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百合なる小説の、書評らしきものを書いてみた その1

「微熱狼少女」「ナチュラル・ウーマン」「ルビーフルーツ」「僕はかぐや姫」


昨今LGBTの話題をよく耳にするようになった。
今や性同一性障害の問題は世界的な規模で拡散しているものの、特に西洋での肯定的な風潮に比べれば、日本はまだまだ多くの人にこのことが理解が得られてるとは言い難いのだけれど、批判的な意見は何かと叩かれるようになったから、そうした露骨な意見はタブーなようだ。
その証拠に、よせばいいのに時々政治家が批判的な本音を漏らしては、糾弾されている。
ボクはLGBTのことに対して、大それた意見を持っているわけではないから、そのことについての個人的な見解は控えるけれど、いたって自分は性の対象は女性であり、ノーマルな人間である。

さて今回は、そんなLGBTの中でも、特に印象深かった、「百合もの」をテーマにした小説を紹介させていただきたい。
小説はもとより、映画にしても、ボクは「百合もの」が大スキなのである。
男女の普通の恋愛とは違う訳で、そんな当たり前ではないことを対象にした恋愛話を、いかにプロの作家たちがストーリーにするかに、いつも興味を抱いているし、フィクションではあるからこそ、その世界観にロマンを感じている。
ところでレズビアンの表現を「百合」呼称されるようになったのは、いつ頃からだろうか。そういうコミックの月刊誌が発売されるようになった頃から広まったように思える。
1980年代にはにっかつロマンポルノの「セーラー服百合族」がボクの知っているいちばん古い記憶だが、それ以前からあったのかもしれない。
いづれにしても、今や「百合もの」はコミックでも人気作もたくさんあり、ボクも、
「citrus」「オトメの帝国」のようなライトな作品や、「今日はカノジョがいないから」「割り切った関係ですから」
といった、少し表現がエグイものも読んだりしている。殊にコミックの世界でも密かな「百合もの」ブームが起きているようだ。
前置きが長くなってしまったので、そろそろ本題へー。

「老虎残夢」「楊花の歌」については、下記書評らしきもので取り上げているので、また関心のある方はご参考下さい。
(書評にスキをつけていただけた方々、ありがとうございます)

ちょっと古めの作品から。

「微熱狼少女」

仁川高丸 集英社

佐藤正午や辻仁成らを輩出した、すばる文学賞受賞作品である。
この作品が、ボクの「百合もの」小説とのはじめての出会いであった。

女子高生の鷲見藤乃は狼ヘアーで、生徒会室でタバコを吸うようなヤサグレ女子。シングルファザーはゲイで、恋人には日常的に暴力を振るわれている。そんな藤乃が通う高校に非常勤として赴任し、自らをレズビアンであることを公表する野暮ったい女性教師、三島との愛と葛藤が描かれる。

帯にもあるように、選考では評価が荒れたようだが、フィクションとして嘘っぽくなく、藤乃の視点で最後まで興味津々に読まされた。
心に傷を負う不良少女の藤乃が、三島に心を奪われてゆく過程も丹念に描き、だからこそ終盤の二人の燃え上がるような性描写が活きている。
ちなみに同作者による次作「キス」でもこの藤乃が不遇な女子として登場するが、そちらはテーマが気色悪く、ボクにはダメだった。


「ナチュラル・ウーマン」


松浦理英子 河出書房新社

「親指Pの修業時代」など、その筋の小説では名を馳せたとも言える女流作家の、代表作にして傑作。

主人公の容子の視点を通して、彼女と関わる三人の女性たちとの心とカラダの交流が、三部作に分かれて描かれる。
魅惑的でサディスティックな花世という女性との熱情ともいえる三部目の「ナチュラル・ウーマン」が出色で、AV顔負けのエロティシズムを表現しながら、それでもポルノ小説にならず、文学として成立しているのは、この作家の稀有な才能だと思う。
女性同士の性を全編に展開しながら、レズビアンという表現を一切使わず、
その世界観を描いてみせたのも見事だ。
ちなみにこの作品、その三部目を切り取って二度も映画化されている。本作での性描写を映像としてすべて表現するのは難しいにしても、Rー18指定にもならない内容では、この小説自体の良さが台無しで、二本とも失敗作だったと言っておく。

「ルビーフルーツ」


斎藤綾子 双葉社

いくつかの短編恋愛エピソードを集めた、オムニバス形式の小説作品。

この著者によるライトな綴りは脱帽もので、あからさまな性描写はポルノに近いが、とにかく読み進めるのが楽しい。
レズビアン的なエピソードが多く、ある主人公は嫉妬に狂って、床にはいつくばって相手の匂いを嗅いでみたりと、自虐的な描き方が面白い。
もしかしたら作者自身のエピソードが元になっているのではないか、という想像は、余計な考えか。


「僕はかぐや姫」


松村栄子 福武書店

「至高聖所(アバトーン)」で芥川賞を受賞した作家の、第九回「海燕」新人文学賞受賞作。

自分のことを僕と言う風変りな思考の女子高生、千田裕生(ひろみ)を主人公にした、青春小説。

この小説は「百合もの」がテーマではなく、思春期に自らのジェンダー意識に揺れる一人の少女の話だが、それでもここでとりあげたのは、主人公が密かに想いを寄せる同級生、狭山穏香(きょうやましずか)とのエピソードが素晴らしかったから。

「一生のお願いを聞いてくれる神がほんとうにいるのなら、この風景の中に僕たちふたりをとどめておいてほしい。ゴトンゴトンという電車の音とともに……。」

”机上通信”を発端に、二人の下校の場面をきりとった描写が切なくも胸に響く。
作品は短編だが、後に芥川賞を受賞するに相応しい作者の文章が見事。終盤ある出来事をきっかけに、ジェンダー意識が移行する主人公の心情風景の綴りが、何とも言えない余韻を残してくれる。
個人的には芥川賞受賞作より、本作の方が遥かに面白かった。

最後にー。
この小説の主人公同様に、最近何かとバラエティー番組でよく見る「あのちゃん」も、自分のことを僕と言う。
ちなみにボクの姪の今小学二年生になる娘も、なぜだか自分のことを僕と言う。
僕が密かに流行っているのだろうかー。


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