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「愛」と「怒り」の間の子供たち 映画「アテナ」 ネタバレ感想

こんにちは。今日はNetflixで公開されているフランス映画「アテナ」についての感想を残していきたいと思います。

タイトルにもある通りこの記事はネタバレを含んでいるので鑑賞前の方は映画を見てから読むことをお勧めします!


感想

オープニングの長回し

この映画を見た誰もが、タイトルが出るまでの間画面に釘付けになるでしょう。ワンカットのシーンだけなら最近の映画でも見ることは出来ますが、警察署を襲撃してから車とバイクで爆走して帰り、団地の屋上から下界を見下ろすカリムたち暴徒一同の一連の「宣戦布告」をワンカットで見れるアドレナリンが放出しまくりのオープニングはこの映画でしか見れないものになっています。帰宅途中のバイクがウィリーしてるとこなんかお祭り感と成人式でチンピラが頑張っている微笑ましい感じが合わさって最高ですね。
さらにカメラが車内と道路を行ったり来たりするので見ていると、脳が混乱して非常に楽しいですし、劇中の若者たちもスマホで全世界に発信したり武器略奪が成功したりでハイになっていて、まさに革命への第一歩、希望へと爆走している感じがあってアゲアゲなオープニングです。

しかしそんな革命の高揚感は「花火」のように一瞬のものでした。

全く違うモチベーション

序盤でカミルが叱っていた様に、団地の暴徒たちは奪った銃を防弾チョッキを着た仲間に撃ち、その様子を全員でスマホで撮り盛り上がるといった、お祭り的なノリで楽しんでいました。

この部分が弟を殺した犯人への深い怒りを覚えているカミルとの決定的な違いであり、カミルが亡くなった後に暴動がすぐに収束した原因であると考えています。

「怒り」と「愛」の間で苦しみもがく二人の兄弟

暴動の指揮者カリムと彼の兄アブデルは「怒り」と「愛」の間で苦しみ続けます。カリムは「怒り」に重きをおき、アブデルは「愛」に重きをおいた人間でその二人の分断は、劇中のとある悲劇が起こる寸前のシャッターでも表されているように感じました。

指導者のカリムは頭が良く淡々と物事をこなしていましたが、母親からの電話に少しの人間らしさを見せたり、暴動の理由が「弟の死」であった事から愛情や慈悲の心をしっかりと持っていた青年であると読み取れます。しかし革命や暴力の原動力が「愛情」であった為に、その愛すべき対象である「家族」のアブデルが革命の途中に立ちはだかる事で躊躇が生じてしまい、結果として彼は命を落としてしまいました。フランス革命のようなはっきりとした「身分の違い」に基づく革命であればこのような「愛情」に左右される失敗は起きなかったのでしょうか。

一方で兄のアブデルは弟を失っても尚、怒りよりも「愛」や「理性」に重きを置く人間でした。その事は軍に在籍していたという経歴や、暴動を止めようとしたり団地の住民を避難させようとする姿からも伝わってきます。
しかしそんなアブデルにも更なる悲劇が襲いかかってしまいます。
それは兄弟であり暴動の指導者であるカミルの死でした。弟のカミルは自分に対する(愛情に基づく)躊躇が原因で警察に撃たれ、死亡してしまったのです。
それを目の前で見ていた彼はこの出来事がトリガーとなり、理性のストッパーをはずし暴力的な人間へと変貌します。
暴動を止める立場であったアブデルが一転、弟を失った悲しみから暴動の指揮官の立場になってしまったのです。

「悔しいけれども暴力で無念を晴らしてはいけない」という建前と「そんな社会的なことなど関係ない、俺の家族の無念を晴らすために、愛情のもと、お前ら(警察)をぶっ殺す」という本音が彼の中でぶつかり合います。その葛藤に彼は圧倒され、もがき苦しみます。この本音と社会的建前の間の苦しみこそが全世界で不条理に押し潰される人間の葛藤なのでしょう。

そしてアブデルは怒りに身を任せ、金儲けのことしか考えていない(非常に合理的な)兄を殴り倒し、セバスチャンに「手を貸せ」と大まかな指示を与えます。この指示からもアブデル自身は具体的な指示を出せるほど冷静ではなく怒りの感情に身を任せた投げやりな状態であるように感じました。
しかしその「愛」と「怒り」がぐちゃぐちゃになった彼にも究極の選択を迫られる時が訪れます。

それは人質として取っていた警官を銃殺するかという決断です。


そこで彼は亡くなった二人の弟の分である二発を床に打ち込みました。
そうして自分の中に折り合いをつけ、現状を汲み取り、死ぬしかないと腹を括るのでした。人質への、そして人間への慈悲の心、「愛情」が彼を制したのです。しかしアブデルを取り巻く状況はすでに手遅れでした。

コミュニケーションの重大さ

もしも彼らが暴力ではなくコミュニケーションをとっていれば。弟が殺された時、彼ら兄弟が早い時点で話し合っていれば、母親の愛を交えながら家族で話し合いできていれば、このような悲劇は起こらなかったでしょう。セバスチャンの暴走もしっかりとした会話を挟み指示を与えていれば抑えられたかもしれません。カリムの悲しい暴力も、もっと話を聴いて寄り添ってあげていれば起こらなかったかもしれません。

そんなコミュニケーションがない環境で全てを失ったアブデルはそれでも、警官を殺すという一線を超えませんでした。

「怒り」よりも「理性」が勝ったのです。

そしてその理性こそがコミュニケーションであると私は考えています。
扇動されず、コミュニケーションや意思や愛情を感じ取ることで、分断を促す極右集団にも勝てると信じるしかないのです。一寸先は闇でも人を殺してしまっては取り返しがつかないのです。それよりも慈悲を持って、人質を生かして、その先に紡がれるであろう物語にわずかな希望を抱く他ないのです。

そしてこの映画こそが、暴力に頼り切ってはいけない、無意識に扇動に靡いいてはならないと思わせる物語であり、扇動に対抗出来る一つの強力な武器になるのではないかと思っています。

雑な感想

ここまで真面目に書いてきましたが、私はそこまで頭が良くないのでここに雑な感想も書いておきます。

・不良が国相手に戦うという点ではリアルなAKIRAみたいで好き。
・花火がカラフルで、実際に起きている地獄絵図と真逆な幻想的な映像で素敵!
・「中国まで穴を掘らせるつもりか!」みたいなセリフが面白くて好き。
・「お前が死ねばよかったのに」というセリフに対する兄弟二人の表情が、悲痛に満ちていて好き。

最後に

この映画についてはさまざまな人が感想や考察を出しているので他の記事もぜひご覧ください。
また、間違っている箇所などがあったらぜひ教えていただきたいです。

映画を見ながら日本では、こんなにお先真っ暗な状況なのに、なぜ若者によるデモ運動や革命が起きないのだろうかと考えたのですが、それは若者のほとんどがコカインのことで頭がいっぱいな一番上の兄貴モフタルの様な考えを持っているからだと考えました。社会がどうとかよりも、自分の身の回り、商売のことが最優先であると考えているので選挙にも政治にも興味がないのかもしれませんね。

日本というデモや若者の声が無い国ではどのように社会は変貌していくのでしょうか。主義主張は人それぞれにしても発信しやすい、「コミュニケーション」が取れるような環境にしていくのが大切であると感じています。


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