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ギフテッドでもそんな困ってなかったのに(1)

もし長男が公立小学校で教師からの社会的制裁を受けることがなかったら、今頃ギフテッドをテーマに色々書こうとは思わなかったと思う。

長男は小学校のある時点を境に瓦解した。この年を除いては、こんなことはなかった。

勉強、スポーツ、何でも持ってこい、「俺の情報通信網を侮っちゃいかんよ」と言うほど学年を問わず交流する。どんどん自分の意見を言って周りを引っ張っていくタイプだった。ドッジボールなどやれば、毎度最後まで生き残って、みんなに狙われるのを楽しんだ。自由大好き、長いものには巻かれない。

優等生のイメージはなく、好奇心と体力に溢れる異端児だった。

そういった側面は残しつつも、長男は小学校中学年のある年を境に、授業中に一人暗い顔でタブレットを見つめ、みんなと同じように授業に参加せず、またテストが配られても名前すら書かずに白紙を溜め込むようになった。宿題もしない。授業中も教室にいられず廊下などへ出歩くようになった。身の回りもぐちゃぐちゃ。そして長男が関係しているとされる友達とのトラブルも増えた。何より担任に対する挑発行為が始まった。

学校に伝えた。「問題行動の報告が急増している。しかも学年が変わった途端に深刻化した。学校外でも集団行動の機会はあるが、同様の問題を起こしたことがない。非常に懸念している。」

一方、学校にとっては学校で見えている長男が全てだ。学校外で溜め込んでいる何かが学校で発散されているのではないか、今までずっと何事も簡単にできてきて負けることがなかったが、かけっこなどそうも行かなくなったことが受入れられないのではないか、そろそろ思春期だし、等々言われた。

見る人によって見え方が変わる子

長男がスクールカウンセラーと面談するようになって言われたことがある。「ドラ(長男)さんは、見る人によって、見え方が全く異なる子だと思います」。

確かに、ギフテッドに関する日本での議論を見ていても、「群盲象を評す」と思うことがある。そして残念ながら、長男はこれで大変な目にあうことになる。当時の担任を筆頭に、長男とは”矯正すべきもの”といった見方が主流になった。

負のスパイラルは至る所で発生した。例えば、何を言っても信じてもらえないどころか、嘘をつく能力があると見られたのか友達との間でやったやってないの食い違いがあると、長男の言うことは信用できないとして先生達から却下された。

長男はこんな時、否定しても信じてもらえず、謝って帰ってくることがあった。なぜやってないのに謝ったのか?と訊くと、先生たちが謝れと言うのだそうだ。学校に電話しても、長男はやっぱり否定はしていて、それを学校は認識していたが、今回は管理職の判断で謝らせましたといった回答が返ってきたりした。

管理職がこんなことを言ったこともあった。「〇〇君を知っていますか?」

あの子が嘘をつくわけないですよねと言わんばかりだ。だから長男が嘘をついているはずだと。長男がいつも言っていた。「俺の言い分は同等に扱われない。」

再確認を依頼すると、そういった子の発言が意図的ではないにせよ曖昧であったり、別の子がその子の発言はおかしいと否定する事があった。それでも学校側が、ならば長男が言ったことは正しかったかもしれないと言うことは一度もなかった。

長男もそうなると大人をまともに相手にするのが面倒になる。信じてもらえないと分かっているので疑われたと察知するや、その場をやり過ごすための適当な嘘をつくようになってしまった。しかし嘘がばれると、ほら嘘をつく奴だと言われる。

一度当時の担任から、「なんで嘘なんてつく必要があったんでしょうね」と呆れたように言われたことがあった。どうやったって、見えない物は見えないのだなと思った。

なお、この担任については、親が事態に気づいて話し合った際に、長男だけを不当に扱ったことを認めている。

(2)につづく