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大人になってから、 学生時代に比べ、 指摘してくれる人が圧倒的に減ったということに気付いた。 最初の頃はさほど気にせず、「自分はこのままでもオッケーなんだ」なんて思っていた(なんと愚かな!)。 が、ある時になると、とうとう付けが回ってくるようになった。 いつの間にか孤立されていたり。 陰口を言われるようになったり。 話しかけると目をそらされたり。 そして困ったのは、 こうなってしまった 原因が分からないことだ。 教えてくれる人なん
前回書いた記事、『雑用係のプロを目指す』の続編。 「私はプロの雑用係になります!」と上司に宣言した私。 「もっと良い言い方あるだろ……」と苦笑いしながらも、やる気を褒めてくれた上司は、私の希望に応え、多岐にわたる仕事を任せてくれるようになった。 私は今、「事業推進本部」という部署に属している。 立ち位置が特殊で、全部署の上に立ち、全社的にサポートを行う部署だ。 だからある意味、私の宣言を実現するのにぴったりなポジションでもある。
教会がある事件に巻き込まれてしまった頃。 総指導教師先生が突如、礼拝中であれ祈祷会中であれ、聖徒達に一斉に大声で笑うよう指示されるようになった。 最初は恥ずかしくて微笑むのが精一杯だった。 が、あまりにも何度も何度も笑わせられたので、徐々に大胆になり、しまいには口を大きく開けて「はっはっは!」とに笑えるようになった。 ずっと辛い日々が続き、長い間精神的に負担がかかった状態だったが、大声で笑うことによって心が軽くなった気がした。 私たちの総指導教師先
教会でクリスマス行事準備の為、青年部のみんなと買い出しに行った時のことだった。 クリスマス会に参加される子供達の為にお菓子を準備しようということで、大量に且つ安く買えれるという、東京にある駄菓子専門店で物色することにした。 週末の夜。 賑わうショッピングモールの中にあるその駄菓子屋さんは子供大人に関係なく、人で溢れていた。 おしゃれな店だった。 棚にはカラフルなパッケージに包まれたお菓子がぎっしりと並べられていた。 更に、より多くの人に注目され
子供の頃から、「物知り博士」に憧れていた。 中でも、ある特定の分野についてなら何でも知っている、そんな学問を「狭く深く」追究した人を尊敬していて、いつしか自分もそのような人間になりたいと夢見ていたものだ。 そのせいか、私は知識に対して貪欲であるようになった。 学ぶのは本当に楽しい。 新しいことを身に付けた時のワクワク感がたまらなく好きで、時間さえあれば本を読み漁った。 多動の影響もあり、興味ある分野であれば何にでも手を出した。 そのおか
「なぜ勉強しなければならないのか」。 誰でも一度は疑問に思ったことがあるこの問いに対して、 選択肢を広げられるから という答えを一番良く聞く。 「学んだことが多ければ多い程、将来の道に対する自由度も高くなる。」 私はこの答えに賛成だ。 しっかり勉強出来れた人ほど、束縛が少なく、より自分らしく生きていける。 学習や経験等を通して脳内に蓄えられた内容を「知識」という。 そして、それらを実際に活用するスキルのことを「知恵」と呼ぶ。
「何かをやり遂げたければ、それを周りに宣言しろ!」と、ある自己啓発書で読んだことがある。 その本の言い分によると、周りに「自分はこうする!」と伝えれば、「言ったからにはやれずにいられない」というプレッシャーが湧き、怠けたくても続けられるようになるのだとか。 確かに一理あるかもしれないが、余程その夢や目標に対する熱情が無いうちは、こういった宣言は逆効果でしかない。 宣言をすればする程、 皮肉や非難を浴びさせられるからだーー 「その目標何の意味があるの
「あ~もう!ダメ!全然ダメ!」 なんとも発狂寸前の叫びである。 「私には出来ない、decoちゃんが代わりにして!」 こう嘆いているのは、私の韓国人の友人、S氏である。 教会の牧師先生から、動画に日本語ナレーションを入れるお手伝いを依頼されたが、未だに満足いく発音が出来ないのだそう。 学習を始めて、10年近くになっただろうか。 熱心に日本語の勉強をしているS氏は、語学研修の為日本にしばらく住んでいたこともあり、すごく流暢に日本語が話せる人だ
打たれ強く、何があってもめげずにいられる人はどんどん大きくなれる。 立ち止まらずに突き進んでいけるので、成長が止まることはないからだ。 そんなタフなメンタルを持ちたいと憧れてはいるが、残念ながら私は何かあればとことん凹んでしまう性格なので、立ち直り力が育つまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。 辛いことがあると、大抵の場合、私は閉じこもってしまう。そして思う存分落ち込む、泣く。 そして気が済んだら涙を拭いて「よし、また頑張るか」と、ようやく再出発する。
「また練習に付き合わされたのよ」 妹が中学生だった頃、よく放課後にこう愚痴をこぼしていた。 「また?」 「そう。例の子。 自分で書いた曲だかなんだか知らないけど、いちいち私に弾かせるの」 妹が言う「例の子」というのは、クラスメイトの一人だ。 女の子で、音楽が大好きらしく、よく自分で作曲をしているらしい。 そしてピアノが出来る妹にお願いして弾いてもらい、曲の効果をチェックしているのだとか。 「毎回すごく時間がかかるの。彼女が満足するまで曲
「もっと良くなりたい」。 これは全ての発展において、欠けてはならない大事な気持ちだ。 その気持ちが原動力となって、人が成長し、社会が進歩し、文明も発達出来た。 時代の流れに取り残されない為にも、向上心は不可欠である。 だから、どんな時でも「このままでいいや」と満足せず、上を目指すべきだと、私は思っている。 けど、これを行うにあたって、忘れてはならないことがある。 心の器を大きく強く磨いていくことだ。 大きな夢をえがいては、 「今す
粗探しのように生徒の不足に目を付けては、叱りつける。 どこの大学院にも、必ずといって良いほど、こんな教授は一人ぐらいはいただろう。 私が通っていた大学院にも、そんな厳しさで有名な教授が一人いた。 その教授はブログを運営していたが、研究課題関連の記事だけでなく、何か院生に対する不満や、「いまどきの若者のけしからん」ところをもつらつらと記事の中で述べていた。 耳が痛くなるような内容が多く、出来ればその方のブログは読みたくないものだったが、何故か全院生には当教授の
私は急な不安に襲われることがあるが、その中のほとんどがフラッシュバックによるものである。 過去の嫌な出来事が、ありありと思い浮かんできて、あたかも今起こっているかのような錯覚を起こす。 その苦しさのあまり、動悸に襲われたり、冷や汗が出たり、時には過呼吸になったりもする。 そして、辛い記憶が増えれば増える程、フラッシュバックも頻繁に起こる。 心を蝕むようなトラウマ。 辛い記憶がなく、楽しい思い出だけがあったのなら、もっと明るく暮らせたかもしれない。 そん
会社の中国語教師として働いていた頃。 試験間近の復習授業で、同じ問題を何度質問しても間違える生徒がいた。 他の生徒はスラスラ答えられている。 中で彼一人だけ、どうしても覚えられず、しょんぼりとした顔で座っていた。 「〇〇さん」 彼の名前を呼ぶ。 質問をした後、彼がおどおどと答え始める。 正解に近い答えだった。あともう一歩! 惜しい! また間違えたのを知り、更に暗い顔になる彼。 「次は…」 教室を見渡す。 「では、〇〇