見出し画像

色々読んだし、考えたけど。

今日朝から親が親の親に振り回されて、いらいらしているところに遭遇して、自分もそれをもらっちゃったから、そうならないようにどうすればいいか調べてたんだけど、

その中で、「短所は短所として独立している。ほかにも不幸や劣性があるけど、それをそのまま受けいれなければならないときがくる。」というお話を見た。

確かになと思うし、いっていることもわかるから、その方を批判するつもりも毛頭ないけど、それを自分で実践しようとすると、

元々物事のネガティブな側面を見つけるのがものすごく得意だから、長所であるはずの物も短所に思えて、それをそのまま受け入れて、どんどん落ち込んじゃうんじゃないかなと思う反面、

「短所も裏を返せば長所として捉えられる!」という話は、個人的にはよく自己分析だったり、就活の自己PRの話題でよく聞く気がするから、さっきのお話とジャンルが違うよな。とも考えて、自分の考えに関するつっこみが止まらなくなる。

これは今回だけじゃなくて、自己啓発本を読むのにハマってた時も似たような現象が起こっていた。
自分が何か考えるたびに、読んだ本の内容がぱっと浮かんで、ツッコんで、でも自分的に納得できなくて、考えを出すと、またツッコまれて。最終的には浮かんでくる考えが、自分自身からなのか、読んだ本からの知識なのかわからなくなって、疑心暗鬼になっていった。

この話を友人にしたときに、「本で読んだ知識も、豆腐の知識で、豆腐の考え方ととらえていいんじゃない?」と言われて確かにな―と思ったけど、
今思うと、その知識たちが頭の中で大乱闘を繰り広げている場合はどうすればいいのかと思ってしまう。

そもそも世の中答えって一つじゃないことが多いから、カチっとした答えを探し求めることすら無意味なんじゃないかとかまた考えてしまって、めちゃくちゃ疲れる。これもHSPの特徴の一つなのかなとも思うけど、これでもまた「いやこの研究者さんはこう言ってたし、深く考えることはHSPの特徴じゃないのかも」なんてまたツッコみを入れてしまう。

これでまた、「じゃあ、こういう思考にならないためにどうすればいいのか」と調べると自分軸とか人の意見に左右されやすいからとか出てくるけど、自分の認識としての私は、自分の意見や軸がないんじゃなくて、意見があったうえで、それをよりよくするためにもっといい考え方があるのではないかと思って、他人の意見を取り入れる人だと思ってるから、なんか違う気がするとも思う。

ここまで考えてふと思ったのは、自分は水と同じなのかもしれないと思った。それ単体でもおいしいし、人間に必要な液体だけど、なろうと思えば気体にも固体にもなれるし、色もつくし、料理とか掃除とかいろいろなところで使える。でもみんな水と言われると、あの液体を思い出す。みたいな。

合ってるかよくわからないし、これだとわかったところで、じゃあ突っ込みを止めるためにはどうすればいいかはまだ解決していないんだけど。

でもある物事に対して、一つの考えに固定したところで、今のところ周りにあまり悪影響を及ぼしていないだよね。それに、今の自分のスタンス的に、もし自分がいいと思った考え方が間違っていたとしたら、柔軟に変えられるだろうと思う。

だから、少しくらい自分が柔軟で居続けられることを信じて、維持し続けられるように気を付けつつ、自分の考えを信用してみてもいいかなと思った。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?