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クジラを獲ること、クマを撃つこと


勝山を舞台にした小説「真潮の河」。房州日日新聞で連載中です。

先日、朝のテレビニュースで
「山梨県大月市に熊出没、畑仕事の男性襲われる」
というものがあった。
その日のうちに駆除されましたが、どこで調べたものか、猟師個人宅にクレーマーからのキチ電話が殺到したらしい。私は野生と背中合わせで生活している人に都合があるものと思う。部外者は安全なところに身を置いて、苦情を楽しんでいるのか。いや、ニュービジネスにしているのだろう。

なぜ熊を撃ったか。
それはコミュニティを侵されたから。まあ、お互い様のところもあるだろうが、クマとヒトは共存できないんです。クレーマーの主張は、そこがムツゴロウ王国くらいな感性で成立しているのだろうか。文句いうまえに安全地帯を飛び出して、最前線に身を置いてから主張してみればいい。

こういうキチの主張が、的外れなグリンピース風な輩と重なって見えてきます。クジラは人間の次に賢い海の哺乳類だから、殺すのは野蛮だ。脳たりんな主張です。私、嫌いなんです。

日本人はルールを重んじ、頂いた命は塚を建てて供養を怠らぬ律義さを持っています

白人がバッファロー狩りで数を競ったり、特定亜細亜の某国が海の魚を取り尽くすような、馬鹿な場面は侵さない。足りを知ることも日本人の美学。
調査捕鯨で己を律してきたのに、となりの某国が無造作に捕鯨したり原潜の邪魔だからと大国が駆除する。そういう鯨事情を差し置き、文句のいい安い日本だけにクレームをぶん投げる。
商業捕鯨に転換するのは道理だよ。
やってらんねえって。

でも、それを支持する日本人がもっと増えて欲しいのも事実。

10月から連載がスタートした小説「真潮の河」。
江戸湾捕鯨が、ただの漁ではないこと。産業や生活を守る大事な職業であったことを取り上げていきたいと思っております。鳴き声以外は決して無駄にしない捕鯨。沖縄のブタに対する考えとも似ています。
クジラは骨も、皮も、も有効に使われていた。江戸を支えた多くの根底にあったものが、鯨獲りという戦さに等しい漁なのです。
その誇りは現代にも受け継がれている。
日本の捕鯨をささえる全ての皆様に敬意を表します。

#10月これやる宣言