自由と不自由の間で揺れる心
自由を手に入れたはずの今、私の心は何故こんなにも満たされないのだろう。かつて望んだ日々の忙しさは過去のものとなり、時間は当時憧れていたものになった。しかし、その自由が与えてくれる喜びは、一体どこにあるのか?と矛盾した気持ちの今。
振り返れば、かつての私は勤め人として毎日を駆け抜け、限られた休みの中で得る充実感に感謝していた。あの時の休みは、働いたからこそ価値があった。今はどうだろうか?毎日が休みであるにもかかわらず、その時間をどう使えば満たされるのか、答えを見つけられずにいます。
私は好きなデジタルアートを続けています。それが私の唯一の喜びであり、noteの読者が私の作品を使ってくれることが私の幸せでもあります。しかし、それ以外の時間は、虚無感と不安しかありません。社会に対して自分の価値を示したい、何かを成し遂げたいという思いがあるにもかかわらず、その実現方法が見えないまま、焦りだけが募る毎日です。
かつて憧れた自由は、今や不自由に感じられ、好きなことをして生きるという理想は、現実の厳しさに打ちのめされ、むしろ働くことへの渇望が強まるけれど勤める事はしたくないし、しないと決めている矛盾。かつての忙しい日々が懐かしく思える。必要とされることの喜び、そしてその中で感じていた自己価値。それらを再び手に入れたいと願ってしまうのは、なんという皮肉だろうか。
しかし、私はこの膨大な時間を「暇」にしてしまうことを拒む。早寝早起き、デジタルアートを毎日続ける、noteに何かを書く。このライフスタイルを守ることで、少しでも充実感を感じたい。そして、メンタルヘルスの回復を願いながら、自分自身の価値を見つけ出す様に意識し続けている。
それでも何も変化が起きない事の焦り。
今はただ、解決策を探し求めている。焦る気持ちと共に、早くなんとかしたいと願いながら。この矛盾に満ちている今、いつか自由と満足を取り戻す一歩となることを信じたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?