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新世紀マーベラスnovel episode1(48)

「こんなところに逃げるなんて……、本当に、あなたは愚かなのね」
頭上に大きな鐘を備える、見晴らしのよい大鐘楼だった。
 アイナは切っ先の欠けた手甲剣を教導長に突きつける。
 そこら中から滴る紅い血――機械油が不快で仕方ない。片腕は既に機能しない。片目は役割を成していない。それでも目の前の男を殺すには十分すぎるほどだ。
「くそっ」
 残った片腕に握る拳銃から発砲された弾丸を刃で弾く。
「無駄だって、わかるでしょ?」
冷静に問えば、教導長は悔しげに唇を噛みしめている。
高高度故に吹き抜ける強い風でさらわれる髪をそのままに見据える。
唯一ここから脱出できる場所はアイナの背中側にある階段のみ。どうやらここが彼の終着点のようだった。
 後先考えず走り回った結果がこれだ。
 こんな取るに足らない男にこの街は支配されていたのか。
そう考えると馬鹿馬鹿しい。
こんな害虫もどき、さっさと殺すべきだ。
当然の判断がまず前に来る。そして――
『そんなこと、アイナにしてほしくないの』
 ルミナの言葉が思い浮かぶ。
 ――くだらない。
 考慮に値しない。
 手甲剣を振りかぶる。
 たかが数か月ともに過ごしただけの子どもの願いを、なぜ聞く必要がある。
 騙されていることも知らずに、能天気に笑いかけてくるバカな子ども。
 自分もまた能天気な顔をして彼女のやることに付き合ってやって。
『よくないことはしないようにって、そうやって私たち姉妹で今まで生きてきたじゃない』
 本当は自分が一番辛いくせに、大丈夫だよと笑って見せて。
アンドロイドの自分には本当は必要ないのに、そんなことも知らずに、お腹いっぱいだと見え見えの嘘を吐いて多めに食べ物を渡してくる愚かな姉。
『絶対、会いに行くから! それまで待っててね』
寂しがり屋のくせに、気丈に振る舞って見せてみたりして。
 目の前の欲深い男がいなければもっとマシな生活を送れていたはずなのに。
『ねえ、人殺しなんて駄目だよ。アイナが辛いだけでしょ? そんなこと、アイナにしてほしくないの』
 切っ先が、震える。
『……間違いなんかじゃない。ズルしないで生きてきたのも、アイナと過ごしてきたのも……まだアイナを信じてるのも全部。全部間違いじゃないって、信じてる!』

 ――騙されているのも知らずに、知ってもなお、姉だと言い張り続けて……っ。

 ギリリと歯を食いしばる。
そして――
「……投降してよ」
 ――本当に、くだらない。
 アイナは視線を伏せて、刃を下ろした。


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