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大人になってから、 学生時代に比べ、 指摘してくれる人が圧倒的に減ったということに気付いた。 最初の頃はさほど気にせず、「自分はこのままでもオッケーなんだ」なんて思っていた(なんと愚かな!)。 が、ある時になると、とうとう付けが回ってくるようになった。 いつの間にか孤立されていたり。 陰口を言われるようになったり。 話しかけると目をそらされたり。 そして困ったのは、 こうなってしまった 原因が分からないことだ。 教えてくれる人なん
教会がある事件に巻き込まれてしまった頃。 総指導教師先生が突如、礼拝中であれ祈祷会中であれ、聖徒達に一斉に大声で笑うよう指示されるようになった。 最初は恥ずかしくて微笑むのが精一杯だった。 が、あまりにも何度も何度も笑わせられたので、徐々に大胆になり、しまいには口を大きく開けて「はっはっは!」とに笑えるようになった。 ずっと辛い日々が続き、長い間精神的に負担がかかった状態だったが、大声で笑うことによって心が軽くなった気がした。 私たちの総指導教師先
「何かをやり遂げたければ、それを周りに宣言しろ!」と、ある自己啓発書で読んだことがある。 その本の言い分によると、周りに「自分はこうする!」と伝えれば、「言ったからにはやれずにいられない」というプレッシャーが湧き、怠けたくても続けられるようになるのだとか。 確かに一理あるかもしれないが、余程その夢や目標に対する熱情が無いうちは、こういった宣言は逆効果でしかない。 宣言をすればする程、 皮肉や非難を浴びさせられるからだーー 「その目標何の意味があるの
「あ~もう!ダメ!全然ダメ!」 なんとも発狂寸前の叫びである。 「私には出来ない、decoちゃんが代わりにして!」 こう嘆いているのは、私の韓国人の友人、S氏である。 教会の牧師先生から、動画に日本語ナレーションを入れるお手伝いを依頼されたが、未だに満足いく発音が出来ないのだそう。 学習を始めて、10年近くになっただろうか。 熱心に日本語の勉強をしているS氏は、語学研修の為日本にしばらく住んでいたこともあり、すごく流暢に日本語が話せる人だ
打たれ強く、何があってもめげずにいられる人はどんどん大きくなれる。 立ち止まらずに突き進んでいけるので、成長が止まることはないからだ。 そんなタフなメンタルを持ちたいと憧れてはいるが、残念ながら私は何かあればとことん凹んでしまう性格なので、立ち直り力が育つまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。 辛いことがあると、大抵の場合、私は閉じこもってしまう。そして思う存分落ち込む、泣く。 そして気が済んだら涙を拭いて「よし、また頑張るか」と、ようやく再出発する。
「また練習に付き合わされたのよ」 妹が中学生だった頃、よく放課後にこう愚痴をこぼしていた。 「また?」 「そう。例の子。 自分で書いた曲だかなんだか知らないけど、いちいち私に弾かせるの」 妹が言う「例の子」というのは、クラスメイトの一人だ。 女の子で、音楽が大好きらしく、よく自分で作曲をしているらしい。 そしてピアノが出来る妹にお願いして弾いてもらい、曲の効果をチェックしているのだとか。 「毎回すごく時間がかかるの。彼女が満足するまで曲
「もっと良くなりたい」。 これは全ての発展において、欠けてはならない大事な気持ちだ。 その気持ちが原動力となって、人が成長し、社会が進歩し、文明も発達出来た。 時代の流れに取り残されない為にも、向上心は不可欠である。 だから、どんな時でも「このままでいいや」と満足せず、上を目指すべきだと、私は思っている。 けど、これを行うにあたって、忘れてはならないことがある。 心の器を大きく強く磨いていくことだ。 大きな夢をえがいては、 「今す
粗探しのように生徒の不足に目を付けては、叱りつける。 どこの大学院にも、必ずといって良いほど、こんな教授は一人ぐらいはいただろう。 私が通っていた大学院にも、そんな厳しさで有名な教授が一人いた。 その教授はブログを運営していたが、研究課題関連の記事だけでなく、何か院生に対する不満や、「いまどきの若者のけしからん」ところをもつらつらと記事の中で述べていた。 耳が痛くなるような内容が多く、出来ればその方のブログは読みたくないものだったが、何故か全院生には当教授の
私は急な不安に襲われることがあるが、その中のほとんどがフラッシュバックによるものである。 過去の嫌な出来事が、ありありと思い浮かんできて、あたかも今起こっているかのような錯覚を起こす。 その苦しさのあまり、動悸に襲われたり、冷や汗が出たり、時には過呼吸になったりもする。 そして、辛い記憶が増えれば増える程、フラッシュバックも頻繁に起こる。 心を蝕むようなトラウマ。 辛い記憶がなく、楽しい思い出だけがあったのなら、もっと明るく暮らせたかもしれない。 そん
会社の中国語教師として働いていた頃。 試験間近の復習授業で、同じ問題を何度質問しても間違える生徒がいた。 他の生徒はスラスラ答えられている。 中で彼一人だけ、どうしても覚えられず、しょんぼりとした顔で座っていた。 「〇〇さん」 彼の名前を呼ぶ。 質問をした後、彼がおどおどと答え始める。 正解に近い答えだった。あともう一歩! 惜しい! また間違えたのを知り、更に暗い顔になる彼。 「次は…」 教室を見渡す。 「では、〇〇
人はしばしば、周りの誰かが羨ましく感じ、その人には不足が無く、恵まれているように思えてしまうことがある。 ついその人が持っているものだけに着目してしまうからだ。 それも無理はない。 というのは、持っているものは、実体として見えやすくなっているのに対し、失ったものは見えにくいからだ。 だから、まるで相手は今まで何も失っていないかのように感じてしまう。 ただ、実際は決してそうではない。 私達は皆、何かを得、また、何かを失う。 誰もが、他の人にない
ある日のことだった。 急に身体が思うように動かせなくなった。 完全にコントロールが効かなくなったという程ではないが、明らかに脳の指令に対し、「NO!」と拒んでいた。 脳内では、まだやるべきこと、終わらせなければならないことを思い巡らしている。 あれこれと用事が残っている。だから作業開始せねばと考えていても、どうしても身体はそれを嫌がるのであった。 力がどんどん失っていくのを感じ、しまいには横になる以外、何もやりたくなくなった。 どんなことに対して
今の私は、早起きが苦手だ。 「今の」というのは、昔の私はそうでなかったからだ。 あの頃は、とにかく毎日が楽しくて、寝ている時間がとてもつまらなく、もったいなく感じた。 朝のジムに通ったり、出勤前に勉強をしたりと、「朝活」にいそしんでいた。 一刻でも早く起きて、新しい一日を営みたい。そんな気持ちであった。 が、その後、様々な出来事によって、私は徐々に病んでいった。 「躁鬱病」と診断され、薬を飲み始めてからというもの、副作用で眠気が増し、寝起きが悪くなって
タイトルに書いてあるのは、竹の成長だ。 竹は、種を蒔いてから4年間、3センチメートルちょっとの芽しか出ない。 ところが、5年目になると、急激に伸び始め、20メートルに達する。 速い時は1日20センチメートルも高くなることがあるそうだ。 うわべでは、竹の成長は5年目から始まったように見える。 しかし、竹は最初の4年間、深く広く地下に根をしっかり張っていた。 見えないところでしっかりと準備をしていたのだ。 人も、竹と同じだ。 何をしようとも、必