気を褒めてくれた上司は、私の希望に応え、多岐にわたる仕事を任せてくれるようになった。 私は今、「事業推進本部」という部署に属している。 立ち位置が特殊で、全部署の上に立ち、全社的にサポートを行う部署だ。 だからある意味、私の宣言を実現するのにぴったりなポジションでもある。
私は、会社の本社勤務だ。 主に営業部メンバーが集まる場所なので、よく人が出たり入ったり、会議が行われたり、お客様の電話対応等が行われている。 最近はパソコンでSkype会議も行われるようになり、会議室が満員でも、自分の席で簡単に打ち合わせが出来るようになった。 よってーー 聴覚過敏がある私にとって、かなり過酷な環境になってしまったのだ。 耳が敏感な私は、賑やかな場所が苦手だ。 雑音が多過ぎると、動悸、目まい、吐き気や耳鳴りが起こり、ひどい場合
会社でりんごをいただいた。 サイズは私の顔の半分ぐらい。 皮が美味しそうなルビー色をしていて、とてもつやのある素敵なりんごだった。 早速お昼にいただこうと思い、きれいに洗った後かぶりついたが、何人かの同僚に不思議な目で見られ、「あぁ、ここは丸かじりの習慣がなかったんだった」と、一人で会議室でひっそりと味わうことにした。 とはいえ、なんと大きなりんごだろう。 食べ進めれば進むほど、顔が果肉に埋まっていくようで、いつの間にか頬は蜜だらけになって
子供の頃から、私は身体が弱く、精神不安定だった。 体調不良はしょっちゅうあって、ちょっとしたことでパニックになったり、癇癪を起したりした。 随分と周りに迷惑をかけたものだ。 一時はこのままだと社会生活も出来ないだろうと悲観的になっていたが、訓練しながら出来る限りのことをやり、何とか無事就職出来た。 経済的にも安定し、身の回りの整理整頓や、自分自身の世話も出来るようになった。 私は、自分を愛してくれた人々に恩返ししたいとずっと願っていた。 そしてようやく
何を食べても、いくら食べても、カロリーがゼロ。 好きなものを好きなだけ食べられる、そんな国際ノーカロリーデーがもしあったら? 科学根拠は全くないが、この日だけ、人類がカロリーを吸収しない身体になるのだ。 栄養士に「食べてはいけない」と言われたあの食べ物も、ダイエット中で我慢していたお菓子も、この日は思う存分食べ放題。 各レストランでは「ノンカロバイキング」が行われ、飢え渇いた人々の為にカロリーたっぷりの食品がたったの2,500円で提供される。 前菜
教会がある事件に巻き込まれてしまった頃。 総指導教師先生が突如、礼拝中であれ祈祷会中であれ、聖徒達に一斉に大声で笑うよう指示されるようになった。 最初は恥ずかしくて微笑むのが精一杯だった。 が、あまりにも何度も何度も笑わせられたので、徐々に大胆になり、しまいには口を大きく開けて「はっはっは!」とに笑えるようになった。 ずっと辛い日々が続き、長い間精神的に負担がかかった状態だったが、大声で笑うことによって心が軽くなった気がした。 私たちの総指導教師先